無心

2020年3月7日

明日26日は秋彼岸の明けです。
彼岸花の咲きどきに蝶が彼岸花を訪ねています。
まるで魂が楽園(彼岸)に舞い降りたように。
花 無心にして 蝶を招き、 蝶 無心にして 花を訪ぬ。
花 開くとき 蝶来たり、 蝶 来たるとき 花開く。
われもまた 人を知らず。
人もまた 吾を知らず。
知らずして 帝則ていそくに従う。
上記の詩は良寛さん(江戸時代後期の僧侶、歌人、書家)ことばです。
花は、蝶を招こうとして咲いているのではなく。
蝶に、花を訪ねようという心があるのでもない。
花が咲くと、蝶が飛んできて、蝶が飛んでくる時に花が咲いている。
自分も、他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知らない。
互いに知らないながら、天地の道理に従って生きています。
花は意志をもって蝶を招くのではなく、蝶も意志をもって花を訪ねてはいない。
花は、咲く時節がきたら咲き、蝶は飛ぶ時節がきたなら飛ぶのですね。
ただそれだけのことで、それが自然の摂理なのでしょう。
蝶は花から蜜をもらい、蝶は花から花に花粉をつけてやります。
自然とその関係で互いの子孫の繁栄につながっているというこの素晴らしさ。
それこそ自然の仕組みの見事さなのでしょう。
私たちが何かをするとき、良い結果を出そうとか、良くやろうとして張りきると、どうしても肩に力が入り、やること為すことがぎこちなくなってしまう。
どんなに力んでみたって、自分のもっているもの、その人のもっているもの以上のものはそう容易くでてくるものではありません。
心が無心で、これまで蓄えられたその人の持ち得たもの、能力、経験、心、というものが素直に表現されたとき、人が感動するようなことができあがってくるのではないかと思っています。
無心とは、自分がもっとも素直になれたとき、あれこれ思い煩うことなく一つに専念できた時、精神バランスも偏りがないときのことをいうのでしょう。
言い換えるなら、自分らしくあるときでしょうか。
自分らしくあるためには他と自分を比較しないことと心得たい。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。