「ある」ことを知らなければ「ない」のと同じ

蓮の花気づく
「自覚する」ということは、「自分でそうだと覚る」ということ。
「覚」という字は「悟る」ということですが、「悟った人」のことを「覚者」と書く場合があります。
自分がどんなにすばらしいものを持っていても、持っているということに気がつかなければ、ないのと同じではないでしょうか。
あなたはこれに似たような経験がないだろうか。
お金がまだある、と思って買物しようと思って、品物を選んでいざお金を払おうとして財布をひらいたらお金がなかった。
家に帰って、「たしかにまだ持っていた筈だ」と思ってポケットやら引き出しやらあちこち探してみたが、着ている上着の別のポケットにお金が入っていたということが。
これは実際にはお金を持っていたのです。
持っていても、持っているということに気がつかなければ何も買うことはできません。
それと同じように、人間も、どんなにすばらしい智慧や愛を持っていても、自身が「智慧であり、愛の存在である」ということに気がつかなければ、その智慧や愛を生かして使うことはできないわけです。
人からも愛をいただき、他に対しても心を尽くしていく中で愛が育っていくし、智慧もうまれてきます。
人間はすばらしい智慧と愛の綜合された慈悲の霊的存在だということができるでしょう。
私たちの心の内にあるその本質に気づくことが大切かと思うのです。
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