母の愛

11月9日 受信

先生おはようございます。N子です。
最近更新がなかったので心配していましたが、お元気そうで何よりです。

今回の「死んだ娘に会いたいⅠ・Ⅱ」とても勉強になりました。
なんとなく理解できてはいますが、かわいい盛りの娘さんを亡くされた御夫婦の疑問はあの世の実感の少ない私も自然に抱く疑問ばかりです。

スピリチュアムブームで変に飾られたパフォーマンスで、誤解を受けてきた供養や除霊や淨霊なども、先生に出会ってからは残された家族が仲良く生活することが供養であり、あの世の人と私達はなんら変わりがなく恐れる必要がないと思うようになりました。

先生に出会えて私達は本当に恵まれています。有り難うございます。

義父が生前のとき相談に乗っていただき、お祈りしてくださり有り難うございました。
月〇に亡くなって以来、家族の悲しみの中でもやらなければならないことが多くあり、家族間で一騒動もありました。

義母は今後年金生活になりますが、義父が社会保険料を掛けている期間が少なく自分のと合わせても最少額になると嘆きました。

同居している主人に泣き泣き病院代がかかるから生活費がほしいとか電話代や携帯代は払ってくれないかと一週間もたっていないのにお金の話をするので、主人と口喧嘩になりました。

しかし義父は生前より「あんたが老人ホームに入るくらいは残しているから心配しんさんな」と常々言っていましたが、どれだけの財産があるのか誰も知りませんでしたのでその手続きを主人が引き受け整理したところ1億近い預貯金がありました。

それを知って安心した義母ですが、今度は私が母に借金しているのを全額返済を要求してきました。

以前弁護士に相談したいといったら、「お金はもう要らないしどうせ私が生きとる間に返せんのだから毎月くれるだけでいい」と言われ今日まで毎月返済をしてきました。

義父が亡くなって預貯金の全ては妻に相続するとの遺言書の通り従いましたが「これは私のお金ではない。お父さんが一生懸命贅沢もせずに貯めてきたお金。

私は使わずに子供らに残したい」と生前贈与や非課税になるからと多額の保険に加入したり、相続税を子供たちが少なく払えるようにとしました。

そしてこの度、私の返済も要求してきたので、主人がお金のことで言われるのはかなわないと残額200数十万を一括返済してくれ、私は返済先が主人へと変わりました。

今まで返済が十分にできない分、義父母を大切にしようとお世話をしてきましたが、いざ返済が終わり縛りから解放され安堵しましたが、長年葛藤しながらの同居でも義父母に掛けてきた愛情はしっかり育っており、変わらず接することにしました。

それが義父が喜ぶことだと思ったからです。

一騒動の中、49日前の義父の祭壇の花瓶が夜中に片方だけ2回倒れました。

一度は花が重たいのかと落ちないように工夫しましたが、また夜中に同じ花瓶が倒れました。
義母は「お父さん私何か間違っているんかねぇ」と気にはしていましたが、私はきっと義父が義母の今後の生活を憂える姿に「あんたが生活するだけの財産は残しているのに何を心配しているのか」と伝えたいのだと思いました。

21日ごろまでは義父が家の中にいる実感がありましたが今は居ないような気がします。

きっと義父は預貯金を相続税を払いたくないと義母が行っている生前贈与や非課税の保険など望んではおらず、税金を払えるのも幸せなことと言うような気がしてなりません。

また、義母は生前のように食事をテーブルに用意し義父が椅子に座っているかのように抱えて某宗教団体のお経を体にさするようにして唱えています。

きっと成仏するように願ってのことだと思います。

先生の教えからは程遠い我が家ですが、私自身義母に振り回されることなく先生のブログで学ばせていただいて家族に接していきたいと思います。

文章がまとまりがなく、上手にかけなくて申し訳ありません。

これからもお体に気をつけて御自愛ください。

返信

N子こさん。こんにちは。

お久しぶりです。メールをありがとうございます。

お義父さんが亡くなって以来ですね。

この頃あなたのことが気になっていたところにメールをいただいて何かしらホッとしました。

しかし、何かとご苦労が絶えませんね。

お義母さんにも困ったものです。

このままではお義母さんは自らして報いを受ける時がくるでしょう。

この世でその時がこなくても、あの世ではきっちりと清算しなければならないときがきます。

なかなか気づけませんね。

N子こさんは今までのように自分の心を信じて生きてくださいね。

あなたのこれまでの心の成長は必ずや実を結ぶ時が来ます。

否、あなたがこれまで務めてきた努力があるからこそ、お子さんたちやご主人が今のような生活ができているのですよ。

そういう意味ではすでに実を結んでいるのです。

あなたの心と努力は私が一番よく知っております。

だからあなたに「拍手~」です。

受信

お忙しい中御返事下さり有難うございました。
先生から御返事を頂いて、何かしらほっとして思わず込み上げるものがありました。

今、中三の次女は受験生なのですが、勉強をやろうとしません。

焦ってはいるようですが、勉強嫌いなので受験生とは程遠いです。

私も同じようだったので、似てるなぁと思うのですが大学院卒の主人は勉強しないと将来後悔すると、努力家の人ですから次女が怠けているようにしか思えず、腹立たしいようです。
それが原因で主人はアルコールも入っていたため大声で怒鳴り、恐怖心で次女が泣き出して私が間に入って代わりに叱られました。

そんなことが二度ありました。

私は今もたいして知識も教養もなく今日まで人様に迷惑も掛け色々ありましたが、不思議に後悔したことがありません。

しいて言えば、実家暮らしの時、両親をもっと助けてあげれば良かったと思うことでしょうか。

学歴社会の中で、勉強しないことは責められる世の中になり、勉強嫌いな子は生きづらいなと思います。

親はつい失敗しない様に、先に先に言ってしまいますが、私も苦い経験から学ぶことが多くあると思うと、親は真面目に生きて子供を暖かい気持ちで見守るしかないんだなと、先生に相談したくてメールを書いてるのに自分の中で答えが出てきました。

先生有難うございます。

こうして先生との交流が私にとって貴重な時間です。
これからもどうぞよろしくお願いします!

返信

だまっていても勉強する子、言われても勉強しない子、苦手な子、不得手な子、切羽詰まってようやく動き出す子、最後まで勉強の嫌いな子、しかし、こういったことと学校の成績に優劣であることとは必ずしもイコールではないようです。

それほど勉強しなくてもそこそこの成績で卒業したり、進学する子もいることでしょう。

私などは、自分が学問を苦手としていたこともあって、成績などいつもワースト記録ばかりでした。

それもあってか、自分の子供には「勉強しなさい」なんて言ったことがありません。

しかし、有り難いことに、学問が苦手な私のような人間でもこうして社会に生かされ、生きています。

育った「時代が違う」といわれればそれまでです。

確かに今の社会に巣立って生きていくのは容易いことではなく、ご苦労も多いかと思います。

必ずしも学歴があるから就職が約束されるということでもなく、大学を出て就職できないから大学院や専門学校へ進むという子たちもいますね。

学業も、就職も、順風満帆とはいかないことのほうが多いと思うし、そういった試練がまた人を成長させるところもあるのでしょう。

結局は親が子供に代わることができないですから、あなたが言うように、暖かい気持ちで見守ることしかできないできないのですよね。

ご主人がお酒の勢いをかりて娘に怒鳴るのはいただけませんが、あなたが中に入って代わりに叱られたというのは立派な行動だったと思います。

あなたが娘さんの代わりに身を挺したことによって、娘さんの恐怖心は治まったと思いますし、そのことでどれだけ娘さんが救われたことでしょう。

そして、そのことによって少しは勉強にも気持ちが向けられるかもしれませんね。

お義母さんのお金に対する執着、〇〇の〇という宗教への拘りによる偏った供養のあり方、一生懸命供養している姿とは裏腹な家族への不調和な我欲からくる言動。

自身の心調えずして、真に故人の供養などできようがはずがありません。

人間は弱いものですね。

そして愚かなものですね。

自分がみえないのですから。

しかし、愛あるのもまた人間ですね。

あっても無くていい物ならない方がいいでしょう。

しかし、愛はあったほうがいいですね。

私はN子さんがこれまで辛抱してきたご苦労を知っています。

家族で自分自身を知っているのは、N子さん。あなたですよ。

だから今の家族でいられるのです。

あなたがいなかったらおそらく家族は離散していたことでしょう。

勉強が得意ではなかったというあなたが家族の大きな支えになっている。

素晴らしいことだとは思いませんか?

そして、相談のつもりでメールを書いていたら、いつの間にか自分で答えをだしている。ここにもあなたの成長があるからこそです。

こういったことが何よりも素晴らしい心のステージアップですね。

平和

家庭でも、社会でも平和を言葉にする人、唱える人、また、そういう機会はたくさんあります。

それでも現実の行動をみると、他人に対して感情的になったり、家族につらく当ったりすることがたくさんあるでしょう。

宗教に入信して一生懸命に指導されたことに夢中になってはいても、実生活ではお金に執着したり、嫁姑問題で確執がうまれたりという事例もたくさんあります。

こうしてみると、どれほど宗教的な知識を学び得ても、実生活にそれが活かされていなければ、それは単なる宗教的パフォーマンスに過ぎず、絵に描いた餅でしかないですね。

結局、食べられません。

人と人の心のやり取りのなかには、共感することもあり、反発して分裂することもあります。

ここには価値観の違いや、気が合わない、肌が合わない、ウマが合わない、自己中心的、等々いろいろな理由があるかと思います。

真に平和を願うなら、理屈や知識ではなく、ほんの少しだけ心を向けてあげて、言葉をかけてあげられたらそれでいいのではないだろうか。

悲しみのあるところには慰めを、分裂のあるところには温かい言葉を、そして怒りのあるところにこそ安らぎの心を傾けてあげたいですね。

あなたはご自分のことを、「たいして知識も教養もなく」といっておられますが、しかし、私から見れば、何よりも一番大切なのものをもっていると思っております。

「無償の愛」これです。

この世でもあの世でも、生きるにあたっての最大の持つべき武器は無償の愛です。

あなたはこの愛をもって家族の心を支え癒しているのでしょう。

どれほど学問知識が優れていても、愛ある行動ができるか否かは別ですね。

ときとしてご主人の乱暴な言葉を受け止め、お義母さんの心ない言葉にも翻弄されずに許しておられる。

こういったあなたの人生観がどれほど大切であるか、また素晴らしいことであるか、その結果と評価は既に現象となってみえているはずです。

そして次元を超えてあの世にいったときに、魂の兄弟姉妹たちに最大の称賛をいただくことになるでしょう。

どうぞ、これまでどうり自分を信じて、家族を愛して生きてくださいね。観童

※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。

旧家にある霊的問題

A精神疾患者やノイローゼの一因

家柄の古い所、その古い血筋、その血縁者に精神を病むケースが多いという一面は実際にあります。

それは旧家ほど家柄や、子孫、土地、財産、名誉などに執着をもったままで死んでいった場合に、死んだ後もそういったものを守るという想念が強いがために自分の心を縛りつけてしまうことによるものです。

物や場所、果ては人間にまで執着してしまうと、執着された人間の場合は病院にいっても説明できない疾患、つまり原因不明の病気という場合があります。

どんなに社会的に立派な職業に就いているといわれている人でも、どんなに財産があって立派な豪邸に住んで人生を謳歌していても、名誉や地位が高かろうとも、心に曇りを生じさせてしまうと霊体は光りを失ってしまい、自らのなかに地獄をつくりだしてしまいます。

ある高齢者の家族の話しですが「おらあ~死んだらお墓にいるから」「私が死んだら仏壇のなかに納まってるよ」とかいうのですが、死んだ後は仏壇にも、お墓にもいてはならないし、そこに執着してはなりません。

生と死

人間は死ぬ時、生きていた間に思い、且つ、行ったことの全てを心に記憶して持って逝きます。

そしてやがて、あの世にいって時がたつと、自分の生前のすべてをまるで映画でも見るように記憶がよみがえってくる。

他人の行動をみるように、自分の行動の全てを記憶した心が再生するわけです。

なぜそうなるのかというと、それは自分自身の内面にある善なる心がそうさせるわけです。

生きている間にどんなに巧妙に人を欺いて財を成しても、偽善を為して人の上に立っても、自分の心はそれが偽りであることを知っているのですから、こういう人生の末路は地獄の境涯であり、しばらくは地上生活とは真逆の、反省と苦悩の生活をしなくてはならないでしょう。

この地上における物質文明は人間がつくったものですが、それは滅びやすく、儚いものです。

私たち人間は、どうしてもその儚い物に強く価値観を見ようとし、拘り、執着しがちです。

た、物や金には執着しない人であっても、自身の業ゆえに、人間関係で劣悪な人生を送っている場合もあります。

この世で生きていくということは、直接的にも間接的にも人との関わりが必ずどこかでつながっております。

それだけに他人や社会との協調性も欠かせないことですが、しかし、自分本位の気持ちが強い為にこの協調性が足りず、人間関係に支障をきたして自分の立場を不利な方へと追いやっていることもあります。

人間がつくりだした物は変わりやすくうつろいやすいが、絶対唯一なる存在が創造した大宇宙の法則と、私たちの魂に刻まれた、愛と慈悲心は誰の心にも内在されて消えうせるものではありません。

また、その愛があるからこそ、悲しみの人には慰めをもち、怒れる人には安らぎをもち、恐れる人には温かく寄り添うことができるものです。

人間は間違いなく時が来れば肉体から離れなくてはなりません。

つまり、死です。

死の刹那に心に浮かぶことは、自分の人生がどうであったかでしょう。

その時に、ある者は悲しみ、ある者は悔いの涙を流し、ある者は死を恐れ、ある者は未練の淵に沈み、ある者は感謝と喜びのうちに息を引き取る人もいるでしょう。

死後の世界における自分の境涯は、生前における心の基準と言う意味においていうならば、如何に人間らしく、広く豊かな心をづくりをしたか、人々の為に尽くしたか、また如何に真剣に今を生きて努力したかでしょう。

たとえ失敗しても、その努力は評価され、それらは良き業となって来世に持ち越されることになる。

過去や過ぎた事を引きずってそこに拘り、更に先を案じ、不安感を増し、恐怖心におののき、今を真剣に生き切っていないことで精神を病むケースは非常に多いのです。

これもまた自分自身の一つの心の傾向性、すなわち癖、業といえるでしょう。

癖を修正するには勇気と決心があれば、必ずや希望の光明が見えてくるものです。

霊的なものの影響によって、自分の心が不安定になったりするのは、根本的には、己自身の心のなかに翻弄されるだけの原因があるからということを真摯に受け止めて、心の傾向性(癖)を修正すべく精進しなければならない。

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断薬成功者の気づき

120329_meisoTM様からのコメント

観童さま

「うつ病へのアプローチ」拝見しました。
観童さんの仰る通り「うつ病」などの心の病と呼ばれるものを治すのに大切なことは自分の内面を変えていくことだと私も思います。

また私事で恐縮なのですが、以前もお話したように私は小学校~中学校にかけて学校で誰とも話しませんでした。

人と一緒に過ごしていくということはコミュニケーションをとり、周りと協力することが不可欠なのでだんだんついていけなくなって、不安感や恐怖感が増していき、学校に行けなくなりました。

家にいると母親と祖母に取り囲まれ殴られ無理矢理学校に行かされそうになりました。

父親には「お前はうちの子じゃない出ていけ」と言われ続け、家にも学校にも居場所?がなくなった私はインターネットの世界に魅力を感じインターネットばかりやっていました。

それも家族の癪に障ったらしく、パソコンを隠されたりしていました。

一体この苦しみをどうやったら家族に理解してもらえるのだろうかと考えた私は精神科を受診して病名をつけてもらえばいいんだと考えました。

予想していた通り私の症状を聞いた医者は「うつ病」と診断してくれました。

そして薬も出してもらいました。
それを飲んでからは頭がぼーっとして眠くなることが多くなっていきました。

合法な麻薬なんだと思ってます。

寡黙だった自分が嘘のように多弁になった。

病名をつけてもらってからは家族の対応が以前よりも大分ゆるくなったので「ああよかった」って安心しました。

でも、ここまでしてしか子供のことがよく把握できない家族ってなんなんだろうかと強く思います。

まだ13歳だと精神的に未熟なのだから親がよく気を配ってないと子供は簡単に周りに害されてしまいます。

私にも非はあります。自分の思っていることを上手く表現できなかったことや、「良くなりたい」っていう気持ちが足りなかったんだと思います。

ずるずると最近まで薬を飲み続け、症状は良くなるばかりか悪くなるばかりで悪くなるところが増えていきました。

「死にたい、自分は生きていてもしょうがない」と思うことが多くなりこのままでは自分は本当に駄目になってしまうと強く思い、ようやく断薬を決意しました。

そこまで追い込まれないと薬を手放すことができなかったのです。

それだけ向精神薬は依存性が強く、量を少しでも減らしたり、いきなりやめると離脱症状が一気に襲いかかってきます。

勤めていた病院を辞め、断薬後の離脱症状がひどすぎて働くことが難しかったので、また学生に戻りました。

その中ではバイトをし、お金を貯めて、整体や鍼灸やヒプノセラピーや漢方や噛み合わせ治療やさまざまなものを試しました。

興味のあるテーマには講演会にもいきました。
どれもそれぞれ効果があったと感じています。
なぜ、もっと早くこれらの方法に辿り着けなかったのかととても後悔しています。

結局そこまでの治療法に辿り着くまでの原動力となったものは自分の「絶対に良くなりたい」と強く思う「心」でした。

自分の「心」がしっかりしていれば自然と道は開けてきます。

意識が良いものにシフトしていき、良いものが目に留まるようになります。

そこで重要だと感じたのは「焦らない」ということです。

よく観童さんがブログで仰っている言葉でもあります。

焦らなくても「心」がしっかりしていれば自然とそのようになっていくからです。

だから継続していくことが大切なんですよね。

これは本当に不思議なものだとしみじみ感じます。

まず、物に頼る前に自分の内面(心)を見直し省みることが本当に大切だと思います。

心が変化しようとするときは辛いこと苦しいことが一気に降りかかってきます。

それに抗えば抗うほど苦しくなるので、抗うことをやめます。

すると不思議なことに自分の中の何かが崩れ去ったようになり考え方ががらっと変わったりします。

「心」を物に例えると器みたいなものなんでしょうか。

ちょっと荒治療になりますが一回壊してしまえば小さい器もまた大きなものに作り変えることができるんですよねきっと・・・。

だから、まず精神科や心療内科に行く前に自分の心のあり方を見直し省みていくことがとても大切だと思いました。

このことに多くの人が気付いて精神科・心療内科に薬漬けにされる人が減るのを願います。

薬漬けにされたら待っているのは向精神薬の副作用によって人格が崩壊したり、話せなくなったりして、挙句の果てにはそれが副作用ではなく、「病気のせい」だと言われまた新たな病名が追加されたりして薬の量が増えていき身体・精神的にどんどん衰えていきます。

その結果、一生病院で過ごすことになってしまいます。

あのときこうすればよかった・・・という頃にはもう遅いです。

病気のせいにしてしかもその場しのぎだけのものに頼っていた自分は本当にバカだと思います。

いまは自分の悪い癖に気付かせてくれた症状に感謝しています。

『人間の心の癖は本当に厄介なものですが、病から学ぶことは、自分を省みるというチャンスを頂いたという気付きだと思います。』

まさにその通りだと思います。
逆境はチャンスです。

今後も常に自分は未熟者だということや自然に生かされているということを念頭において傲慢にならないように生きていきたいと思います。

長文失礼しました。TM

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うつ病へのアプローチ

hel-50眠れない、食欲がない、体が痩せていく(胃腸の消化吸収が正常に機能していない)、一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しめない、体が動かない、気力が湧いてこない、集中力がない、思考が働かない、感動がない、涙が出ない、光が目にきつい、音がうるさく感じる。

人と会うのが苦痛だ、他とのコミュニケーションが苦痛、うまくいかない、外出がつらい、不安感が消えない、恐怖心がある、イライラして落ち着かない、こういったことが続いている場合、医学一般的な見地ではうつ病の可能性があるとされています。

これは現代医学もそうですが、厚生労働省もそのようにいっています。

私が注視したいのは、うつ病に関する原因としての現代医学の捉え方が以下のように述べられている点です。

「精神的ストレスや身体的ストレスが重なることなど、様々な理由から脳の機能障害が起きている状態です」とし、

「脳がうまく働いてくれないので、ものの見方が否定的になり、自分がダメな人間だと感じてしまいます」と。

「そのため普段なら乗り越えられるストレスも、よりつらく感じられるという、悪循環が起きてきます。」

薬による治療とあわせて、認知行動療法も、うつ病に効果のあることがことがわかってきています。」

「早めに治療を始めるほど、回復も早いといわれていますので、無理せず早めに専門機関に相談すること、そしてゆっくり休養をとることが大切です」

と以上のように厚生労働省では言っています。

上記の厚労省の説明について、ブログを訪問してくださったあなた(うつ病経験の有る方、無い方、知識として知っている方)はどう感じたでしょうか。

「なるほどもっともだ」と理解されたでしょうか。

実は、私はこの上記の厚生労働省のうつ病に関する医学的な見方には少し疑問をもっています。

その理由ですが、「精神的ストレスや身体的ストレスが重なって脳の機能障害が起きている状態」という解釈でいいのかということです。

脳の機能障害ということは、肉体的な問題だということにならないでしょうか。

そうだとすれば、脳にアプローチして脳を改善できれば、うつ病は改善できて無くなることになります。

セロトニンというホルモンに対する医学的な考え方がそれです。

しかし、投薬治療によってセロトニンの問題を改善しようとして心療内科や精神科では向精神薬を処方するのですが、現実には一向に改善されるどころか、医療機関を訪れる患者は増え続ける一方です。

そしてうつ病から発症するパニック障害、対人恐怖症というケースもあり、なかには投薬治療を受けていながらも病状が進行したために自宅療養さえも困難となり、入院を余儀なくされる方もいます。

脳の問題だとする考え方、受け止め方をしているから投薬治療ということになるのでしょうが、現実は投薬治療で脳の改善ができるはずもなく、薬による治療はうつ病を根本から改善する手段にはなり得ないということを、医療現場の人間なら十分に実感されているはずです。

先の厚生労働省の既述のように、精神的なストレスや身体的なストレスが過度になれば気分も高揚しなくなるのは、人間ならば誰にでもあり得ることでしょうし、誰でも多少なりとも経験されているかと思います。

しかし、ストレスが脳の機能障害に及ぶという理論を以って「うつ病」とする考えは、肉体を中心視する偏った医療ではないかと思われてなりません。

何故なら、うつ病についていえば「心の傾向性」という内面的、且つ、本質的なことへのアプローチがほとんど為されず、投薬治療に依存した医療体制になっている現実を知るからです。

それでも近年は認知行動療法(自分以外の外への認識と対応の仕方、行動の仕方を変えるトレーニング、感情や気分をコントロールしようという訓練法)という取り組みをするようにはなって、その効果を期待する状況に変化をしてきてはいます。

がしかし、これもまた自己の内面にアプローチするというよりは、他とのやり取りの方法を訓練するということであって、内面を修正するということには到らず、まだまだ成熟した治療法だとは思えません。

このような認知行動療法ですから、心の実態や本質を重要視した取り組みだとはいえないような気がします。

更に、認知行動療法というプログラムを適用する人たちは、うつ病だけではなく、強迫性障害、パニック障害、社交不安障害、過食症、不眠症などにも応用されますが、これもまたただ単に教科書を学ぶような観が否めず、専門用語が多すぎてそれだけで疲労するという側面もあるようで、「あとは自分で実践しなさい」みたいな丸投げのような体制もクライアントさんから聞かされました。

解らないことがあって指導者に質問をすると、イラついた顔をしたり、「そうじゃなくてっ!」と怒ってキレたような対応をされたとまで話すクライアントさんもいます。

このような事実から、どのような素晴らしい認知行動療法ではあっても、最終的に好結果に導くということは、それを指導する側の環境、つまり人間性、資質の問題になるのではないかと思うのです。

さて、私がこれまでおこなってきたうつ病の患者さん、及び、精神的疾患者(病院に行っていない人も含めて)へのカウンセリングによって毎回みえてくるのがクライアントさんの偏った心の傾向性です。

物事に対する拘りが強く、それを引きずる。

不安感がいつもあり、何事に対しても不安感をもつ。

行動することへの恐怖心がある。

過去の出来事に思いをはせて引きずっている。

これから先のことに不安や恐怖心をもっている。

他人の意識(自分がどう思われているか)を必要以上に気にする。

よく思われたい。

悪く思われたくない。

妄想(病的な誤った判断ないし観念、 事実と異なることを、事実であるが如く思う )

自己否定をする。

他人に対して猜疑心がある。

体型にこだわる。ゆがんだ美意識(拒食につながる)

何事に対しても思考に偏りがある。

思考がネガティブに偏りがち。

こういった心の癖(傾向性)です。

患者さんがいつも最後に突きあたるのが、向精神薬等の投薬治療を最小限に減薬するか、もしくは断薬を目標にしてうつ病から解放されるために取り組むかです。

その方法論はあります。

それは唯一、自分の精神的(心)な傾向性を知って改善を図るということが必要欠かざる条件であろうと思います。

先ずは、うつ病の本質を正しく理解すること。

うつ病を発症することによっていろいろな身体症状を現わす場合もありますが、実際は身体症状から鬱状態になっていくケースより、鬱状態から身体症状に至るというパターンのほうが多いものです。

私は、心のバランスを崩した結果において発症するのがうつ病だと理解していますが、その根本的な原因は先にも述べたように「自分自身の心のあり方」にそういう状態になるような原因があると考えております。

ですから、うつ病を改善して心身共に健康体になろうと思うならば、何をおいても自分自身の心の傾向性を知ることから始めなくてはならないでしょう。

同時に、この世で何が一番難しいかというと、自分が変わること。

しかし、病むことの原因を他に転嫁するのではなく、自分が変わらなくてはなりません。これができなくてはうつ病からの完全な脱出はないからです。

「心の傾向性・癖」

ここで科学的に慣性の法則ということについて説明をしてみます。

物体がその運動を続けようとする性質を科学では慣性と表現しています。

この性質は質量(性質と重さ)が大きいほど慣性も大きくなります。

ということは例えば、ボールをころがしたとして、同じ大きさでも中が空洞のボールと鉄でできたボールでは性質と重さが違うために同じ力を加えた場合でも転がる距離が違ってきます。

当然、質量の大きいほうが勢いがついていますから転がる距離が長くなります。

もう一つの事例を述べてみます。普通乗用車が時速50キロの速度で走行してブレーキをかけたら停止するまで通常なら約10メートル程度の距離が必要になります。

同じことを10トンダンプで行えば通常なら約14メートル程度の距離が必要になるでしょう。

この違いは何かというと先ず、車の大きさと重量が異なるため制動距離が長く必要だということで、すなわち質と量の違いが制動距離の違いとなってくるということです。

カーブを車で通過するときに乗っている人と車はカーブの外側にもっていかれますが、これは速度とカーブがきついほど遠心力が強く働くことになりますが、車と人はカーブの外側の直線方向に移動する働きが発生しています。

この運動も慣性の法則によるものです。

私たちはこの物理的法則の影響のなかで暮らしていますが、しかし、この法則は物理的運動だけではなく、私たち人間の心の精神作用にも常に密接に働いています。

今までの生き方を変えられないことや、よくないことだとわかっていても、その癖をなかなか変えられないということは、心にも癖がある証拠であって、慣性の法則による傾向性というものが心の中にあるからにほかなりません。

業(カルマ)という言葉に置き換えることもできます。つまり、自己中心的な人間の場合、非常に自我心が強く、その自我に自分が翻弄されているということになります。

慣性の法則というものを心の傾向性(癖)という言葉に置き換えて、質量を心の癖、自我、エゴとみることができます。

先に述べたように、物事に対する強い拘り、不安感、恐怖心、過去への拘り、未来への拘りと不安感、他人の意識(自分がどう思われているか)を必要以上に気にする。

よく思われたい、悪く思われたくない、妄想(病的な誤った判断ないし観念、 事実と異なることを、事実であるが如く思う )、自己否定、他人に対して猜疑心がある。

体型にこだわる、ゆがんだ美意識(拒食につながる)、何事に対しても思考に偏りがある、思考がネガティブに偏りがち等々。

こういった心、想いは非常に重く自分の精神を毒していきます。

拘りが少なく、偏った思考が少なければ少ないほど、心は軽く晴れて輝いていますが、何かに囚われた心があると曇って輝きがありませんし、表情も暗くなってきます。

このことは内面的な心の問題です。

心の傾向性(癖)とは、その人の個性が良くも悪くもひとつの特徴として現れてくることをいいます。

あとは日々の生活を執着や拘りのなかで引きずって悶々と暮らすのか、反対に偏りの無いバランスのとれた心で楽しく明るい生活をしていくのかです。

心掛け次第で心の成長に大きな差が生じ、結果はまったく異なった人生になってきます。

自分の心の癖を変えるには「すなおになる」ことが何よりも大切ですし、これなくしては内なる自分が変わることができないし、輝くこともできません。

なぜこのような事をいうのかといいますと、精神を病む人の場合、総じて自我心が勝っていてせっかくの学びが心に入っていかない人もいるからです。

人生を長く生きたら心の拘りや自我心がなくなって精神バランスがとれるのかとなると決してそうとは言い切れないでしょう。

逆に年を重ねるごとに頑固に意固地になっていく場合もあります。

人間の心の癖は本当に厄介なものですが、病から学ぶことは、自分を省みるというチャンスを頂いたという気付きだと思います。

自分を省みることなく惰性(だせい)のまま生きたら慣性の法則は自分の精神バランスを崩したままにあの世に延長して持ち越すことになりますから要注意です。

うつ病人口

最近の報告では、うつ病の有病率は1~5%、すなわち100人のうち1~5人はうつ病の人がいることになります。

生涯有病率といって 一生涯生きていくと何%の人がうつ病になるかという統計報告では 13~17%といわれています。

すなわち、かなりの方が一生涯のうちでうつ的な状態になるということです。

勿論、軽症うつ病が多いわけですが、医療機関を訪れていない人たちの予備軍人口を考えますと大変な数になるでしょう。

うつ病は特別な病気ではなく、ポピュラーな心の病気であり、 やはり常にその可能性を考えておく必要があります。

参考までに、うつ病と診断されて投薬治療を受けている人たちの人口を表で紹介しておきます。

下の図が発症年度で年々増えています。

ピンクが女性。ブルーが男性。女性の発症率が圧倒的に多いです。

下の図が年代別で30代~40代が発症率が高いことがわかります。

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霊障と精神アンバランスからの脱出

蓮華草

匿名 のコメント: 2015年3月23日 6:14 PM

お久しぶりです。

お元気ですか?

あれから大分身体・精神的に落ち着いてきて、断薬することもできました。

断薬してみて精神薬はとても恐ろしいということがよくわかりました。

薬を飲んでいないだけでこんなに健康体になれるんだったらもっと早くやめておけばよかったと後悔するばかりです。

薬は飲んだら不安とか一時的に消えるけれど、1回飲まなくなっただけで不安が押し寄せてきたり、眠れなくなったり、頭痛がしたりしていました。

それを医師に言ったらまだ飲み続けたほうがいいようなことを言ってきて、心の中ではなんかおかしいなとは感じていたのですが、それを無視し続けてしまい、結局約10年間も飲み続けることになってしまいました。

とても軽い気持ちで飲んでいたのです。

断薬するために薬を少し減らしたりしていたのですが、上記の症状がとても強く「完全に飲まなくなる」という状態になるまで大変でした。

他に意識が飛んだり、平衡感覚がおかしかったり、人の話を理解できなかったりしていたため、この状態が回復することなく後遺症となって残ってしまったらどうしようかと、とても怖かったです。

でもいまはそのような症状は良くなって、普通に日常生活を送ることができています。

結局薬では精神的な疾患を治すことはできないと思いました。

薬はその場限りの対処療法であり、根本的に治す方法でない上に、依存性を高め、その人の人生をボロボロにしてしまいます。

覚せい剤や麻薬に似ていると思いました。

だから、私はもう絶対に精神科・心療内科にはいきません。

治療法が間違っているから治らないわけですから。

しかも、そのような覚せい剤や麻薬に似たものを未成年の頃から投与してしまうとはどういうことなんでしょうか。

疑問が次々と出てきます。

観童さんが仰るように、何かの拘りから心の調和が崩れて、それが身体症状として現れれば、痛みやシビレとかになったり、精神症状として現れると気分が沈んだり、落ち着きがなくなったりするんじゃないかなと。

実際、観童さんに相談にのっていただいた後、心がとても軽くなる感じがあり、だんだん思考がプラスの方面に向かっていきました。

結局は自分自身が変わればよかったのであって、それを他人や薬がどうしてくれるという問題ではなかったんですね^^;

それと教えていただいた自己浄化を毎日実践することによって、不思議なことに気持ちが晴れやかになって小さなことで悩んだりしなくなりました。

また、親身になって聞いていただいたことや、いままで他人に話すと、「気のせいだ」と言われてきた霊的なことをわかりやすく説明してくださったことがとても心に響きました。

本当にありがとうございます!

これからだんだん暖かくなってきますがお身体ご自愛ください。

それではお忙しい中失礼しました。

コメントをくださった匿名さんは若い女性ですが、霊的にも敏感な体質であったことをご本人はちゃんと認識しているわけではありませんでした。

しかし、メールでのやり取りや、直接の電話でのお話からそのことをハッキリと確信したものです。

霊的なエネルギーの影響というのは、私たちの身体に不健康な場所があれば、その場所に影響が出やすく、自覚症状として自覚できるものです。

精神的にバランスを崩している人が霊的な影響を受けますと、更に精神的に不安定になったり、自分ではコントロールできないような言動をするようにもなります。

しかし、ご本人にすれば、そういうことは自分の感情の乱れや、体調がすぐれないことによるものだと思っている場合が多く、霊的な影響によるところがあるという認識になれないことが多々あります。

いずれにしても、霊的な影響を最小限度にするためにも、また、自身の精神を健康にするためにも、日頃から自分の感情に、起伏の乱れがおこらないような生活を心がけていかなければなりません。

匿名さんは、薬の多用、多剤による弊害、依存性、心は薬で治すのではないということ、自分自身の偏った思考壁、霊的な影響の実態、こういったことに身を持って気づかれました。

そして、自身の勇気と決心の元に心の調和を学んで実践をし、努力が実を結びました。

もう大丈夫です。よくぞここまで頑張りました。

TMさん。コメントの公開を承諾して頂き、ありがとうございます。

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心療内科・精神科の多剤多量処方箋

うつ病ある女性相談者がカウンセリングと整体を希望して連絡してきました。

彼女はどこからみても顔色がよくなく、うつむき加減で、目の動きが極端に少なく、表情がないという雰囲気で待合室の椅子に座っている。

A子さん35歳は3年前から精神科に通い始めて「自分の体調不良や精神的な不安、沈む気持ちを訴えたが、特にこれといった改善策やアドバイスをもらえる訳でもなく、ただ薬を処方されるだけの繰り返しに疑問と不信感がありました」と振り返る。

どれほど苦しんできたのだろうか、「もう薬はやめたい。」こう言って目を潤ませた。

心を病むことによって身体症状を訴えてくるクライエントに心ある対応をしてくれる心療内科や精神科の医師はどれだけいるのだろうか。

うつ病、躁うつ病、パニック障害、心気症、統合失調症という診断を下された人たちが相談に来て共通して言うことに、「話を聞いてくれたのは最初だけで、あとはもう薬を増やすか、別な薬に変えるかの繰り返しだけで、何かを話そうとすると言葉も邪険になってあしらわれます」ということがあります。

私のところに駆け込んでくるクライエントは、昨日今日に薬を服用した人ではなく、3年、5年、10年と長期にわたって向精神薬を服用して、その副作用と、一向に改善に向かわない自分の身体症状と、ワンパターンな病院の対処に苦しんできた人たちが多い。

あるクライエントは「あなたは、だれかの気を引きたくてそうして病んでいるのか?」と心療内科の先生に言われ、その不本意な言葉に泣きながら帰ろうとすると、看護師さんが心配して「大丈夫ですか?」と、声を掛けて玄関まで送ってくれたことがあったとショックを隠せないようすだった。

心の問題はどれだけ体に影響を及ぼすかということをしっかりと理解して医療に取り組んでいる医師ならば決してこのような心無い言葉を発することはないはずです。

医学的知識以前に、医師という有資格者以前に、人間としての思いやりのなさ、患者の心も体もよく見極めようとする配慮と姿勢に欠け、驕りに満ちた、傲慢な人間性がみえてならない。

ここでAさんの服用していた薬を紹介してみますが、薬は効能以上に副作用があるということを理解していただきたいという思いから記すものです。

トリプタノール

脳内のノルアドレナリン、セロトニンの再取り込みを阻害することにより、憂うつな気持ちや落ち込んでいる気分を和らげる。

また、夜間の尿の回数を減らす作用もあります。 通常、高用量ではうつ病・うつ状態の治療、低用量では夜尿症の治療に用いられます。

注意

眠気、注意力・集中力・反射運動能力などの低下があらわれることがある。

副作用

口渇、眠気、振戦などのパーキンソン症状、めまいなどが報告されています。

筋肉のこわばり、嚥下困難、頻脈

不安、興奮、発熱、セロトニン症候群 [悪性症候群] 

心臓疾患 急激な前胸部の圧迫感、狭心痛、発汗 [心筋梗塞] 

現実には存在しないものが見えたり、聞こえたりする、錯覚や幻覚を伴う軽い意識障害、考えがまとまらないなど。(幻覚、せん妄、精神錯乱、けいれん)

顔・舌のむくみ(顔・舌部の浮腫)

トラゾドン塩酸塩錠25mg「アメル」

セロトニンの再取り込み阻害作用を示し、抗不安・鎮静作用により、ゆううつな気持ちや落ち込んでいる気分をやわらげます。 通常、うつ病・うつ状態の治療に使用されます。

副作用

主な副作用として、眠気、めまい、口渇、便秘、浮腫、発疹、かゆみ、眼瞼そう痒感などが報告されています。

胸痛、動悸、胸部の違和感 [QT延長、心室頻拍、心室細動、心室性期外収縮]

急激な発熱、筋肉のこわばり、手足の震え [悪性症候群]

錯乱、せん妄、発汗 [セロトニン症候群]

食欲不振、吐き気、便秘 [麻痺性イレウス]

性欲に関わらず性器の勃起が痛みをともない持続的に起こる[持続性勃起]

 

エチゾラム錠1mg「トーワ」 デパスの後発医薬品

不安や緊張をやわらげます。

筋肉の緊張をとる作用。 通常、神経症、うつ病、心身症(高血圧症、胃・十二指腸潰瘍)、統合失調症、頸椎症、腰痛症、筋収縮性頭痛などにおける身体症候や不安・緊張・抑うつ・睡眠障害などの改善に用いられます。

副作用

発疹、蕁麻疹、かゆみ、紅斑、眠気、ふらつき、けん怠感など。

薬を中止しようとしても欲求が止められない、(中止により)痙攣・不安・幻覚・不眠)[依存性]

発熱、手足の筋肉の強いこわばり、飲み込みにくい [悪性症候群]

筋肉痛、脱力感、赤褐色尿 [横紋筋融解症]

発熱、から咳、呼吸困難 [間質性肺炎]

けん怠感、食欲不振、皮膚や白目が黄色くなる [肝機能障害、黄疸]

 

レクサプロ10mg

脳内に存在するセロトニンの再取り込みを選択的に阻害し、セロトニン濃度を上昇させ、神経伝達をスムーズにし、憂うつな気分を和らげ、不安などの症状を改善します。 通常、うつ病・うつ状態の治療に用いられます。

副作用

吐き気、傾眠、頭痛、口渇、浮動性めまい、倦怠感、下痢、腹部不快感、発疹、湿疹、蕁麻疹、かゆみ、アナフィラキシー反応、血管浮腫などが報告されています。このような症状に気づいたら、担当の医師または薬剤師に相談してください。

筋肉が発作的に収縮する [痙攣]

頭痛、集中力の欠如、痙攣

[抗利尿ホルモン不適合分泌症候群]

不安、興奮、手足の震え [セロトニン症候群]

胸痛・胸部異和感、気を失う、動悸・息切れ [QT延長、心室頻拍(torsades de pointesを含む)]

 

サインバルタカプセル30mg

脳内でセロトニンとノルアドレナリンの再取り込みを阻害することで、脳内の神経伝達をスムーズにし、憂うつな気分を和らげ、やる気がなくなる、不安といった症状を改善します。また、中枢神経系の疼痛抑制経路に作用し、痛みを和らげます。

通常、うつ病、うつ状態や糖尿病性神経障害にともなう疼痛の治療に用いられます。

副作用

主な副作用として、吐き気、傾眠、口渇、頭痛、便秘、下痢、めまい、腹部痛、不眠、倦怠感、食欲減退、高血糖、嘔吐、発疹、かゆみ、蕁麻疹、接触性皮膚炎、光線過敏反応(日光による過度の日焼け、かゆみ、色素沈着)、血管浮腫、皮膚血管炎などが報告されています。

不安、興奮、発汗 [セロトニン症候群]

むくみのない短期間での体重増加、けいれん、意識障害 [抗利尿ホルモン不適合分泌症候群]

倦怠感、食欲不振、皮膚や白目が黄色くなる [肝機能障害、肝炎、黄疸]

高熱、水ぶくれ、眼や口など粘膜のただれ [皮膚粘膜眼症候群]

呼吸困難(息苦しい)、けいれん、蕁麻疹 [アナフィラキシー反応]

 

アルプロザム錠0.4mg「サワイ」 ソラナックスの後発薬品

脳のベンゾジアゼピン受容体に作用して、不安、緊張などを和らげます。

通常、心身症(胃・十二指腸潰瘍、過敏性腸症候群、自律神経失調症)における身体症候ならびに不安・緊張・抑うつ・睡眠障害の治療に用いられます。

副作用

眠気、発疹、かゆみ、光線過敏性反応などが報告されています。

薬がないといられない、(減量、中止による)痙攣発作、せん妄 [依存性、離脱症状]

意識が乱れ正常な思考ができなくなる、考えがまとまらない、時間・場所などが判らない[刺激興奮、錯乱]

呼吸が浅く速くなり、呼吸をしにくい [呼吸抑制]

かゆみ、蕁麻疹、顔面潮紅・腫脹 [アナフィラキシー]

全身倦怠感、食欲不振、皮膚や白目が黄色くなる [肝機能障害、黄疸]

 

炭酸リチウム錠100mg リーマス錠100の後発薬品。

中枢神経に作用し、抑えることのできない感情の高まりや行動を抑えます。 通常、躁病や躁うつ病の躁状態に用いられます。

副作用

手足の震え、のどが渇く、下痢、尿量の減少などが報告されています。手足の震え、嘔吐、意識がぼんやりして睡眠に近い状態 [リチウム中毒]

発熱、筋肉のこわばり、胸がどきどきする [悪性症候群]

息切れ、めまい、疲れやすい [徐脈]

多飲・多尿、全身倦怠感、のどの渇き [腎性尿崩症]

意識がうすれる、考えがまとまらない、判断力が低下する [痴呆様症状、意識障害]

以上の薬が一か所の精神科で処方されたもので、類似の作用をする薬が重複して処方されているために副作用による身体症状が増えていくばかりで恐ろしい。

A子さんは精神科から処方された7種類の向精神薬を服用し、その他に麻酔科の薬を鎮痛のために服用して何ら症状が良くなることもなく、むしろ薬を服用する以前よりも身体の症状は増えてきたといっていた。

その症状は、頻尿、喉の渇き、口の渇き、ふぁふぁ感、不眠、朝の起床ができない、動悸、息切れ、頭重感、集中力がなくなった、胸部痛、全身の疼痛といったものだが、これらの症状は向精神薬を服用し始めてからだと説明している。

薬に関しては無資格であり素人の私ですが、あまりにも多種多量に処方された薬に、ただただ唖然として言葉が出ない。

本人の意思に委ねるしかありませんが、私はA子さんに減薬の話しをし、結果的にそれを本人の意思によって実践した結果は、先ず、身体が非常に楽になって全身の疼痛が減ってきたと喜んでいた。

患者さんが心療内科や精神科に行って「薬を減らしたい」、「薬をやめたい」というようなことを言うと、先生は「薬を飲まないならここに来る必要はないよ」、「いうことを聞けないならもう知らないよ」と言われたという話しはこれまで何度かきかされてきた。

素人判断で減薬をしたり、断薬をすることは危険なところもあるのは充分に理解できますが、しかし、減薬、断薬の話しに関してはどうしても消極的であり、むしろ取り合ってもらえない医院もあるようです。

薬の服用に関しては、良心的に対応してくれる医師もおられるようですが、往々にして一方的に押し付ける傾向にあったり、効率優先、時間ロスを意識するせいなのか、コミュニケーションを好まない傾向がうかがえる。

「的外れなアドバイスをされて悲しい思いをした」と言っておいでになった人もいました。

「本当に苦しんでいる人に比べたら、君は迷えるだけいいんだよ」みたいなことを言われ、私だって、本当に苦しんでいるから病院に来ているのにと、悲しい気持ちになったいう人もいました。

てんかんなどの場合は科学的機具を用いての客観的データでの判断をするようですが、精神疾患については、内科的な疾患のような科学的機械による特定の検査をするわけではありませんから、専門医のスキルだけに委ねるところがあるでしょう。

つまり、血液検査やレントゲン撮影などで病気を特定し、その治療を機械による治療や投薬によって「科学的」に治療する「内科的疾患」とは違う対処になるわけです。

ですから来院者の判断はほぼ精神科医、資料内科医の診察での観察という「腕」次第ということになってきます。

こういう内容と流れをみますと、治療内容は多少の精神療法と投薬による治療のみ、となる現実もわかります。

私の場合は、クライエントさんの話す悩み内容、表情、目の動きぐあい、微妙な身体全体の動き、歩き方まで観察して疾患状況判断の参考とします。

薬の使用量が多ければ多いほど、表情にも動きにも顕著に悪影響を与えていることが確認できるもの。

話す言葉の裏に隠された背景を推測し、その隠れた事実や心のしこり、トラウマ、思考壁を引きだすような問いかけを行ったりします。

クライエントさんが話す内容が必ずしも深刻な表情でなくても、その背景に隠された問題の原点を見逃すことはほとんどない。

また逆に、小さな問題を大きくオーバーに話すクライエントさんでも、深刻ではないほんとうの姿を見逃すこともありません。

内に抱える精神的な葛藤、苦しさと服装の関係など、女性であればお化粧一つにしても心の状態を反映している場合が少なくありません。

向精神薬を多量、長期にわたって服用している人の場合などは内臓にかかる負担も大きく、肝機能障害や胃腸障害を起こすケースも珍しくなく、個人差はありますが、その影響によって口臭なども出やすくなりますから薬を多用しているのがわかります。

こういったことからすれば、何よりも、スキルある精神科医であれば、患者への配慮に欠けた発言をするなどということはないと思うのです。

患者さんの立場にすれば、話を良く聞いてくれる医者が望まれるのは理解出来ますが、だからといって話をよく聞く事がイコール名医とは繋がりません。

話をゆっくりと、じっくりと聴いてくれることで心の安定に繋がる場合もあるのですが、しかし、それだけで受診するのでしたら心理士のカウンセリングで足りるでしょう。

改善に向かうためにその患者さんに伝えることがあるとすれば、一番ふさわしいことは何であるか、そして患者さん自身が修正しなければならないことは何か、こういったことを提示できることが望まれます。

スキルのある医師にめぐり会うのも大変ですが、だからといってドクターショッピングはもうこれいじょう嫌だという気持ちも十分に理解できます。

そうなるとやはり、自分の気持ち、症状が医師に伝わっているかどうかを確認することが大事になってくるでしょう。

伝えることを伝えてそれを受け止めてもらえないような医師なら受信は考えものです。

私はこれまで、主治医に相談して減薬を検討してもらえるように奨めてきましたし、体調如何では断薬も奨めてきました。

しかし現実には、減薬、断薬については理解を示す医師もおられますが、なかには非常に消極的で否定的な医師もいます。

あたりまえの話ですが、多剤、多量、長期使用によって身体に薬が入れば入るほど肝機能が悪化したり、腎臓を悪くしたり、心臓に疾患が発生したりと、内臓への負荷も大きくなり、身体機能も低下してきます。

このことは減薬や断薬によってハッキリとクライエント自身が自覚できるものですが、こういった事例はこれまでも数知れず確認してきました。

勿論、減薬、断薬はご本人の離脱症状と体調の推移をみながら慎重におこなうべきだということはいうまでもありません。

クライエントさんの心の不安感や恐怖心、こういった部分を正確にサポートできることで安心感がうまれ減薬が可能となってくるものです。

したがって、患者さんの身体のケアと心のケア、そして減薬、この対処が精神的な疾患には欠かせないし、有効な方法と、一つの手段であるということも書き添えておきます。

今回は、精神的疾患、うつ病、躁うつ病、パニック障害、などに対応している心療内科、精神科の現状を批判するために掲載した記事ではありません。

これまで私の院においでになったクライエントさんの事例をそのまま掲載して、医療に対する関わり方を一考いただく機会になればという思いでアップしたところです。

どうぞその点をご理解いただければと思います。

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邪気をもらってしまうということ(エンパス)

霊

感受反応

普段は普通に生活できているのに、人の体に触れることで具合が悪くなることがある、体調不良となる、気持ちが落ち着かず、息苦しさを感じる、胸が苦しい、背中が重苦しい、肩が重くなった、首から頭にかけて締め付けられる、頭痛がする、動悸がしてきた、めまいがする、ふぁふぁする、変な汗がでて気持ちが悪い、等々というようなことを言う人がいます。

あるいはこういった身体感覚が人に触れなくても、他人の傍にいるだけでそうなる人もいます。

また、特定の場所にいたときにそうなる場合もあります。

例えば、学校や、病院、ショッピングセンターなどのように人が大勢いるような集団のなかでそうなる人たち、つまり、体調を崩す生徒や先生もいます。

事例-1

とある小学校に勤務する男性の先生が定期的に体のメンテナンスのために私の院においでになっていました。

彼はいつ来院しても体に随分とマイナスエネルギーを溜めこんでくるのです。

ですから、施術前にはときどき彼を浄化してから施術をスタッフに任せていました。

何故にこれほどマイナスエネルギーを溜めこんでくるのか不思議でなりません。

何となく勤務する学校に問題があるような気がして引っかかります。

思いきって切り出ししてみました。「あなたが勤務する学校に行って様子をみたいのですがどうでしょうか?」と。

「是非お願いします。」ということだったので院が定休日のときに車で40分ほど離れた学校に出向いて校庭を観させてもらい、玄関から入って校内を観させてもらったら校舎の裏側に引かれるように意識が向かうのです。

一旦、外に出て校舎の裏側に回りこんだら校舎の真後ろに大きな墓地があるではありませんか。

ああ~っなるほど。ここの墓地からの霊波動だったんだと納得いきました。

先生にそのことを話したら「校舎内で子どもたちが幽霊を見るといって騒ぐこともあります。」ということでした。

その先生は出勤前になると決まって頭痛がするというのです。

子どもなら学校に行けないとか、行きたくないといって腹痛を訴えたり、頭痛を訴えたりする精神的なストレスからくる症状も考えられますが、先生の場合はそのような様子はまったく考えられないのです。

それから3年ほどしてその先生は転勤になり沿岸のほうの小学校に単身で移動したのです。

久しぶりに院においでになったときに「実は不思議なんですが、転勤になってから出勤前にする頭痛がまったく無くなったんですよ」というのです。

明らかに外部からの見えないエネルギーによって身体に感受反応が出ていたということがいえる事案だと思われます。

さて、感受反応という言葉についてですが、上記のような症状を抱えて内科や婦人科、心療内科で投薬治療を試みたが改善されず、私の整体院に自律神経失調症です、心身症です、パニック障害です、更年期障害です、と言われましたといっておいでになる方々がいます。

ところが現代医学でいうところの上記の症状は必ずしも、自律神経の失調によるものでもなく、心気の不調による症状でもなく、更年期によるものでもなく、精神的トラウマによるパニックとばかりも言いきれないものがあります。

これまで数多くの患者さん、クライアントさんたちを診てきました。

エンパスという言葉について

上記に述べたような感受性の強い人、直感や感覚の鋭い方、周囲のエネルギーを感じやすい人の場合は、もしかしたらエンパス体質かもしれません。

一方、霊媒体質といわれている方、そう思っている方・霊能力のある方も同時にエンパス体質と表現できるかもしれません。

相手の人の気持ちがなんとなく分かってしまう、他人の痛みを自分のことのように受け取ってしまうし、相手の方と同じところが痛む・・・・・・・・・。というようにです。

とりわけ対人間において敏感に感じ取る場合が多いのですが、人によっては動物や植物、自然や宇宙にまでその感覚は広がっていることもあります。

人間関係、場所、などで体や心で感じる敏感な特質、人との共感する意識の高さ、こういったことがエンパス(感受反応)だといえます。

共感する意識の高い人というのはどういうことなのか、それは心優しく、いたわる気持ちが強い人が多いのも特徴です。

他者の心の苦悩、痛みが分かるがゆえに、より心が磨かれて成長してゆくのですが、気をゆけなければならないのは、自分自身が流されないように、心の安定を保つよう精神バランスの調和を常に心がけておかなくてはなりません。

他者の感情に共感したとき、それが自分の意識だと思ってしまうことは、他者と自分の感情を混同してしまうことになって危険性をももたらし、自分自身のバランスの取れた精神生活を送ることが困難になりかねません。

偏りなく、拘りなく、執着せず、調和された心をしっかり持つことの大切さはここにあります。

また、これまでの直感力や共感する心、そして体に感じる上記のような感受反応を「気のせい」として片付けたり、誰かに相談しても取り合ってもらえなかったり、おかしいんじゃないの?などと言われて悩んでいる人も少なくないと思います。

体には特に医学的な疾患がないのに上記のような身体症状が時々あるという人たちでも、その様子を詳しく聞いて確認してみると、エンパス(感受反応)の体質として敏感である場合が多々ありました。

そしてその真実を知ることで対処法を教え、上記症状が回避できたり、改善できたケースが多くあります。

私自身の事例で言いますと、患者さんが何かしら重篤な病気を抱えてきたり、心に重大な問題を抱えてきたり、あるいは霊的な問題を背負ってきた場合、身内に不幸があったばかりの時、結構な体調不良でおいでになったときなど、その患者さんが駐車場に着いた瞬間にその人の状態が良くない状態であることがわかるという場合が少なくありません。

その患者さんが駐車場に着いた途端に私の胸に強い衝撃がくるからです。

その衝撃が強い場合はドンッと心臓までショックが走ります。

気分のいいものではありませんが、長年そういう状態が続いたこともあって慣れてしまって動じなくなりました。

当初は自分の心臓に病気があるのではないかと思って、24時間の心電図と心臓のエコー、脳波検査、CT検査をしたのですが、何ら病気が発見されることもなく、健康な心臓だといわれたのでした。

ある日、過去にガンを何度も手術したけどまた今度手術の予定が入ってるというご婦人が尋ねてきたことがあります。

彼女は二時間30分、相談なのかなと思いきや、自分の一方的な話しを延々とまくし立て、身内への愚痴と怒り、夫への不満、自分はあの人たちにあれをしてやった、これをしてやったと常に自分が正しいと自己主張し、昼の時間をとっくに過ぎているのにそれを気にかけることもなく、最後まで自分の話しだけをして帰られました。

私はこの女性と対面しているだけで体から汗が噴き出ているのがわかりました。

そして同時に、私のエネルギーを猛烈なスピードで吸収されていることも実感していましたし、彼女の心と身体から発する不調和な精神エネルギーと、その身体の邪気が私のエネルギーと交換されているのがわかっていました。

私は彼女が帰られた後に十分に自己浄化をしたのですが消耗したエネルギーをチャージしきれていなかったのです。

その日の深夜2時、胸の苦しさからいきなり目が覚めたのですが、案の定、心臓が不整脈を起こしました。

拍動がドンドンと強くなり、脈が止まったり、早くなったりを繰り返すこと30分くらい続いたのですが、これが非常に気持ち悪く生きた心地がしません。

当然、自己浄化を繰り返し、腹式呼吸を繰り返し、身体が落ち着くのをひたすら耐えて待ちます。

サンリズムというお薬は循環器科ではよく処方される不整脈のお薬ですがそれを飲んでも私の場合は殆んど効果はみられません。

こういった身体の変調を経験した当初は、心拍数が120、強度の拍動、血圧上昇というあまりの苦しさに耐えきれず、初めての経験ということもあり、救急車を呼んで搬送され不整脈専用の点滴を入れて落ち着いたということがありました。

しかし、先に述べたように検査しても何も問題がなく、心臓疾患がみつからないのです。

こういうような不調は、疲労が極限に到っていることに加えて、他人からの邪気を目いっぱい被ってしまったこと、そして自分のエネルギーを使い過ぎたときに限って発生してきたことが何度も同じ体験をすることでわかってきたのです。

「治療家は短命だ」という話し

私の知っている治療家で52歳という若さですい臓がんで亡くなられた整体師がいますが、彼はとても腕のよい治療家で、朝から晩まで一人で仕事をしていましたが、来院者が絶えない忙しい毎日をすごしていました。

どれほど腕が良くても52歳の若さで他界は早すぎますし、とても残念なことです。

なぜ治療家は短命といわれるのだろうか。

実は医学的な根拠も、証明もありませんが、ハッキリと私自身が体験して言えることは、見えないエネルギー、つまり人間の体に溜まったマイナスエネルギー、不調和な心の波動エネルギー、邪悪な霊的波動エネルギーに常時関わっているために、どうしてもそういったマイナスエネルギーの影響を自分の身体に溜め込んでしまうというリスクは免れないということが挙げられます。

エステサロンで仕事をしている人が疲れきって来院したときに話していましたが、「どうしても直にお客様の体に触れるために、邪気をもらって体が参ってしまう」と。

こういう来院者には自分がもらったとき(被ったとき)にどのようにしてその邪気、マイナスエネルギーを除くのかを確認して、その方法を知らない方には私なりの方法を伝えるようにしております。

実際に私自身が体験したことですが、だいぶ前の話しです。

患者さんの体に触れた途端に一気にマイナス波動を被ってしまい、胸が苦しくなって意識が遠くなり、その場に倒れてしまったことがありました。

れも同じ患者さんに二回とも同じ経験をしたのですから単なる疲労ではなく、霊的背景による影響であること、マイナスエネルギーの作用は否定のしようがありません。

この患者さんは糖尿病を患い、血圧が高く、後には、身内に自殺した方がいるということが分かりましたし、夫婦関係が非常に良くない状態であることも聞かされたのです。

私が倒れて意識が遠のくなかで、患者さんは大丈夫ですか?と声を掛けてくれていたのは分かっていましたが、その声がはるかに遠くに聞こえ、自分は完全に血の気が引いて真っ青になって倒れこんだようです。

このまま死ぬかな?と思いました。当日はそれ以降の施術はできませんでした。

事例2、20年近く前でしょうか、患者さん(40代の女性)の問診を終えて施術を始め、一通り終わってから私は何故か仰向けになっている患者さんの額に手のひらをかざしていました。

何故か私自身の胸に悲しみが溢れてきてやりきれないきもちになった。

なぜそういうことをしたのか自分でもわかりませんし、普段はそういうことを全くしないのです。

患者さんは仰向けの状態で目にいっっぱいの涙を浮かべて肩を震わせて泣いています。

「どうしました?大丈夫ですか?」

「先生は私が何も言わなくても解るのですね。」(実は何もわかっていません)

「何があったのかわかりませんが、とても悲しく苦しいことがあったのですか?」

「主人が亡くなってまだ日が浅いものですから」

「そうでしたか。それはお気の毒に、辛いですね。」

「なんだか分かりませんがとても気持ちが安らぎます」そう言ってまた涙を流していました。

施術が終わったときの患者さんのお顔が明るい表情に変わっていたのは嬉しかった。

私が質問したわけではありませんでしたが、彼女は自分から話してくれた。

ご主人が会社の経営に行き詰って自ら命を絶ったことを。

治療家が健康であるために

整体師、カイロプラクター、柔道整復師、あん摩マッサージ師、鍼灸師、エステテシャンなどのこういった治療家、療術師の場合、先に述べたように、どうしても相手の負のエネルギーと関わることになりますからその影響がないという訳にはいきません。

ということは、先ずは、施術後の自分自身の状態をよく把握することが自分の体を健康に保つ条件であるといえます。

施術前の自分の状態と施術後の状態の違いを意識するところから始めることです。

そういう習慣をしっかり忘れないで心掛けていますと、いつかはその違い、変化に気づくようになってきます。

微細な違いをハッキリと自覚できるようになってくるし、自覚できるようになってくるといい状態を維持したいと思うようになってくるものです。

こういう肉体感覚てきなことから始まって、やがては触れなくてもその人の持っているエネルギー状態が波動となって自分に伝わってくることを認識できるようになってきます。

ここでいうエネルギー状態というのは、その人の体から発するエネルギーや、精神状態から発するエネルギーや、あるいはその人に関連する霊的な背景からくる波動の事です。

治療家、療術師はこういったエネルギーの作用をよく理解して、それに対処できるような知識と技術を学び、実践していくことが自分の健康を維持しながら短命にならずに長寿で、長く現役でいられることにつながると思います。

私自身も定期的、且つその都度ケアを怠らずに、疲れを取るための時間はもうけるようにしています。

スタッフの皆にも、仕事ばかりではなく自分たちでお互いに声を掛け合って、わずかな空き時間でも利用してメンテナンスをするように指導しています。

同時に体のケアはお互いに施術しればよいことですが、そうでない部分でのケアについても自己浄化を率先して行うような指導をしてきました。

しかし、何事もそうですが、エンパス体質やそうでない鈍感な体質でも、先に述べたように、施術前と施術後の自分の体の変化を意識するようにしていると徐々にその変化に気づくようになってくるから不思議です。

このエンパス(私は感受反応といっています)については早い時期に感じてわかる人と、そうではなく相当に年月が経ってから感じ始める人がいることもわかってきました。

最初の頃は「さっきの患者さんを施術してどうだった?」ときいても全く他人事のような顔をしていたスタッフが今は、「先生。あげてください。」というようになってきたのです。

自分で自己浄化をして上げきれないとわかるとこうしてお願いしてくるのです。

すぐに浄化をしてやりますと、「あ~楽になりました。」という。

ようやくクリーンにしておくことの大切さに気付き始めたわけです。

一般的に、整体師もカイロプラクターも一人で仕事をされている院が多いかと思いますが、そうすると自分自身の体のケアは疎(おろそ)かになりがちなものです。

かつては私自身が一人でやっているときは他院に行って施術を受けてはいたのですが、その頻度はとても少ないものでした。

少ないというのは、仕事の内容からして疲労が相当に蓄積されている事に対する不足という意味です。

一日に10人から15人くらいも施術をすれば相当な疲労が溜まってきます。

一人45分で手抜きなしのガチンコ勝負という感じで、ソフト、レギュラー、ハードで区別するならハードな手技でやっておりましたから結構な疲労がありました。

そういう辛さを経験しているからこそスタッフには自分たちのケアをしっかりやりなさいよと指導しています。

エンパスはあらゆる場所でも起こることですし、誰もが少なからず経験していることだろうと思いますが、その身体感覚には程度の差があるだけで気づいていない人たちも多くいることでしょう。

また、エンパスとしての身体感覚があってもそれが感受反応からくる身体感覚だと気づいていないか、もしくは知識として知らないだけの人もいると思われます。

このエンパスという感受反応は、ともすれば病気による体調不良だと思っている人も多くいましたし、病院に行って症状を話せば大体は、更年期障害、自律神経失調症、心気症、心身症、パニック障害、うつ病、といわれて向精神薬を処方され、体に依存性ができてしまい、長期にわたって副作用に苦しんでいる場合が少なくないようです。

次回は霊的なことについて少し触れてみたいと思います。

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不登校・2・大人の対処

2

不登校に関しては様々な理由があり、その原因や対応の仕方についても親や学校がそれぞれの立場で冷静に誠意を以って対処していかなければならないと思います。

この問題はとても大切な事だという認識から、今朝は過去に取り上げた記事を一部編集して再度掲載させていただきます。

いじめなどの対外的理由の如何を問わず子供たちの不登校の問題を解決していくためにどうしても考えてみなければならない最終的、かつ大きな難問が親子関係であり家庭環境だとつくづく思わされます。

親はよく自分達にできなかったことを子供に託して、子供の意思に沿わないことでも、その希望を果たそうとする傾向があるひともおり、社会の一般的傾向や教育や、虚栄心による子供への束縛を原因として家庭が不調和になる場合があります。

肉体は確かに親が与えたものです。

しかしその心までは両親の与えたものではないということを知らなくてはいけない。

全くの親子であっても、心は個の生命であって、相違があって自然なのでしょう。

なぜなら、心も親が与えたものであり、親の分身だと思うなら、その思考性や行為のすべては同じでなくてはならないからです。

残念なことに、一定の年齢になってくると自分の主張をし、親のいうことを利かない子供が多い事実を考えなくてはなりません。

従って親達の、子供の環境や教育についての育成は、溺愛でなく、家柄や利己的な考えを捨てた純粋な心からの愛でなくてはならないということです。

地位や知識が高く、子どもたちを指導する立場にある人でも、私生活では必ずしも心やさしく、家族や縁者から尊敬されているとは限らず、逆に社会的には立派な職業といわれる仕事に就いていながらも人間としての温かみのない、どこか冷たささえ感じさせ、近づきがたい人もいます。

子供が子供自身の思った通りの道を歩きはじめると、ご両親の中には『あんなに可愛がって育てたのに、親の恩を忘れて、親不幸をしている』などと嘆く人もいる。

これは単なる文章ではなく事実に基づいて記述させていただいていることです。

しかしこれも親のエゴイズムでしょう。

報いを求める、そんな心を言葉にするぐらいだから子供達は自分達の真実の道を求めて去ってしまう。

こうして親との間に距離ができていくのです。

親子相互の対話の不足を考え、子供の人格を認めてやることも親の愛であろう。

対話のない家庭、親のエゴを優先した家庭の中には孤独な子供達が育ってしまう、これも現実です。

両親は、『与えた』と思う心があるから、親の尺度ですべてを計り、子供を叱りつけます。

親の意志に反したことをすれば、きびしく怒り、肉体はおろかその心まで束縛してしまう。

大人は、こうしたことを良く考えて、子供達を指導することが必要でしょう。

最も自由自在の中で、良く心の在り方を教え人間としての道を教え、感謝と報恩の意味をさとし、両親が自ら、行うことの大切さを示した生活環境を造り出すことが先決ではないかと思うのです。

純真な子供心を、素直に育ててやることが、より良い豊かな心を大きく育てる道、これが本当の愛情と思われてなりません。

相談をいただく度に涙を流す子供の悲痛な心の叫びを思うと胸が張り裂けそうな思いがします。

きびしく叱ることも、偏りのない判断によるものであれば、その真心が子供心に響くことです。

大事な場面で親の感情というエゴをもって怒ってはならないし、溺愛によって過干渉になってもいけないでしょう。

子供と親の対話、日々の行動が、心の交渉が、愛の心をより豊かに育てて行く。

子供の心もそこではじめて広く人々と溶け合うようになり、自分自身の心を磨いて行き、円満な人格を作って行くのである。

また先走ったおせっかいもやる気を失わせ距離を作る要因となるから気をつけなければならない。

親が子を放任し、正しい道をその愛情によって示さない生活の中で育てられた子供達は、気の毒といわざるをえない。

たとえば学校の成績ばかりを気にしている親の心が自己慢心にしかすぎないということに気づいていない。

心の中の知識の領域だけが発達しても、心にゆとりがなく情緒のない人間は、人生での正しい判断すら決定することはできない大人になるであろう。

智性は、人生をいかに正しく生きるかという、調和した生活をするための早道であって、自己保存、自我我欲の道具ではない。

『智策、智に溺れる』の愚を犯してはならない。

知性理性本能感情、そして想念の領域が調和された、円満な人間に成長することが最も重要である。

試験、試験の人生は、自己保存的な、偏った人格を造り出し、人間本来の心を失ってしまう結果にもなってしまいかねないから心しなければならないでしょう。

また本能的な領域だけが発達しても、不調和な人格を造ってしまうものである。
いずれにしても心の不調和が、想念に曇りを造り出し、心の病に発展しているケースの多くをみてきました。

心の病は自身の問題ではあるがさかのぼると幼少時の家庭環境にまでたどり着くのである。
不調和な満ち足りぬ心の病いは、調和された生活以外、修正することは不可能であり、 根本的には薬で治るものではない。

実際に、不登校状態にある子どもを心療内科に連れて行って向精神薬漬けにされていた子どももいますが、無知な親にも責任があるだけではなく、そういった薬を処方して服用するまでは何もなかった副作用に苦しませるビジネスライクな医師にも大いに疑問をもってしまいます。

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涙の必要

きょうは過去に投稿した記事を少しだけ手直しして再度アップさせていただきます。

以下。

海

陸地と海の比率は29:71といわれていますが、これは地表測定と海面の測定から、約7割が海と考えて差し支えないでしょう。

その海ではどれほどの人たちが漁をして生活をし、その恵をどれだけの人たちがいただいているのだろうか。

ほとんどの人たちがそうであるように、そのおかげで私も命をつないでいられます。

海は多くの生命が育まれる源でもあり、その恩恵は計り知れないもの。

その水平線の彼方に顔を出す太陽の輝きは、それ以上に私たちに多くの恵を施してやまない。

そんな太陽から学ぶ愛の本当の姿は無償という言葉で心に響き広がります。

お腹を痛めて産んだ赤ちゃんが、お母さんのオッパイに吸いつき、お母さんはその姿に優しい笑みを浮かべているだけ。

与えて喜び、いただいて満足する母子の姿。

きっと、無償の愛の原点はここに始まるのでしょう。

親子だから無償の愛が為せる?

他人だからそれができない?

違います。

無償の愛が為せる人は、自他の心に境界をつくらない。

心から嬉しいとき、どうしようもなく悲しい時、やりきれないほど淋しい時に涙をながすことは悪い事じゃないし、恥ずかしいことでもなく、負けでもないから我慢することはない。

もうすぐ3月で春と共に別れの季節がやってきますが、ここにもたくさんの涙がある。

そして、4月は新たな出会いがはじまり、心にも桜の花が満開となる。

どんな辛いときも、涙を流せば心の曇りを一緒に流してくれる。

涙は、胸の内に抱えきれなくなった感情を表に解き放ち、心のバランスを図ってくれる。

空の雲もやがて雨となった後には澄み切った晴れの大空が広がります。

だから涙を流すことはとても必要なこと。

涙は心に元気と勇気を取り戻してくれる。

涙は命の源。

涙は元気を育む一滴の海。

涙は世界で一番ちいさな海。

走っても、歩いても、一日は一日。

走ってばかりじゃ疲れきってしまうし、動かなければ進めません。

歩いたり、走ってみたり、立ち止まってみたり、ときには戻ってみたり、自分のペースで過ごせればそれでいいじゃないですか。

どんなに体が辛く心が萎(なえ)ても、どんなに自分に嫌気がさしたり、自分を否定したりしても、自分を必要としている人がいることに気づいてほしい。

あなたの身に何かあれば寂しく思い、悲しみに涙する人もいることを忘れないでほしい。

みな必要だからこの世に生まれてきたのであって、必要でない人は誰もいない。

身体の病気、心の病気で動けない、働けないのは実は天がくれた休息の時間。

昇る朝日を浴び、しずむ夕日に照らされてみると、

生きることの勇気や淋しさ、孤独、悲しみを強く心に感じるのは心が生きているから。

太陽から頂くもの、海からいただくもの、山野からいただくものはいつも無言の働きかけ。

静かに向き合わないと、そのことには気づけないで過ぎてしまう。

動いてばかり、走ってばかりじゃ気づかない。

無言の働きかけは太陽だけじゃない。

お月様も同じ。

夜空の星も。

満月も三日月もとてもきれいです。

感じる心は生きています。

野花

野の花一輪だって誰に注目されずともひっそりと花を咲かせている。

そう思うと身の周りの全てが愛おしく有り難く思えてくる。

朝の陽に 何がおわすか しらねども ただ有り難く 涙あふるる

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無力なのではなく無気力になっているだけ

OSK201002210007

どうにも気持ちが乗らない時ってないだろうか?

例えば仕事に取り掛かっても、モチベーションは上がらず、しまいには仕事が片付いても片付かなくても、どうでもよくなっている。

友人と遊びに行っても仲間だけ盛り上がっていて、自分は冷めたまま……。

このように意欲、感情、情熱がスランプになってしまった状態がある種の無気力状態。

無気力が長引いたら危険!

一時的に無気力になる事は誰もがよくあることで珍しいことではない。

でも無気力が長引けば深刻な悪影響が出やすくもなってきます。

「能面のような」という言葉イコール「無表情」の代名詞として使われてきました。

能面の特徴は、表情があるのかないのかよくわからないように感じるだけに何かしらその奥に潜む深い喜怒哀楽、表面からはわからない人生の機微があるように思います。

A君20歳と面談してすぐ私の心に浮かんだことは、能面だった。

なぜ能面なのかというと、A君にはごく普通の目の動きや顔の表情筋の動きというものが感じられないからだ。

いわゆる表情がない状態。

語りかけても返事がこないし、片言の言葉を発するのに沈黙が続いて待っているという状況だった。

何が20歳の彼をこういう状況にさせたのだろうか。

勿論、心療内科の向精神薬を服用はしているのだが、薬の副作用だけではない寡黙さに大いに疑問がある。

「はやく服を着なさい、はやく学校に行きなさい、早くご飯を食べなさい、早く宿題をかたづけなさい、早くお風呂に入りなさい、早く寝なさい」これが一日繰り返され、毎日繰り返される。

とにかく忙しく、スピードが要求される子育て。

まるで呪いをかけて呪縛しているに等しい。

ブログを読んでくださっているあなたが子どもの頃はどのような環境だったでしょうか。

一般的に、子どもが幼いころは親のいう事をよくきくし、親の言うとおりにするものだし、また、させることが多いものですが、しかし、小学校高学年から中学生ともなると、しっかり自我が芽生えてきて必ずしも親の言う通りにはならなくなってきます。

男子の場合は中学生ともなるとお母さんの対応ではなく、お父さんの出番が必要となってきます。

お父さんが子供の躾や教育に関して、妻に「子供のことはお前に任せるから」という無責任なことを言う人ほど自分勝手な行動をしている場合がある。

それに伴ってお母さんの責任感が過干渉となりかねず、そのことが子どものやる気を失わせ、自立心の芽を摘んでしまい、やる気の邪魔しているようなこともあります。

子供が望んでいないことを親が先走って、何でもかんでもお膳立てしてしまうと、やがては無気力な子ども、物事に無関心な子供、必要な時に自分の意思で行動できない子どもがつくられていく。

こういった弊害はこれだけでは済まない。

子どもが社会に出たときに、まったくこれまでの家庭環境とは別な環境に戸惑い、対応しきれず、人間関係に円滑さを欠くことの根本的な原因となって社会生活に支障をきたす場合があり、それが「うつ病」を発症するきっかけになることもあります。

失敗したってまだ20代じゃないか

A君20歳は、朝は起きれない、夜は眠れない、日中は無気力状態で何も手につかず、行動をすることに不安感と、時には恐怖心さえもって悶々とした生活をし、やがては自己嫌悪に陥り、自分は無力だ、と将来への絶望感だけが頭をグルグルと巡るようになっていた。

自分は死んだ方がいいのかな。いないほうがいいのかな。と考えるときがある。

こうなると危険な信号を発していると受け止めなくてはならない。

根気よくA君に話をさせるように誘導し、ようやく聴きだした言葉が、

「今までは親や周りが何でもやってくれて自分の意思は何もなかった」というこの一言だった。

A君の今の状況からして、これまでの親子関係、家庭環境がこの一言で全て語られた気がした。

お母さんに来ていただき、日を改めてお父さんにもきていただき個人面談をしてお願いした。

「今後は全てに関して息子さんの意思で行動させてやってください」と。

A君は、就職に関して自分で行動することに躊躇して一歩が踏み出せないでいた。

ミスがなく、完全にやろうとする気持ちが先走り、失敗したらどうしようとか、自分にできるかなとか、仕事は厳しいのかなとか、タダタダ不安を募らせて臆病になっていた。

20歳の青年が初めて就職をするのですから多少の不安は当然のことでしょう。

その気持ちは十分に理解できる。

しかし、その不安も、まるで一生が決まるが如くに大げさに考えてしまって足元がすくんでしまっては一歩どころではありません。

君は元々物事に対してあまりにも拘りが強くて自分で心の自由をなくして苦しんできたことが過去に度々あったことを話してくれた。

私はA君に話した。

一歩を踏み出す勇気がある人、無い人、この違いは何だろうか?

敢えて言うなら、人間は危機感がないと前に進もうとしないところがある。

あなたは親や周りが何でもやってくれたから自分から踏み出す必要がなかったのでしょ。

渡らなくても良い橋ならば勇気を出して渡る必要もないかもしれない。

でも、その危険な橋しか渡る事が許されないなら、一歩を踏み出すしかない。

ここに必要なのが「勇気」でしょ?と。

失敗した時の自分のみじめさを考えるから不安が生まれる。

リスクを恐れるから不安が生まれる。

つまり、結果に拘ると、一歩を踏み出す勇気が影を潜めてしまうでしょう。

慎重も過ぎれば恐怖心にまで発展して歩みを止めてしまいます。

その意味では慎重な人のほうが踏み出しにくいところがある。

結果がどうなろうが、命までとられる訳じゃなし、一歩を踏み出すことが自分の意思で生きる人生になることを話した。

失敗したって20代じゃないか。

ときには絞り出す勇気が必要なときもある。

勝ちも負けは それほど大事なことではなく

実は小さなこと

もっと大事なことは

どれだけ真剣に取り組んだか!

帰り際の彼の表情は本来の自分の顔となり、うっすらと笑顔がみえた。

辛くなったらまたいつでもいらっしゃい(^_^.)

青年よ、逞しく生きてほしい。

命

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