体からのメッセージ「休息」
治療より優れている静寂
多くの人が一生の間に何度も、余暇を楽しむのとは違う意味での「休息」をとっていると思います。
むしろ『休止』といったほうが正確かもしれません。
だが一般的に休息というのは、自分からすすんでおこなった休息ではなく、病気や怪我でやむをえず休むということが多いのではないだろうか。
私自身も病気ではなく疲労によって倒れたものではありましたが、過去において丸三年間、身体を使えないという状態で休息を否、休止を余儀なくした経験があります。
病気というのは往々にして、体がわたしたちに「立ち止まりなさい」と語りかけている証ではないかと思うのです。
やらねばならないことが多すぎて、心がもう限界だと悲鳴をあげている証拠でもある。
もちろん、すべての病気がそうだというわけではなく、ただ単に身体だけの疾患という場合もあるでしょう。
だが実際にはかなりの割合で精神のアンバランスと身体の連動で病んでいることが多い。
病気というのは、「もしあなたが自分で立ち止まろうとしないのなら、わたしが何として
も立ち止まらせてみせましょう」と体が言っているのに等しいかもしれない。
いくら意思が強く、頑健な人でも、病気にさからったら、ひとたまりもない。
さらに病気は、「休息」の中ではもっとも悪化をたどることができない。
体の具合が悪ければ、注意力・判断力は低下しているし、周りのことに気がまわらないだけでなく、人が関わってくることさえも苦痛になってしまう。
そんな状態では目標に向かって進んでいこうという気持ちなど起こりようがありません。
ただ横になって「早く治って、元気よくなりたいな」と考えることが精いっぱいのときもある。
わたしたちの肉体は、わたしたちにさまざまな症状で語りかけてきます。
日頃から静寂の時間をもつようになると、病気になる前に、体が発するサインが理解できるようになってくる。
これはとても重要なことだ。
しかし、休息する時間、静寂に身を置くことを習慣づけていなと、なかなかそれが察知できない。
鋭利な感覚や、感性は静寂のなかで磨かれる場合が多いからだ。
したがって、冷静に、そして静かに身体の声を聴く習慣が身ついていれば、病気になるパターンを理解し、体のどの部位が痛みや、疼痛、かゆみ、苦しい、違和感、を訴えているか、それがわかるようになる。
この背中の痛みは、何を語りかけているんだろう?
この胸の苦しさはどういうことなんだ?
背中が張りすぎて胸の苦しさになっている場合が多い。
この手のむくみや顔のむくみはなぜなんだ?
単に手や腕の酷使に起因する場合もあるが、腎臓や心臓の影響による場合もあるし、アルコールの過剰摂取に起因する場合もある。
こういったさまざまな症状でも、冷静に自問自答してみることで原因がつかめる場合が少なくない。
うろたえて救急にいって「何も問題はありませんよ」、といわれてお薬を処方されないことに不満そうな顔をして帰ってくることもあるでしょう。
立ち止まってみれば、いまの自分の健康状態がわかるようになり、体をいたわるようにもなってくる。
だから、さまざまな病気を予防することができるのだ。
休息を取ろうとしない、できない、したくない、人によって事情はあるでしょう。
極論かもしれませんが、考え方によって、言い訳は、うそより悪質で恐ろしいところもある。
なぜなら、言い訳はうそを守ってしまうからだ。
でも実際には病気になったり、怪我をすれば休むしかない。
だが、病気でも、怪我でもないのに休むのは、理由づけがなかなか難しい。
休息するということは、決心が必要だし、はっきりした動機と勇気が必要になってきます。
なぜなら、「休息」は、ある一定期間やすむことになるからだ。
逆に、休息しないための言い訳は無数にある。
「今日は一日やることがたくさんある」
「休んでなんかいたら、家族、仕事、あるいは社会から長いあいだ離れてしまう」
「お金がかかりすぎる」
「金銭的に余裕がない」
ところが金銭的に余裕があったら休息を取るのかとなると、必ずしもそうではない。
このように、人によって理由はそれぞれたくさんあるでしょう。
だが、休息ということについて、私がいちばん恐れを感じているのは、たぶん私自身のように思います。
過去、三年間体を使えなかったときに、一番恐れたのは、私自身が動けないということに対する焦り以外のなにものでもなかった。
休むことを知らずに突っ走ってきたことが、どれだけ私の無理な生き方や、身体の酷使になっていたか、それが当たり前のような生き方になってしまっていたかを思い知らされました。
私が休息を取ることもなく、ただただ突っ走った理由、
それは、わたしは自分の人生を十二分に生きたかった。
日々が真剣勝負とばかり気負い過ぎていた。
だが、実際に倒れて身体の自由がなくなると、当初の数か月は先の見えない真っ暗な闇のなかに落ちた気分だけが支配していました。
しばらくは絶望感が心を支配してただただうろたえているだけで、奈落の底で迷妄するわたしは、朝、暗いうちに目が覚める。
心の奥底ではすでにわかっていた。
自分がいちばん望んでいた「休息」をしてこなかったことについて、倒れるまでそのことの大切さを心に深く落していなかったし、行わなかったのである。
休息できなかったというほうが正しいかもしれない。
倒れた後の三年間は、人生において何が一番の重大事であり、かつ精神的に大事なものであるかということを思い知らされた。
休息することが怖いと思っている人たちも多い。
いろんなしがらみがあって自分の思いだけを通すことが叶わない状況も、条件もあるでしょう。
大切なことは、自分のおかれた環境下で最大限の時間をどうつくり、どう活かすかである。
休息を生活に取り入れている人は、精神面を優先させる人である。
このブログを読んでくださっているあなたが50代、あるいはそれ以上だとしたら、「改めるに時が遅すぎるということはない」という心をもっていただきたい。
あなたにとってはいまこそ、自分がどういう人間か、自分にとって大事なことは何か、それを見つけ出すのに打ってつけの時ではないだろうか。
何事も「今」が大切かと思います。
休息は、自分自身への愛情表現の一種、親切心のあらわれである、と言ったら、あなたは賛同してくれるだろうか。
本当はそうなのです。
だが、もし「自分自身を愛する」ためだけに休むわけにはいかない、と思うなら、次のように考えてほしい。
「休息は、自分だけではなく、ほかの人たち、広くは社会全体に寛容と親切を示すことになる」と。
休息によって、あなた自身が精神を集中し、冷静な心を持つようになれば、知的な感性も磨かれ、あなたは世の中にとって、とても役に立つ存在になれるでしょう。
なぜなら、そうなったあなたは、ほかの人たちに大いなる恵みを与え、歯車の狂った現代社会に穏やかさと安らぎを与えるようになれるからだと思うのです。
わたしたちは、他人に親切にすることには慣れているが、自分が親切にされることには意外と不慣れでもあります。
見方を変えると、相手から愛情表現をされるのが苦手なのだ。
だが、休息を実践している人は、自分に向けられた寛大さや、愛、施し、気遣いに気がつくし、それを正しく受けとめられる。
だが忙しく、いつもあくせくしていて、ストレスのたまった人には、心の余裕などなく、そういうことはでききにくい。
愛情は人間同士の関係です。
私たちが沈着冷静で穏やかな性格、言葉づかいになれば、ほかの人たちもそれを手本とし、あなたのような人になろうと心がけるだろう。
「休息」の邪魔になること
仮にあなたが、「生活の中の一定時間をほかの目的に使うことにした」と宣言した場合に
周囲の人たちがあなたのことを「どうかしてしまった」と見なすこと。
たとえば友人たちは、こんなことを言うかもしれない。
「そんなに長期間、家族を放っておけるものかね? できるもんなら、このわたしだってやりたいよ」
「金持ちだから、そんなに長いあいだ休んでいられるんだ」
「彼女が引きこもってるって?・ 気はたしかかい?・アルコール関連の病気じゃないの?」
そしてあなたの子どもたちはこうだ。
「ママ、そのあいだ、ずっといなくなるの? お料理は誰がするの?」
「パパ、大丈夫? お医者さんに診てもらったら?」
そしてあなたの両親はこう言う。
「時間のむだづかいじゃないのかね? きちんと働いたほうがいいな」
「休息」はどのくらいの期間が適当だろうか
その答えは、あなたの心身の状態、現実に休める時間、そして「休息」に対する真剣さ、これらを総合して考えてみれば、答えは自然に出てくる。
一般的には、長ければ長いほど休息の効果は大きい。
そして、休止にはたいてい犠牲がつきものです。
時間的な犠牲はもちろんだが、時には経済的な犠牲もつきまとう。
だがこの貴重な犠牲を払えば、信じられないくらいよい成果が得られる。
休息した場合の成果とは、
「あなたの生活全体が、自分の望む方向に進んでいるかどうか確認できる」ということ。
一日、あるいは数日間で得られるとすれば、なかなかの成果だと思うが、いかがだろうか。
まとまった休息を取れないというのであれば、日々のなかで少しは静寂のなかに身を置く時間を工夫してつくること。
これだけでもこれまでとは全く違う一日が過ごせるようになってくることは請け合いです。
心の健康、身体の健康は静寂の時間によってチャージされることを私の体験からお伝えしたい。
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