供養


額から玉汗を流しながら夏の暑い盛り、膝の痛みに耐えてひたすら歩くS.Sさん66歳(主婦)は、お遍路さんとなり四国霊場八十八か所の巡礼をしていた。
S.Sさんは仲の良い最愛のお姉さんを亡くして、涙に暮れる日々を送り家族も心配するほど沈んでいたのです。自分でも睡眠薬を使用していて、うつ病状態だといっている。
八十八か所の霊場を回り、行く先々のお堂に安置される仏像の前で、しばし合掌瞑目する後姿を想像すると傷ましくさえ思える。
巡礼から帰った彼女は膝の痛みに耐えかねて治療にみえた。勿論、初対面のため事の経緯は知る由もないが、体に関する問診の時点で彼女が背負っている心の悲しみと、見えない存在を私は既にキャッチしていた。
尋常ではない悲壮な状態であるが、しかし、その内容はとなると一般的に傍目(はため)からは知り得ないことです。
膝の施術終了後に別室に招いて事のいきさつを聞かせていただいた。彼女は泣いた。泣いた。
私は問いかけた。
観童ー『S.Sさん。あなたの悲しみの身代わりはできませんが、十分理解できますよ。ところで、あなたが思う供養とはどのようなものですか?』
S.Sさんー『家では毎朝、仏壇に供え物をして、経本を読み仏さんを拝んでいます。』
観童ー『話は変わりますが、あなたが子供たちに希望する親孝行とはどのようなものですか?』
S.Sさんー『家族が仲良く平和であれば後は何も望みません。』
観童ー『その思いは今も、あなたがあの世に行っても同じですよね?』
S.Sさんー『はい。そうです。』
観童ー『ということは、何も要りませんよね?』
S.Sさんー『はい。子供や孫たちが皆しあわせであれば、それで満足です。』
観童ー『あなたがあの世に逝ったあと、意味のわからないお経をあなたのためにと子供たちに読誦(どくしょう)してほしいですか?』
S.Sさんー『いいえ、思いません。』
観童ー『あなたも望まないことを今まで亡くなったお姉さんの為にと思って意味の分からないお経を唱えてきましたよね。あなた自身が望まないようなことを故人の為にすることは果たして、親切でしょうか?亡くなったお姉さんはお経を望んでいると思いますか?お姉さんは生前にお経の意味を知っていましたか?』
S.Sさんー『。。。。。。。(ー_ー)!!』
観童ー『本当の供養は、故人の意思を尊重して思いやることだと思えませんか?』
S.Sさんー『その通りですね。』
観童ー『あなたが毎日、毎日、お姉さんのことを思い悲しみ、心までうつ状態になっていたらあの世のお姉さんは、あなたの姿をみて悲しむだけなんですよ。お姉さんが一番うれしいのは、あなたが心穏やかに健やかに生きることなんです。数十年後にはあなたもお姉さんと同じ立場になるのですよ。その時に、あなたの子供たちや孫たちが毎日、毎日、悲しんで泣いてばかりいたら、あなたもあの世で切なく哀しくなるでしょ。』
S.Sさんー『初めて大事なことに気が付きました。』
観童ー『あなたは真の供養の意味を知らなかったために間違えていただけです。これからはあなた自身が心健やかに生きることを考えてくださいね。』
S.Sさんー『はい。ありがとうございます。』亡くなったお姉さんの霊もそばで聞いて涙していた。
こんなやりとりを1時間ほどしてたくさん涙を流したが顔に少し笑顔が見えた。
S.Sさんは現在、心身共に健やかに日々を過ごしておられます。
先祖供養の真意を知り、人は何のためにこの世に生れて、何の為に生きるのか、そして誰もが迎える死をどのような心構えで受け止めるのかを学び知ることは人生を良きものにするためにも必要なことでありましょう。
日本の国はおおよそ葬儀は仏式であろうが、これまでの因習のために、どこの家庭でも供養という美名のもとに仏壇の前で訳のわからないお経をあげ、線香や供物や灯明や金銭などを供えてきた。しかし、これで個人が成仏できるか否かは全くの別問題であることは殆んどの人々が知る由もない。
事の真実はというと亡くなるまで何かにつけて執着して囚われていた心の人間が死んだ途端に悟って成仏することはありません。
生前は言葉も荒く、行動も自分勝手な自己中心的な心の人間が死んだ場合、4次元世界に移行したからといっていきなり成仏はできないのです。4次元のあの世は何段階にも分かれていて魂のクリーン度(執着度)によって行く世界が異なります。
執着度とは不満、愚痴、怒りからくる心の不調和のことです。偏った心はそのまま執着となります。煩悩という言葉がそれです。調和とは右にも左にも偏らないバランスのとれた心の状態をいいます。中道という言葉がそれです。
従って、心の不調和な人の魂は自分のレベルに沿った次元のあの世にしかいけません。
このような魂は私たちがいくら形骸化したお経をあげようが心に届くことはないのです。
それがあの世とこの世の秩序であって仕組みでもあります。
唯一、供養の手段としてできることは、この地上に生きている私たちが先ず、心健やかに暮らすことを故人にみせてあげることです。
この世の和気あいあいとした家族の姿や兄弟の姿、子供の姿をみることで故人も気づくことが最良の供養となるのです。これがまさしく愛であり、慈悲です。
真の供養とはお経や供物にあるのではなく、私たちが不満愚痴を言わず、足ることを知って、怒ることをせずに心健やかに生きること。このような生きざまを故人、先祖に見ていただくことです。
これが最大の親孝行です。親孝行が最大の供養なのです。先祖供養は調和された家族愛にあるということ。仏壇の前の勤行に非ず。
こころ
安住することなく
正しき真理をも知らず
信ずることの
定まらざるもの
かかるひとに
智慧は満つることなし
心と言うものはいつも止まることなく動いているものだが、事の善悪、社会の秩序なども悟ることなく、まして自分自身も他人も天地の真理も信じることのできない人は、心の底から湧き出る工夫も生き方もない。

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