形あるものに拘らない安心の生きかた
子どもでも、大人でも、欲しいものとなると自分の支払い能力をかえりみずに買ってしまうということがあります。
「ほしいもの」と「必要なもの」こういった分別を以って判断できることが物に心を惑わされない、安心の境地で生きる気づきかもしれません。
人生には悩みや苦労が尽きませんが、安心の境地に立てば、それさえも自分の魂の鍛練、こころの浄化のチャンスと捉え、ごまかすことなく正面から向き合っていくことができるように思います。
ところが結構、悩みや苦労のなかで迷い、もがいて、生きている人は多い。
そして、何とかそこから拔けだす道を模索していきます。
貧しさから這いあがったり病気を克服したり、人間関係の葛藤を吹っ切ったり……。
しかし、依然、安心は訪れません。
悩みや苦労を乗り越えると、そこからまた新たな悩みの種が芽をだしてきます。
わかりやすい事例を述べてみます。
欲しいものが手に入らないことも、当事者にとっては真剣な悩みのひとつかもしれません。
隣の家から子どもがピアノを弾く音が聞こえてくる。
こころがちょっと動揺します。
「うちにも同じ年頃の娘がいるのに、ピアノなんてとても買ってやることはできない。子どもの頃から音楽にふれあうのはいいことだ、とわかっているのに……」
そんな考えにとらわれると、ピアノが必要不叮欠のもののように思えてきます。
「〇〇ちゃん。ピアノ欲しい?」「うん。欲しい」と4歳の女の子が答えます。
さて、悩みは増幅します。
そこで、ご主人は残業に残業を重ね、妻はパート勤めにでて、何とかピアノを購入する資金を調達したようです。
念願のピアノがわが家に運び込まれて、悩みは克服されたかに見えます。
しかし、買ってもらった4歳の子は半年もしないうちに飽きてしまってピアノには向かわなくなってしまったし、教室にも行きたくないということになった。
それに加えて今度は親しい友人から、子どもに家庭教師をつけたことを聞かされたようです。
「家庭教師かあ、なんとかならないかな」と5歳になった子に家庭教師をと考えるようになった。
何かを得ようとする悩みは、克服したと思ったそばから、同し悩みを生みだします。
「求不得苦」という言葉が教えるように、求めても得ることができないことの苦しみは人生にはつきもので、まったく鬼ごっこ、無限地獄の図です。
「あれが欲しい、これも欲しい」と思っても、人間はすべてのものを手に入れることなどできない。
そのことは誰もがわかっているのですが、いつしかこの鬼ごっこに迷い込んでしまうのですね。
こころをゆたかにする生き方
弘法大師空海はこんな言葉を残されています。
「智慧あるものは悟りを完成し、愚かなものは生死(まよい)をこしらえる」
生死は敢えて迷いと読みます。
愚かさが迷い、悩み、苦労をつくりだすということでしょう。
気づきは安心と同義です。
愚かでいるあいだは安心は逃げていくばかりで、苦しみ、葛藤が続きます。
形のあるものにこだわり、得よう、取ろうとすることの愚かさを先人たちは教えてくれています。
本来、形などあるはずもない心で、形あるものに拘り、満足しようとするのが人間の愚かさと示しています。
先の例でいえば、ピアノは形のあるものですが、それを得ようとすることは、隣人に負けない暮らし、豊かな暮らし、他人から羨まれる暮らし、といったものを取ろうとすることでもあります。
しかし、ここに豊かさは無い。
豊かさはこころで感得するものですから、ピアノを手に入れて得たと思い込んでいる豊かさは幻であり虚妄でしかありません。
次に何かを取ろうとしたとき、瞬時に消え失せてしまいます。
物は瞬間的な満足だけであって、さらに満足を求めて何かを欲します。
豊かさを感じるために本当に必要なもの、得なければいけないものは、それほど多くはありません。
形あるものへのこだわりをやめ、いたずらに得よう、とすることの愚かさに気づくことだけです。
先の事例の場合、我が家にピアノはないが、聞こえてくる隣家のピアノの音を聞きながら、家族が笑顔を向け合いながら団らんの質素な食卓を囲む。
そんなところにも豊かさの風情があったのではなかろうか。
安心があります。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。
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