お盆中の体調不良と霊的背景
さっきまで何ともなかったのに、お墓参りした途端に急に後頭部が重くなったとか、頭痛がしはじめたとか、体や頭がファファするとか、目眩がするとか、あるいは体には病気がないけど急に動悸がし始めたとか、急に息苦しくなったとか、ということを経験している人もいるかと思います。
毎年のことですが、お盆を境に7月あたりから毎年きまってお助けメールや電話が集中して増えてきます。
「どうして私は毎年今の時期になると体調が悪くて気持ちが沈むんでしょう。不思議とお盆を過ぎると普通の体に戻るんです。」
「きょう、墓地に家族で出かけたのですが、その頃から頭痛がはじまり、気持ちがイライラして帰宅して今はあまりの具合の悪さに吐いてしまいました。」
「夫の実家に行って仏壇にお線香をあげてから調子がおかしくなり、動悸と目眩がして立っているのが辛くてがまんできません」等々、さまざまな状況を伝えてお助けメールがはいってくる。
なかには病院に行って検査をしたが何も異常がありませんでしたという方もいます。
医学的な検査では特にこれといった問題点はないのに、何故こういうことがおこってくるのか。
こういった現象は低次元世界の霊や人間の発するネガティブな心の波動エネルギーを体に受けると、その人の体の弱いところ、つまり、日頃の健康状態がよろしくないところに痛みやシビレ、あるいは疼痛、息苦しさ、動悸、頭重感、倦怠感、憂鬱感、脱力感、無気力、イライラ、感情的になる、などとなって表れやすい。。
心臓が思わしくない人は胸部が締め付けられたり、腸の弱い人はお腹が痛くなったり、首の状態が良くない人は目眩やファファ感となったり、その結果は随伴症状として吐き気まででたりします。
呼吸系の弱い人はいきなり咳きこんだりします。
なぜそう言えるのかというと、実際に連絡いただときに微力ではありますが、対象者とその環境(場所、家、建物)を浄化させていただきますと、数分後には再び「嘘みたいに治まりました」と連絡がはいるからです。
ですから霊的な原因がなく、肉体的な問題だけの症状であれば浄化をしてもさほど大きな変化はおきません。
霊的エネルギーに敏感な人ならわかるかと思うのですが、一年ではお盆が一番霊が騒ぐ時期だし、あわせて春彼岸、秋彼岸、そしてお正月という感じです。
「お盆や彼岸は死者の霊を供養するという意味では霊の活動もわかるが、なぜお正月が関係あるのか」という質問もあります。
これは日本全国の神社において年末年始の参拝客が集中するところにも原因があります。
参拝客の動向は、真の意味での信仰ということではなくても、単なるイベント感覚というような人たちや、若者たちの動向意識にもよるところがあります。
そういう人たちが拝殿にて思うことは「幸せに暮らせますように・彼女と結婚できますように・お金に困らないように宝くじが当たるように・健康でありますように・仕事が見つかりますように・その他さまざま」というように願い事がとても多いようです。
これらはすべて自分の努力次第、心がけ次第で何とかなることかもしれませんし(そうすべき)、自分の都合や、欲から、神社で祭祀する神?に願うことではないように思うのです。
大晦日の深夜からお正月にかけて全国で神社に詣でる人たちの数は大変な数です。
その人たちが同じように思うことは想念というエネルギーなって地上を覆います。
日ごろ心に不調和な思いを持っている人の願いは決してクリーンなエネルギーとして伝播するはずもなく、荒い波動となって感知され、影響を与えることになるわけです。
神社だから澄んだエネルギーに満ちているということではありません。
神社の霊域がクリーンですがすがしいものであるか否かの根本は、祭祀している宮司、その職員たちの心の波動、つまり調和度の如何だということになります。
そのような訳で、全国的に宗派の別はあっても大体は8月13日が盆の入りで、出が16日というのが殆どかと思います。
盆の入りには迎え火を焚き、出には送り火を焚きます。
こういう日本の歴史と伝統が人々の心に定着していますから、死んだ後にもその習慣が心の中に残っている人にとっては迎え火が好都合なのでしょう
亡くなった人に向けて「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お盆だよ。ご馳走を準備したからこっちに来て一緒にいただきましょ。」こういって先祖の人たちに語りかけるものですから、あの世の霊たちは渡りに船とばかりに招霊されて家やお墓にくるわけです。
霊によっては遺族や家族の腰にしがみついている霊もいますから、憑かれた人は腰痛で腰が立たないといって盆中は寝たきりということもあります。
伝統、文化による習慣は、良くも悪くも私たちの心に深く根ざして影響を与えているものです。
先日、「盆の入りに迎え火を焚いたらその晩に大勢の人たちの話声が聞こえて寝付けなかった」という80近くのお婆さんがいました。
私から浄化を学んだスタッフがそのお婆ちゃんと家を浄化したら、その晩は数人の話声になったといっていましたが、盆の出に送り火を焚いた夜も浄化をしたらば話声が聞こえなかったということだった。
そのお婆ちゃんに事情説明をしたら妙に納得していたといいます。
こういうことが現実におこってくると霊界とこの世とは非常に関連性があるものだということが理解いただけるのではないでしょうか。
一枚の紙には裏表があります。
表から強く押して字を書いたら裏にもその字の跡がつきます。
あの世とこの世は裏表の関係のようなものであって全く別物ではないということ。
常に連動していることがわかるかと思います。
それだけに現代の先祖に対する供養のありかたも決して正しいあり方とは言えず、文化や伝統に偏らず、正しく知っておく必要があろうかと思うのです。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。
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