電話相談の内容をもう一度
「中絶・水子供養についての質問」についてメールでのやり取りはアップできましたが、相談者のHさんと電話で話した部分については掲載できていませんでしたから、今回は記憶をたどりながらその部分を掲載しておこうと思います。
電話での1時間以上の会話を思い起こしながらの文章化ですから内容として欠けている点についてはどうぞご容赦いただき、且つ、電話で話し忘れたことについてはこの場を以って補足をさせていただきます。
実は、このことは相談者のHさんからの要望でもありましたのでその意向を紹介しておきます。
「観童先生にひとつお願いがあるのですが、電話相談で私にお話してくださった内容をブログに掲載していただけないでしょうか?
(特に、普通の殺人と中絶を一緒くたにすることの誤りや、一生罪を背負って苦しむことは償いにならないことなど)
私もそうでしたが、中絶経験者はみんな「自分は人殺しだ」とか、「一生許されないし罪を背負っていかなければならない」、「ずっと苦しみ続けることが償いだ」などと考えていると思います。
そういった人々に向けて、是非ともメッセージを送ってほしいのです。
私は電話相談のおかげでだいぶ心が軽くなりましたし、先ほど申し上げたような生き方をしていこうという決心もできました。
観童先生の言葉で、私と同じように救われる方もきっと多くいるはずです。
私も今後また心が不調和になってしまったり、迷いが生じてしまった時には、そのブログ内容や、観童先生からいただいたメールを読み直して気持ちを落ち着かせたいとも思っております。
ご検討いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。」
さて電話での内容ですが、先ず最初に、中絶することと、人間が人間を殺すことは意味合いが異なるということについてお話ししましょう。
世の中には他人から注意をされただけで切れてしまって相手を刺し殺したという事件もありますし、兄弟が財産争いをして殺害に及んだという悲しい実話もあります。
また、子どもが親を殴り殺したという痛ましい事件や、親が子どもに手掛けて殺してしまったという事件も後を絶ちません。
私が直接受けた相談者のなかにも親を殴って大けがをさせた大学生がいましたが、彼の話しでは「殺意を抱いた」と話していましたし、幼少の頃から家庭をかえりみない父親への不満がそうさせた原因であることがみえてきたのでした。
残念ながらこの家庭は修復できないところまでほぼ崩壊していました。
少し脱線しますが、今現在でも世界の各地で戦争がおこなわれ、兵士は勿論、多くの民間人が犠牲になっています。
これもまた大義があるとはいえ殺人に変わりはありません。
このような殺人行為は人道上許されるものではないということも私たちは知っています。
こうしてみると殺人には、自己都合(不満、怒り、憎しみ、恨み)、政治的都合というエゴからくる感情が暴走して殺人に到っている場合がほとんどです。
殺人という人間の犯す罪には、社会の秩序を守る為の法律が適用されて裁かれますが、当の本人が法律にしたがって刑期を終えたから自分は許されたと勘違いしてしまえば、再犯の可能性だってあり得るでしょう。
何故なら、心からの反省、悔い改めが成されていなければ、本人の心の罪はそのまま厳然としたエゴとなって魂に残るからであります。
一方、今回の相談者Hさん(男性)のように、20代という若さでありながらも彼女が妊娠6週目で中絶という結果に対して、自責の念で相当に苦しんでいたことは、いただいたメールの内容や電話での内容から十分察して余りあるものがありました。
事の重大さを安易に考えて彼女のことを気遣いもしない、労(いた)わりもしない男性もいるなかで、相談者は妊娠、中絶という過ちを真摯に受け止め、不眠になるほど、痩せるほど苦しんだのです。
この心からの懺悔の気持ちが大切なのであって、二度と同じような過ちをしないという決心こそが自分を救う道であるということと、そういった素直な気持ちこそが彼女に対する愛情であり、誠意でもあろうかと思うのです。
過去の記事でも申し上げましたように、妊娠初期6週目の段階ではまだ胎児には魂が宿っておりません。
受精した途端に魂が宿るという表現をしているサイトや思想もあるようでうが、実際は受精したときはその瞬間に新たな生命体の営みが誕生するという意味において宇宙とつながりができると理解すべきであって、宿る事とは違います。
厳密には肉体が形成されていない受精卵に魂がやどることは医学的な見地、物理的見地、霊的な視点からいっても無理があります。
受精卵が細胞分裂を繰り返し、人間としての肉体が形成されてきますと3か月頃には心臓の細胞も形成されやがて鼓動が始まります。
この心臓の鼓動が始まる時期が霊界から肉体に魂が出入りできる条件が整ったときであります。
胎児への魂が宿るというタイミングに関しては、人間の死を考えてもらうと分かりやすいかと思います。
寿命が尽きて死を迎えたときに霊体は身体から抜け出ていますが、まだ完全に切れたわけではなく、肉体と霊体は霊線(光子線)によってつながっています。
そして心臓の鼓動が止まったその瞬間に完全に肉体から分離されてしまうのです。
肉体は心臓の鼓動によって維持されているわけですから、鼓動の停止が本当の肉体死であり、魂が完全に分離する瞬間であります。
つまり心臓の鼓動が始まるときが魂が宿るときであり、鼓動が停止するときが分離するときだということです。
しかし、こういった真実を立証することは限りなく不可能に近いことです。
それは3次元に生きる人間に対して、4次元の肉眼で見えない世界を証明することは今の科学では証明できないからです。
次元差を超えられない壁がここにあります。
早期の中絶という問題は子宮壁を削り取ることになりますが、この時に着床した受精卵も同時に処置されることになります。
母体の痛みもさることながら、それ以上に女性の精神的な苦痛は計り知れないものがあるでしょう。
この中絶という問題は特に3カ月に満たない場合について霊的な視点からすれば、魂の宿っていない胎児は人間としては完全ではなく、母体の一部というように説明した方がより分かりやすいかと思います。
誤解のないようにしていただきたいのですが、このことは新たな生命の営みを軽んじているのでもなく、厳粛な生命誕生の真実を申し上げているということであります。
中絶イコール殺人という風潮は正しい解釈と理解が成されていないこと、霊能者といわれる人々や寺院のなかには中絶を理由にしっかりビジネスにして営利主義に走る者たちが多くいます。
こういう人たちが中絶は殺人だといって不安感や恐怖心をあおり立てて間違った情報を蔓延させてきたのである。
あまりにも簡単に殺人という言葉を使いすぎることによってどれだけの人たちが精神的ダメージを背負い、自縛し、心のなかに影を落としているのか、大いに弊害を危惧するところです。
魂の活動
妊娠3か月以上の胎児に宿った魂は、胎児に入ったままではなく、誕生の瞬間まで胎児の肉体を抜け出て4次元に戻ったり、肉体に戻ったりと自由に出入りしています。
そういう意味では生まれたあとの私達のスピリットとは違い、胎児に宿っている魂の場合は非常に行動範囲が広いということがいえます。
それは何故かというと、まだこの世に生まれていない魂は非常に4次元とのつながりが深く、また私たちのような不要な先入観や知識、心の曇りがありません。
それだけに非常にクリーンな魂だといえるのです。
それがどれだけ大切な事であるか、生まれたばかりの赤ちゃんや、幼児をみているとわかりますが、まだ何も分別のつかない幼児が誰かと会話しながら遊んでいることがあります。
誰と話しているの?と聞くと「知らないおばちゃんと遊んでるの」という。
これは幼児の作り話ではなく、幼い子にはよくあることで、幼児の方が4次元世界を見やすい条件が残っているということである。
そして年齢を重ねていくことによって知識や経験、先入観、エゴが心に出てくるにしたがって心の眼が閉じてくるのである。
何の先入観や既成観念もないほうが霊視ができやすということです。
このことはお母さんのお腹にいる胎児にもいえることであって、まだこの世の空気に触れていない魂は非常に4次元とつながりやすいということです。
次に、3か月を過ぎて胎児に魂が宿ったあとのやむを得ない事情による中絶の場合、その魂はどうなるのかという疑問が湧いてこようかと思います。
先ず、胎児が中絶される前に胎児から魂が離れますから直接的な痛覚というものからは解放されることになります。
これに関しては医学的な問題や法的な問題を一旦わきにおいてお話しをしましょう。
実際お腹に命を宿している(いた)女性にとっては中絶ということ自体納得しがたいものでることは当然のことであります。
しかし、罪悪感を抱いて悩み苦しみ続けることは、償いでもなんでもなく、むしろ心を曇らせるという意味において罪であることから、悔い改め、懺悔は由としても、長期にわたって悲しみ、苦しむことは決して自分自身の為にも子の為にも、霊的な進歩にはならないのです。
胎児に宿った後に中絶されたその魂は本来、霊界において、ある程度のステージまで修行して煩悩から解放された境涯の魂であること。
そのうえで胎児に宿るチャンスをいただいたのですから、中絶されたからとはいっても親や兄弟たちを呪うような悪業をすることはないのです。
まだこの世に生まれていない魂たちは、私たちがもっているような3次元的な狭い価値観ではなく、心が全てであるという境涯にまで自分の心を昇華させた立派な悟りを経た大人たちであるということを知っておいてほしいものです。
胎児に宿った魂がこの世に生まれることができなかった場合、中絶、死産、流産した魂をあの世においては救済の手が天上界より差し伸べられ、養育施設で手厚く保護され大事に成人するまで育てられます。
この点についてはこの社会も福祉という制度の下に同じように施されていることを見ればご理解いただけるのではないでしょうか。
福祉についてもあの世の実態がこの世の現象として反映されているだけのことです。
もう一度申し上げておきましょう。
水子霊は中絶されてしまったとしても決して祟ったり親を恨んだりすることはないし、天上界でしっかり保護されているということや、自分がしっかりと調和した心を持ち、罪悪感に固執せず明るく前向きに生きていくことこそが最善の供養になるということを知っていただきたい。
明るく前向きに生きるとは先ずは、自分自身の心を愛によって満たすことが先決であり、そのうえで多くの人に笑顔で優しく接し、愛のある生き方をすることでしょう。
いつまでも中絶したことを悔いたり、罪悪感に囚われていることが供養ということにはならないのです。
前を向いて明るく生きることにも勇気と決断は必要です。
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