続編・中絶・水子供養についての質問

2714月16日 受信 
観童様。おはようございます。
昨日メールさせていただきました、Hと申します。
仕事でお疲れのところ、迅速且つ大変ご丁寧な返信をくださり、本当にありがとうございます。
自分が真面目かどうかは正直分かりません。
そういった部分もあるとは思いますし、人からも必ずそう言われます。
ただ、今までの人生を振り返ってみると、本当に自分のことばかり考えて行動してしまっていたなと思います。
そのせいで、家族を含めて多くの人に迷惑を掛けたり、傷つけてしまいました。
物と心のどちらを優先する生き方をしたいかとのご質問ですが、それはもちろん心です。
生きていくうえでは当然、物も重要ですが、私はやはり優しさ、思いやり、愛といった要素を重視した生き方をしたいです。
先ほども申し上げましたが、私は胸を張って人様に言えるような人生は送ってきておりません。
後悔と反省ばかりですし、今回の件もそうです。
それなら今後自分はどうすべきか、何ができるのかをたくさん考えましたが、同じことを繰り返さぬよう決心し、心を入れ替えてより利他的に生きていきたいと思いました。
もちろん、観童様の仰る通り、「自分が心身ともに調和されての利他愛というのが順当」というのは確かにその通りだと思います。
自分の心(と身体)が調和されることで、人生がより良いものとなっていくでしょうし、そこで初めて偽善的ではない、他者に対する心からの優しさや思いやり、愛が生まれるのだと思います。
のことで自分の過去の行いが許され、償いになるのかは分かりませんが、自分や周りにいる人たちの人生が少しでもプラスの方向に進めば大変嬉しいです。
そのためには、物よりもずっと心を大切にしなければならないと思っております。
あまり上手く説明できず、申し訳ございません。
観童様からのメッセージ、よく読ませていただきましたが、本当に納得させられることばかりです。
どうしてもネットで色々と検索し、変なことばかり考えてしまっておりました。
れがいかに無意味で、自分にとってマイナスであることなのか、頭では分かっているのですが、どうしても止められずにいました。
ただ、今回観童様にメッセージをいただいたのを機に、それもきっぱり止めようと思います。
時間の無駄ですし、精神のバランスが崩れるだけですので・・・。
だまだ時間はかかりそうですが、少しずつ安定した心を取り戻せるように日々過ごして参りたいと思います。
もしよろしければ、そのために何か自分でできること等、ご助言をいただけないでしょうか?
本当は観童様に直接お会いして色々とお話ができればと思っているのですが、経済的な事情があり、関東から岩手まではなかなか行けないので・・・。
今回の件以外でも、昔から心と身体に問題を抱えながら生きてきたので、そちらのご相談もさせていただきいのが本音です。
なので、是非いつかお会いできればと思っております。
私が気になって貼り付けたサイトのURLですが、余計なことをしてしまい申し訳ございませんでした。
今は少し落ち着いて冷静になっているので大丈夫ですが、くだらないことを調べすぎました(言い方は悪いですけれど・・・)。
心が弱っているとここまで自分を見失ってしまうのですね。
までは宗教やスピリチュアル、霊能者に縋っている人を見て馬鹿にしておりましたが、彼らの気持ちがよく分かりました。
その意味でも、常に心の調和を保つことの重要性が分かります。
また取り留めのない文章をつらつらと申し訳ございません。
お時間のある時で構いませんので、再度ご返答いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
この受信に対しては後日電話で直接対応のため本文はなし。
4月21日 受信
観童先生。こんばんは。
お仕事お疲れ様です。
本日14時に電話でお話させていただいたHです。
先ほどはお忙しいところわざわざお時間を取ってくださり、どうもありがとうございました。
また、電話も観童先生にかけさせてしまい、申し訳ございませんでした。
1時間以上もお時間を取らせてしまいましたが、お仕事に支障は出ませんでしたでしょうか?その点が気がかりです。
電話では優しく諭すようにお話してくださり、とても嬉しかったです。
しっかり心を調和して前向きに明るく過ごせるようになるまでは正直まだま まだ時間がかかると思いますが、言われたことを忘れぬよう胸に刻んでおきます。
私は何度も「人殺し」だの「殺人」だの自分で自分を責め、罪悪感に押し潰されそうになっておりましたが、観童先生が「人が人を殺めること」と、「中絶すること」は完全に別物であるという説明をしてくださったおかげで、少し心が軽くなりました。
本当に苦しくてつらかったのですが、何度も優しい言葉をかけてくださり、涙が止まりませんでした。
電話を終えてからは気持ちが楽になり、少しずつ立ち直って元気を取り戻していこうという気にもなれました。
本当にありがとうございます。
電話では話し切れなかったこともまだたくさんありますし、昔から心と身体の両方に悩みを抱えて生きてきたので、本来ならば直接伺って整体やカウンセリングを受けたいのですが、関東在住だとなかなか難しく、非常に残念です。
しかし、いつか必ず一度は観童先生にお会いするために岩手県まで行きたいと思っております。
この先また道に迷い、自分ではどうしようもなくなった時には是非ともご相談に乗っていただければと思います。
奉仕活動としてここまで親身に相談に乗ってくださる方はそういるものではないので、観童先生と知り合えたことを大変嬉しく思います。
本日は本当にありがとうございました。
観童先生ならびにスタッフの皆様の一層のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。取り急ぎお礼かたがたご連絡まで。
それでは失礼致します。H
 
5月2日 受信
観童先生。こんにちは。
先日、電話で中絶後の悩み相談をさせていただいた関東在住のHと申します。
電話相談では優しくご丁寧な対応をしてくださり、ありがとうございました。
その後、また自分の中でモヤモヤした感情や疑問が湧いてきたので、再度相談に乗っていただければと思いメール致しました。
お聞きしたいことがいくつかあるので、お手すきの際にご返答いただければ幸いです。
質問は箇条書きで失礼致します。
1.胎児に魂が宿るのは大体3ヶ月以降とのことですが、私たちは6週目あたりで中絶してしまいました。
この時点では胎児に魂は宿っていなかったとのことですが、この場合、中絶された胎児に宿るはずだった魂の処遇はどのようになるのでしょうか?
例えるなら、魂が胎児という乗り物と一体化する前に、その乗り物を破壊してしまったということになり、乗り物を失った魂は前世の記憶を持った大人のまま天に留まることになったのですか?
本来、魂はどのタイミングで前世の記憶を失って穢れを知らない赤ちゃんの魂となるのか、また、今回のケースでは魂は天でどうなるのかが気になります。
2.観童先生もご存知かどうか分かりませんが、「魂の処方箋」という本の著者である池川明先生(産科医)、越智啓子先生(産科医)たちが言うには、
流産した胎児や中絶された胎児に宿っていた(宿るはずだった)魂は、もともとそうなる運命を分かっていたけれど、それでも敢えて地上に降りてきたわけであり、必要以上に自分を責めるようなことはしなくていいとのことです。
このような言葉で少しは救われる方々は多いと思うのですが、やはり「都合が良すぎる」とか「そんなことで中絶の正当化はできない」などという批判も多くあります。
これについて観童先生の見解を是非お聞かせいただけないでしょうか?
3.以前までは毎日余計なことを考えては罪悪感に苛まれ、気が狂いそうなくらい苦しい思いをしておりました。
しかし、電話で観童先生の無料カウンセリングを受けてからは急に気持ちが落ち着き始め、以前のように取り乱したりはしなくなりました。
また、先月は1週間で5kgも痩せてしまうくらい何も食べられませんでしたが、今では食欲も戻り、だんだんと前向きになることができています。
先日は久しぶりに友達と会って、趣味である野球観戦に行き、楽しむことができたのですが、やはりふとした瞬間に「自分はこんなに楽しい時間を過ごす資格があるのか」、「こんなにすぐ立ち直っていいのか」と考えてしまいますし、たったの1ヶ月で前向きになりつつある自分自身が怖くなります。
観童先生はそれでいいと仰ってくださいましたが、私はまだ自分を許すことができず、複雑な心境です。
どうしたら良いでしょうか?
4.電話の際、観童先生は「まだ6週目なら魂は宿っていないし、適当な言い方ではないかもしれないが、今回の中絶は胎児を殺したとか魂を消し去ったということではなく、母体の一部を取り除いたようなもの(?)である」と言ってくださいました。
そのことで少し心が軽くなり、安堵したのですが、安堵してしまったことでまた罪悪感を抱いてしまいましたし、やはり世間一般では間違いなく「殺人」扱いされてしまうと思うと苦しいです。
先ほどの質問ともかぶってしまいますが、どうすればこのような自分の感情を上手く処理することができるのでしょうか?
5.やはりまだ罪悪感は消えていませんし、自分が中絶という選択をしてしまったことは一生の恥であると思っており、それが毎日頭に浮かんできます。
ただ、そのことが頭に浮かんできても、以前ほど苦しくて発狂しそうになることはなく、罪悪感も時間が経つにつれて薄れているような気がします。
このまま数ヶ月、数年と月日が過ぎゆくにつれて罪悪感が消え去り、中絶という経験が自分の人生の中で起きた過去の出来事の一つに過ぎないものとなってしまいそうでそれが怖いです。
これは問題ないことなのでしょうか?
6.神様は人間の親であり、決して罰を与えたりなんかしないし、今回の過ちだって許してくれるとのことでしたが、正直、これまでの人生を振り返ってみると過ちばかり犯してきました。
観童先生にはもちろん、親や友達にも言えないようなことをした経験がありますし、本当にたくさんの人を傷つけてしまい、迷惑をかけてきました(今回の件が一番酷い過ちではありますが・・・)。
もちろん、それらのことは本当に反省していますし、同じことは繰り返しておりません。こうした過去も許されるのでしょうか?
今回相談させていただいた中絶の件も含め、今までの行いの報いをこれから先の人生で受けるのではないか、死後や来世でとんでもない目に遭うのではないかという不安が拭えません。
以上、質問が多くなってしまい申し訳ございませんが、ご返答いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。H
 
返信
Hさんこんばんは。質問にお答えする前に、先ずは「罪」ということについてお話しさせてください。
以前お話ししたかもしれませんが、罪というのはこの世的にいえば律法に反する行為をした場合に「罪を犯した」とするのが一般的でしょう。
しかし、罪というものを、道徳的な視点から見た場合、あるいは霊的な視点から見た場合、必ずしも法的な罪とは同じではなく、内容も意味合いも異なってきます。
法では裁かれなくても道徳的な意味合いからしても道義的によろしくない言葉や行動というものもあるでしょう。
勿論、そういった場合に霊的な視点から見ますと、本人が自覚しているいないにかかわらず「心の罪」として魂に記録されることになります。
「罪」というものは律法に触れなくても、私たちが生活していく中で発生する心の不調和も罪となるのです。
御承知かと思いますが、不調和とは、偏った心のことであり、両極端な価値観もそうですし、不満、愚痴、怒り、嫉妬、執着心、拘り、憎しみなども不調和な精神状態ですから心の罪といえるでしょう。
罪がどのような内容であれ、それを悔いて改めることは誰にはばかる必要もありません。
また、過去の過ちに囚われて悶々とした生き方をすることも厳密に言えば心の罪となって魂に記録されていきます。
何故なら囚われは不調和な心だからです。
ご質問1へのお答えですが、
先ず、6週目というと医学的には胎児の大きさが3センチにも満たない状態で心臓の鼓動も確認できるかどうかという段階だとされています。
「胎児に宿るはずだった魂の処遇はどうなるのか?」
あなたのおっしゃる通り、胎児に宿っていない魂は大人の魂として天上界に残ることになり、前世の記憶をもって次に下生する機会を待つことになります。
例えば、今回何事もなく順調に出産すれば下生する予定だった魂が、あなたと彼女のどちらにご縁の深かった魂であるのか。
仮に、彼女に縁の深かった魂であれば、もしもあなたと彼女が別々のパートナーと結ばれたとしても彼女の子として再び下生する機会を得ることになります。
「本来、魂はどのタイミングで前世の記憶を失って穢れを知らない赤ちゃんの魂となるのか」ということですが、
胎児に宿った魂は胎児がお母さんのお腹のなかにいるうちはまだあの世と胎児の体を行き来していて、完全に前世の記憶を失うのは出産して母体から離れて「オギャ~」と第一声を吐き出した瞬間からです。
つまりこの世の空気に触れた瞬間に前世の記憶が失われるように霊的次元で仕組まれているということです。
質問2へのお答えですが、
出生に関して、あの世での計画が最優先されることはその通りですが、しかし、必ずしもあの世での見通しや、計画が100%そうなるということはないでしょう。
妊娠した胎児が成長いていく段階で肉体的に障害が発生すれば、あの世から見ている魂はその状況が良くわかってはいます。
そうなると、「深いご縁によって下生する機会は頂いたが、今回は障害者として人生を歩むことになるけどそれでも頑張って学んでこよう」という勇気ある決断をすることになります。
そういう意味においていうならば、障害者は身体こそ不自由ではあるが、勇気ある魂をもった人間だと言えるでしょう。
この世においてはリスクが大きいほど魂の修業になることをあの世の魂たちはしているからです。
ですが、流産することも、中絶されることも運命としてわかっていて胎児に宿るというのは少し無理な見解だと思います。
いくらあの世ではこの世の出来事がお見通しとはいっても、不測の事態があるのはあの世でもあるのであって、この世の人間の突発的な都合によって堕胎に到る場合においては運命としてわかっていたという解釈は真実とは少しかけ離れたストーリーと思います。
質問3についてのお答えですが、
先ず、「良い事も、都合の良くないことも全て受け入れること」こう申しあげておきます。
そのうえで、いい人になろうとしないこと。
野球観戦に行って楽しめたことはとても良い事です。
束の間の楽しみであっても、それがあなたの精神衛生上どれだけ役に立ったかと考えると、やはり人間は楽しみという心のゆとりが必要ではないだろうか。
4と5についてですが、
ひとつ申し上げておきます。
あなたの魂の傾向性は「不必要な拘り」のように思います。
もう過去への囚われと罪悪感を手放しなさい。
心からの笑顔をもって他の人々に接しなさい。
それが自分の心の解放にもなり、社会貢献にもつながるのです。
質問6についてですが、
神様は人間が考えるような非常に限られた了見ではなく、一切を許しておられるのです。
私たち地上の人間が頭で考えるような浅い智慧ではなく、三次元的な分別ではなく、4次元、5次元、6次元、そして超次元の意識で以って人間の罪を赦し成長を待っておられるのです。
あなたのように、過去の罪に苦しんでおられる人こそ大きな愛で包んでおられるのですよ。
あなたは一人の神の子として、自分自身を高める義務があります。
私が申し上げるまでもなく、そのためにあなた自身が機会をいただいて下生で来たのではありませんか。
もっと大きな視点で物事を捉え、勇気と決断を以って生きてください。
将来のあるあなたのような若い人たちが大きな志をもたなければ、日本という素晴らしい国が衰退してしまうのです。
死後や来世のことに拘る時間があったら、そのような事態にならないようにするためにも、今を生き切ることが肝要ではありませんか?
あなたが決心して自分の心に灯りを燈すことを願っています。
観童
 
5月3日 受信
観童先生。こんばんは。Hです。
一つ一つご丁寧にお答えくださり、どうもありがとうございます。
観童先生からのメールを何度も繰り返し読ませていただきました。
いつもハッとさせられることばかりで、とても参考になります。
観童先生からのお言葉は心にスッと入ってきますし、その度に気持ちが安定し、落ち着くのは何故でしょうか。
とても不思議です。
罪悪感を手放し、心からの笑顔を持って人々に接する。
後者は自分にとってそれほど難しくないことではありますが、前者についてはもう少し時間がかかりそうです。
というのも、観童先生とメールや電話でやり取りさせていただいてから、不思議と罪悪感自体は薄れてきているのですが、そのことに関してまだ戸惑いがあるといいますか、なかなか上手く感情の処理ができずにいるからです。
もちろん、これから少しずつ自分自身を受け入れられるように進んでいきたいとは思っておりますが・・・。
観童先生は「あなたの魂の傾向性は『不必要な拘り』のように思います」と仰いましたが、本当にその通りだと自覚しています。
思い返してみれば、幼少期から小さいことにこだわる癖がありましたし、いつまでも引きずったり気にしたりすることが本当に多かったです。
・良い事も、都合の良くないことも全て受け入れること
・過去への囚われと罪悪感を手放すこと
もし、これらを上手く行うコツがあれば是非アドバイスしていただきたいのですが、何かありますでしょうか?
明るく前向きに自分の人生を歩んでいくためには、まず先述の内容をしっかりと実践しなければと思っております。
お手数ですが、お時間のある時に再度ご返答いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。H
 
H様
「不必要な拘り」があなたの傾向性だというお話ししました。
この傾向性というのは心の癖のことを言います。
実は、昔から人間「なくて七癖」という言葉があるように、人にはそれぞれに皆、大なり小なり癖があるものだということでしょう。
その意味においては、私にも例外なくなかなか直し難い心の癖(傾向性)があります。
だからこそ日々の生活が私の心を成長させるための学びであり実践の繰り返しなんです。
囚われが薄れ、やがては消えていくまでには時間が必要なもので、一朝一夕というわけにはいきません。
自然界をみますとその営みは常に留まることなく動いております。
地上からは水分が蒸発して雲となり、上空で冷やされますと再び雨となって地上におりてきます。
自然界の営みに学ぶこと、それは、とどまることは死を意味するということ。
私たちの心も同じです。
とどまることは病むことにつながっていきます。
人間は睡眠中でさえ魂は休みなく動いていますが、それを自覚していないだけです。
正に諸行無常です。
さて、自分の心を成長させるということはどういうことをいうのでしょうか。
心には弱い面もあれば、強い面もあります。
そして大きな心もあれば小さな心もあります。
弱い心、小さい心を否定するする必要はなにもありませんが、できれば強く、大きな心に成長したほうがいいでしょう。
強いからと言っても自己中心的であったり、傲慢になることでもなく、驕り高ぶることでもありません。
また大きな心とはいっても、慢心することでもなければ、人を見下すことでもありません。
真の強さ、大きさというものはいつも寛容であり、愛深きことだと思います。
こういう心を育てようと決心し、勇気を以って、たゆまず実践するときは自然と不要な拘りが薄れたり、消えたりしているものです。
敢えて「拘らず」とか、「罪悪感を捨てる」と思う必要はありません。
手放すこと、捨てること、拘らないこと、そのことばかりに意識を向けすぎると、拘らないことに拘ってしまっている自分がいます。
これでは本末転倒ということになってしまうでしょう。
「無頓着」という言葉の意味は小さなことに拘らないこと、執着しないこととありますが、だとすれば拘らないことに拘るより、無頓着で何かに夢中になっているほうがいい場合もあります。
このことは逃げることとは全く意味合いがことなります。
私の場合、幸いな事に65歳を過ぎた現在でも現場で忙しく働かせていただいておりますが、些細なことに拘っているとどうしても言動に円滑さがなくなり、それがまた周りに見えない悪影響を及ぼすことがハッキリとみえてしまいます。
この年になってもまだまだ未熟者です。
故に、いつも思わされます。
「心の強さ」は「器」の大きさでもあると。
心が折れるとか、弱くなるとか、壊れるとかいうのは、単純に心の「強さ」の問題だけではなく、心の「大きさ、広さ」のことでもあります。
心の大きさ、広さは多くの失敗と経験によって培われていくものであって、決して知識の集積ではありません。
いくら頑丈なコンクリートでできたダムですら貯水量が増えすぎると決壊する可能性がでてきます。
逆にいくら薄いガラスであっても、コップ一杯なら溢れるほど注いでも耐えられます。
単純に心が壊れることが「弱さ」であるとしたら、「頑丈なコンクリート」よりも「薄いガラス」のほうが強いことになってしまう。
大切なのは「大きさに見合う強さ」だということ。
目標は持ちながらも背伸びせず、しかし卑下することなく、身の丈の生き方で十分だろうと思うのです。
本当の意味で心の大きい人、広い人というのは、不必要な拘りがなく、何事にも執着せず、慈愛の心を忘れず寛容であることをいうのでしょう。
お答えになりましたでしょうか。
5月6日 受信
観童先生。こんにちは、Hです。
どうもありがとうございます。
メールのお返事は本日のブログに掲載してくださったのですね。
しっかり読ませていただきました。
やはり今現在の私の悩みといいますか、拘りや囚われが薄れていくには時間の経過が必要ですよね。
余計なことは考えず夢中になれることを見つけたり、他人に対して笑顔で接し、愛のある生活を心掛けたいと思います。
また、話は逸れますが今までの自分は本当に気が短く、ほんの些 細なことで怒ったり、モノに当たって壊したりしてしまっておりました(今考えると自分でも引いてしまうほどでした)。
観童先生のブログを読んで、「まさか変な霊に憑りつかれていたからなのか?」などと思ってしまうほど短気で怒りの表し方も激しかったのですが、今回の件があってからはそのようなこともだいぶ減りました。
もちろん、今でもイラッとしてしまうことは多々ありますが、その度に「イライラしちゃいけない、怒っても何の意味もない」、「まあ、しょうがない」といったことを自分に言い聞かせてすぐに気持ちを切り替えるように心掛けています。
心を調和し、過去に囚われず常に明るく前向きで利他愛に満ちた生活をする。
簡単なことではありませんし、それで自分の過去が許されるものではないかもしれませんが、そうした生き方をしていきたいです。
観童先生に1つお願いがあるのですが、電話相談で私にお話してくださった内容をブログに掲載していただけないでしょうか?(特に、普通の殺人と中絶を一緒くたにすることの誤りや、一生罪を背負って苦しむことは償いにならないことなど)
私もそうでしたが、中絶経験者はみんな「自分は人殺しだ」とか、「一生許されないし罪を背負っていかなければならない」、「ずっと苦しみ続けることが償いだ」などと考えていると思います。
そういった人々に向けて、是非ともメッセージを送ってほしいのです。
私は電話相談のおかげでだいぶ心が軽くなりましたし、先ほど申し上げたような生き方をしていこうという決心もできました。
観童先生の言葉で、私と同じように救われる方もきっと多くいるはずです。
私も今後また心が不調和になってしまったり、迷いが生じてしまった時には、そのブログ内容や、観童先生からいただいたメールを読み直して気持ちを落ち着かせたいとも思っております。
ご検討いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。何かしら参考になることが有りましたら下のバナーをポチッとワンクリックして頂ければ有り難く思います。
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