努力に勝る天才は無し
会話の中で自分の成功した話はしやすいが、失敗については話せない、話したがらない、話したくないということが多いのではないだろうか。
そういう私も正直に申し上げて、これまでの人生65年間にどれだけの失敗があるのだろうかと考えてみたら数えきれないほの失敗があります。
ところが、その数えきれないほどの失敗によって気づかされたこともとても多い。
自分がそうでしたが、とかく失敗すると気持ちが折れてしまったり、やる気をなくしたりしがちなもので、失敗したところでやめてしまうから失敗になるのであって、諦めずにある程度の結果がでるところまで続ければ、それは立派な成功になる。
だがその為には常に信念を持って自分んが今何をなすべきかを考え、そのなすべきことにひたすらに邁進していくことが大切だと思います。
人間は、やるべきことをやらないときほど、できないことの理由や弁解をならべたりもしますが、これではやり遂げることはできません。
毎日の仕事の中において自分を褒めてあげたいという心境になる日を一日でも多く持つことは自分への励みになるものです。
ですから精一杯の努力が必要なのです。
そういう日を積み重ねたいものだと思います。
仕事はただお金のためだけに働くのでは虚しくなりますし、不満もでてきます。
仕事に取り組む姿勢は、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させるという大前提が必要でしょう。
そのような意味から、苦難がくればそれもよし、順調ならば更に良し、という心づもりを常に持ち、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切ではないだろうか。
そして何年かして気が付いてみれば成長している自分に嬉しくなることもあります。
生きていく様々な局面で、一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。
そうしたいわば紙一枚の取り組みの差が、大きな成果の違いと心の成長の差を生む。
正に、努力に勝る天才はいないという所以でしょう。
また、偉人のやり方をそのまま真似るというのではなく、それにヒントを得て、自分の持ち味に合わせたあり方を生み出さなければ自分が生かされてこない。
私生活においても、仕事においても、人生において、叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。と考えられる人は心の器が更に大きくなるでしょう。
そして他人はすべて、自分よりも劣る、自分が上と思うよりも、他人は自分よりエライのだ、自分にないものをもっている、と思うことが成長するために欠かせない。
反対に人間の持ちもので一番、危険なものは驕(おご)りです。
驕りとはうぬぼれること、思いあがること、慢心すること、いいきになること、をいう。
恵まれた生活も結構だし、恵まれない暮らしもまたよし、何事も結構という囚われない気持が大切で、恵まれても驕りはいけない。
驕りのある人からは人が離れるし、結局は自分の人生を衰退させることになります。
また考えはするが悩まない、そういうように思考を変えることができ、感じることができれば人生は決して心配することはない。
これまでの失敗の原因やトラブルの原因、諸問題の原因を素直に認め、「これは非常にいい体験だった、尊い教訓になった」というところまで心を開く人は後に進歩し成長する人だと思います。
心を開くとは物事に執着せず素直に謙虚に学ぶこと。
我が家のまわりもずいぶんと緑が出そろいました。
この季節を待ちわび、日差しや風を楽しむように、人生を楽しむ心があるならば、やがてまた春のそよ風のように、心もやわらいで、すべてのことに対して生き甲斐も感じられてきます。
人間というものは、気分がとても大事です。
気分が腐っていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。
しかし気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、だんだん活動力が増してきます。
生きる力がこみあげてきます。
感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。
「ありがとう」と言うほうは何気なくても、言われたほうはうれしい。
ですから私はいつでもどこでも「ありがとう」と心からいいたい。
人は何度やりそこなっても「もう一回」この勇気を失わなければ必ずものになります。
信念を持ち、自分の道を力強く歩めば成功をおさめても有頂天にならず、失敗しても心に失望はありません。
成功した人は、普通の人なら、その困難に打ち負かされるところを、反対に喜び勇んで体当たりしています。
人生にはカメのような一歩一歩の歩みが大切。
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば、つまずき、捻挫もするし、大きな失敗もする。
だから地道な一歩が大切。
体の若さは有り難いが、もっと大切にしたいのは、柔軟な心の若さではないだろうかと。
信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものであると思うのです。
失敗は財産となります。
一方、失敗より厄介なのが迷いです。
何事も迷うということは、一種の欲望からきているところが多い。
これは私の経験からの言葉です。
ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、お金がほしい、物が欲しい、という欲望から迷いがでてきて、ほんとうに自分に必要なことを見失っています。
それを捨て去れば問題はなくなりますし、正しい判断ができます。
やはり、人間は足ることを覚えなくてはなりません。
足ることを覚えれば物を大事にします。
粗末にはできなくなる。
使えるうちは使い切りたい。
しかし、そのような迷っている人でも要求や求める気持ちが優先されているうちは気づかないが、実は誰にでも与えるものはあります。
笑顔を与える、自分が求める言葉や思いや行動や活動から逆に与える思い、言葉、行動、活動という施しへの転換をはかりたい。
それができたら人は変わるし、周囲は変わるし、地球は変わる。
心からの「ありがとう」は要求するものではなく、相手に喜びを与えるものでしょう。
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