選択はすべて自分に任されている

fb72b27f5ee891f15627dfcee4b4e2c7人生は運に翻弄されるのか?
人生は多分に「運」に左右されるとする考え方があります。
世間では仕事で業績をあげれば、「運が味方をしてくれた」といった言い方をする場合がありますが、これは自分の努力部分については謙虚にという気持ちからそういった表現をすることもあるのでしょう。
飛ぶ鳥を落とす勢いで業績が上昇しているときや、出世街道を邁進しているひとは「勝ち運に乗っている」などとも形容されることがあります。
たしかに、能力や実力だけが成功と失敗を分かつものではないでしょう。
だれもが認める高いスキル(能力)を持ちながら、それが結果として表れない人がいる一方、それほど高いスキルと思われないのに、順調に好結果がついて回るという人もいます。
そんな不条理を説明するのに使われるのが運の良し悪し、ということになるのかもしれません。
実際、自分の能力や努力ではいかんともしがたいものに対して、運を持ちだせば納得しやすいという点はあるでしょう。
「自分は運に見放されている。いまさらあがいてもどうにもならない」そう決めつけて、人生を諦めてしまう。
しかし、運は、ある人には積極的に味方し、別のひとには見向きもしない、ということが本当にあるのでしょうか。
人生は運に翻弄されるものなのでしょうか。
運に向かうひと、背を向けるひと
砂漠のなかで水筒に入った水が半分あるとします。
まだ半分あるという考え方と、もう半分しかないという考え方、あなたはどちらでしょうか。
この発想の違いは、運ということに大きくかかわってきます。
前者の明るく前向きな発想ができる人は、厳しい状況に立たされても、可能性を信じて積極的な取り組みをします。
こういう人は、失敗は失敗としていち早く気持ちを切り替え、むしろ、それを糧にして厳しい状況を切り抜けるための努力をつづけるのです。
そういうときには、囗から出る言葉も「頑張るぞ」、「必ず状況はよくなる」といったくじけない意志を感じさせるものばかりです。
体も心も言葉もぶれがなく、一点に集中している生き方といっていいでしょう。
かすかな水滴も一点に集中すれば、やがては岩をも突き通します。
こんな精神で臨んだなら決して状況が変わらないはずがありません。
これが結果的に「運がいい」「運に恵まれた」ということになってくるのです。
こうしてみると、幸運はどこからかやってきたのではなく、自分が運の方向に道を開き、近づいて行ったということがわかるでしょう。
否定的で後ろ向きな発想しかしできない人はひとは、自らしてまったく逆の人生を送るしかありません。
過酷な状況にいることをくよくよ思い悩み、同じ所でその場に縮こまって、同じことに拘り堂々巡りをして「夫は変わってくれない」、「私は結婚運が悪い」などと「運の悪さ」を嘆くのです。
これではどこにも光明が見出せるわけがない。
運にみずから背を向けてしまっているからです。
自分で運に向かっている人は、周囲に対して気配りができ、他人のために何かをすることを厭いません。
そして必要なときは批判を恐れず意見を伝えます。
だから、結果的に周囲から気配りをしてもらうこともできますし、力を貸してもらうこともできるのです。
「善因善果」という言葉があります。
善きことを積み重ねていると、必ず自分にとって善い結果が得られる、ということです。
逆に心不調和に悪行にどっぷりとひたっていれば、悪い結果しかもたらされません。
「悪因悪果」です。
良き運を引き寄せるも、悪しき運に翻弄されるも自分次第。
運はだれにも等しく大宇宙に遍満しています。
要はそれに真っすぐに向きあうか、背を向けるかだけです。
選択はすべて自分に託されています。
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