死後も家に居座る霊


『憑依してくる自縛霊などは永久に成仏できないのでしょうか?自縛霊は運良く霊能者にでも出会わない限り、永久に地上をさまよい続けるのでしょうか?霊能者にお願いしたら成仏させてくれるのですか?
浮遊霊や自縛霊に救いを求められてもキッパリ断ることが大事だと聞いたことがあります。
生半可な気持ちで助けようとすると取り付かれたりかえって厄介なことになる場合があるかららしいです。
なんかちょっと冷たいような気もするのですが、そういう霊はもうずっと安らかに成仏することはないのでしょうか?』(ここまでが問い合わせ内容)
この方の質問は至ってシンプルでもありますが、もっともな疑問といえるでしょう。だが、自分や家族に関わる霊ならば、関わるだけの理由があります。また自縛霊の場合必ずしも救いを求めて憑依するとは限りません。
霊の一方的な都合だけではそう簡単に憑依することはできませんし、憑依される方にもそれだけの原因があります。
心は送信機であり、受信機でもあります。見えない波動エネルギーの働きが心から発する精神活動です。
憑依されるということは、霊と人との波長が合ったということです。
したがって、波長が合わなければ憑依は成り立たないのです。憑依は波動共鳴原理のうえに発生する霊的障害をいうものです。
霊的なトラブルは、個人の敷地内や住宅内で霊的な現象が起きることで、その異常に気付き、なかには体調不良を起こし、それが原因不明であったり、様子の異常さで、もしかしてと疑問を持ち始める場合が多いようです。
相談者がいうように、霊能者に相談すれば霊的なトラブルが解決するとは言い切れない。
現実に霊的な原因が全くないのに、何代前の先祖が人を陥れて、その怨みをかって苦しんでいるから、その先祖を供養しなければ成仏できないし、あなたの家庭問題も悪化するだろうと言われて莫大な金を支払ったが、事態はまったく好転しないというケースがある。
暴利をむさぼる霊能者や、動物霊に支配された一般の人々による霊能者もどきの話しはこれまで限りなく聞いてきた。
結論からいうと、この家族の問題は、それぞれの自己中心と執着、欲望にあっただけである。
また、敷地内や家族の中で起きた霊的な問題も過去にいくつもありましたが、家族が心を一つにして正しい供養(正しい生き方を故人に知らせる)をすることで怪奇現象もおさまって静まった実例があります。ただ、ここでは簡単に記事にできる内容でありませんので割愛します。
霊的な話しは一般的には見えない世界のことですが、無闇に怖がることではないし、自分の心に不満や愚痴や、怒り、嫉妬、などの不調和な心がなければ執着した不調和な自縛霊に憑依されることはありません。
その理由は、波長が合わないと憑依できないからである。
さて、昔からよくいわれていることですが、人間は死後四十九日間は、家の棟を離れない、といわれていますがこれは実際のところはどうなのだろうか。きょうは死者の霊について話しをしましょう。
先ず、四十九日のいわれはどこから来たか。昔から七の数をラッキーセブンといって、縁起がよいとされています。
七の数は完成を意味する、といわれ、そこから七の七倍は四十九で、もっとも縁起がいいということになるようです。
法事の説明では、死後四十九日の間に次の生の縁が定まるとされ、七日目毎の読経礼仏は死者をして善処に生まれ変わらしめることができる、ということのようです。
実際はどうかというと、そんなことはないのです。
2500有余年前の釈迦は、反省と中道という真理の法則に目覚めて禅定を行い21日目にして大悟され、実在界(天上界)に招かれて法話をするのですが、二十一日というのはあの世の定めであって、死者の霊の場合も、二十一日間は、この地上において、自由行動ができる仕組みになっているのです。
したがって、四十九日の根拠の来歴はともかく、二十一日間は、死者の魂は家の棟にとどまることができるのです。
しかし、どんなにこの地上界に執着を持った霊でも、それ以上はこの地上界にはとどまることはできません。
二十一日というのは、地上にとどまる最大限の日数であり、悟った霊ならば、一日も地上にはいません。
亡くなった時点ですぐに肉体からも離れて、そのままスーッと次元の違った天上界に帰ってゆきます。
二十一日という数も、七の三倍という風にみますが、しかしこれはあの世の仕組みであって、もしも、こうした仕組みがなされていないと、この地上界は大変な大混乱になってしまいます。
それはどういうことかといいますと、悟った霊ならともかく、悟らない霊が生きている人間同様に、その行動が自由になるとすれば、多くの人に憑依し、地上界は、たちまち悪霊の支配下におかれてしまうからです。
葬式後、死者が家に遊びに来るとか、挨拶にくるという例は多いのですが死後二十一日間に限り、そうした自由が許されているからです。
しかし、その後はそうした自由行動は許されません。
死者が地上の生活や家族や、財産や、資産、かつての地位、名誉、名声に執着を持ち、二十一日を過ぎても地上にいる場合があります。
これらは自縛霊として、その土地、家、場所にいるのですが、行動の自由はありません。
憑依は、その場所に近付いた場合に発生します。
また自縛霊は、その場所に常時いるかというとそうではなく、次元の違うあの世の生活に耐えられず、その苦しみから逃れようと、執着を持った地上(家や土地)に、意識を同通させるために起こる現象です。ですからその場にいる時といない時があるのです。
自縛霊は、土地や場所だけでなく、物にも通じています。その物を持つと凶事が起こる例は洋の東西を通じてよくあることです。(故人が大事にしていた愛用品など)
自縛霊(地獄)となる人は、足ることを知らない欲望優先の心を持つ人、不満をいう人、愚痴をいう人、嫁さんにつらく当たった人、姑さんにつらく当たった人、物や金に執着した人、人を許せなかった人、人に愛を施すことのなかった人、人を憎み恨んだ人、いつも怒りをぶつけた人、驕り高ぶり傲慢な人、地位、名誉、名声、知識、習慣、因習に執着した人、間違った宗教や団体を指導した者、信じた人たちである。
こういう人たちのことを一言でいうなら、死の際に、自らの心に偏った不調和な心、つまり、執着心を持って死んだ人ということである。
なお悟った霊はどうかというと、悟った霊には行動の自由があります。
上段階に行けば行くほど、その行動範囲は広く、その点は自縛霊の行動とは比較になりません。
先祖供養の真偽は?を参照ください。
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