三昧(ざんまい)

今朝の岩手山麓は初霜がおりている。いい冷え込みです。6時半、散歩で吐く息が白い。

現役の頃の私は仕事で疲れたと思うことがあまり記憶にない。むしろ怠慢な時のほうが精神面では最も消耗した気がする。 今はスタッフにお任せして自分は管理と指導、そして来院者へのフォローにまわっていますが、現役当時を振り返ってみると本当は体も疲労しているのだろうけど、仕事に専念しているとあっという間に時間が過ぎてしまっていて、仕事を終えたあとも充実感で満たされ疲労感を忘れるほどに心地よい呼吸をしていた。

今ふと考える。人生には始まりがあるのだろうか、終わりがあるのだろうかと。

実際は始まりも終わりもなく今があるだけではないのか。始まりや終わりは一つの事を区切りとしてみたときのことだけで人生の始まりでも終わりでもない今という時の存在だけだと思える。

過去も現在も未来も今という点の延長にあるだけで一つの線になってしまう。             私は今という時のなかでバカになる。余計なことを考えずバカになれたときに初めて見えてくるものがあります。

仕事のときは整体バカになってきた。徹底して答えが出るまで。整体という仕事には症状の改善や治癒だけでは終わらないものがありそれが更に私をバカにする。症状によっては体だけを診るのではなく、精神状態を観なければならない場合があります。

バカが人様の精神状態(心)を観るのですからおかしい話しです。

私の場合は何に対しても取り組んだときにはバカになれる習性があるようです。バカになれたときは何も考えないで、ただひたすら夢中になっている自分です。答えが出ないときはバカになれず無い頭を悩ませる頭でっかちのとき。

今までの好結果は全部バカになれたときでした。知識では出せない答えもある。

その時の結果だけをみれば失敗であり違うかに見えても実はそれが最善の結果につながる大きな要因であることがあります。

その意味で失敗の数は大きな成功への必要不可欠なファクターだと確信している。         どうやら私は頭を使う生き方は苦手で体で覚えて生きるほうがらしくなれるようです。

『バカは死ななきゃ治らない』とは言いますが治るはずがない。私はバカのままで今を生きる。   この馬鹿の意味は夢中になって生きること。

過去を引きずることなく、先を憂えず、ひたすら今を生きる。