諸行無常

犬好きの私にとって5年前、黒の大型犬、愛犬カン太の突然の死は相当なショックでボロ泣きしてしまった。

いつも仕事を終えて家に帰ると犬舎に顔を突っ込み、今帰ったよと挨拶をしてから家に入る。休みのときは行動をともにするのを楽しみにしているカン太と私で、時々は家に入れて自由にさせるととても喜ぶ。

私が横になり腕を広げるとそばに来て腕枕に大きな頭を乗せて大きなため息をひとつ、すっかりくつろいでいる。私に忠実なだけに同士のような存在にさえ思えたものである。

1ヵ月くらいは帰宅時に空っぽの犬舎をみて随分と切ない思いをした。

この地上に存在するものはみな移ろいやすく、それだけに儚(はかな)く、愛おしくもある。しかし、愛犬も然り、愛する者も、家族も、すべての命も、物も、形のあるものはみな時間の経過、月日、年月とともに変わりゆく。

山川草木の命は宇宙の秩序に従い生命を繰り返す。

『愛別離苦』という言葉は正に愛するものと離れ別れることの苦しみを表現したものだが、このことは誰もが経験することです。別れは辛いがそのことでまた心が育ちもする。

別れは辛いことだけではなく同時に感謝の心を育んでくれます。

それは失って気づくことが多い。

心は外の世界に囚われやすく、左右されやすいもの。他の言動に囚われたときは事態を正しく見る目を曇らせる。心はいつも執着しやすく、執着に支配されやすい、だが心を支配する主(あるじ)でありたい。

季節は違いますが                                                     散る桜 残る桜も 散る桜“

人の命を桜に見立てた詩で良寛和尚の辞世の句として有名です。

桜の花びらがひらひらと舞い落ちる情景はやがて散りゆく良寛和尚自身の命そのもの。

勢いよく咲き誇る残った花も間もなく散りゆく定めにある。

この世の諸行(すべての現象)は無常(常ではなく変化する)であることを見事に表現しきっています。しかし、無常は散りゆくこと死にゆくことだけを意味するものではなく次の命への準備でもある。

故に宇宙の循環の法則の元に生かされていると深く実感するのですが恵まれた現代の生活だけに私自身、生きることも死ぬことも、そのことに執着せず今を生き切りたい。

潔(いさぎよ)く死を受け止め、潔く逝く覚悟を歌っている良寛和尚の心情に教わります。

戦時中、特攻隊が飛び立ち、帰る事が許されない、これが散る桜、それを見送る同士の姿が残る桜、しかし、残る同士も飛び立ち潔く散りゆく定め。

覚悟を決めて潔いとはいえ戦争が生み出した犠牲という悲しい事実はあまりにも大きい。