不変の真理・過去・現在・未来は一点
インスピレーション&想像
約30年ほど前の話しですが、友人と二人で戦争について語り、原子爆弾や水素爆弾の話しをしていて、これを平和利用のエネルギーとして活用する方法はないものかということがありました。
水から水素を取り出せて車の燃料にできたらいいだろうなという、私の幼稚極まりない考えです。
核燃料のほうでは現代では原子力発電所として、莫大な電気エネルギーの生産に貢献していますからこのことは平和利用であり、優秀な科学者たちの力に依るものであることはいうまでもありません。
そして原子力に劣らず、水素も非常に大きなエネルギーであることはご承知の通りです。
科学に関して全く無知な私は、この水素を水から取り出して利用することができれば、水資源は豊富だから有効なエネルギー資源とならないだろうかと愚かなことを話したのを覚えています。
もちろん一笑に伏されました。
水の組成は、水素2、酸素1という原子の比率でできていますが、水素は最も燃えやすいものであり、酸素もまた物を燃やすためには欠かせないものであります。
この極端に燃えやすい水素と酸素が結合することで火を消す力のある水になり、あらゆる生命体を維持する源となっている大自然の不思議。
水はあらゆる生命体を生かしている元となる存在であり、最も調和された姿といえるでしょう。
水の構造は上述したように、2個の水素原子(H)と1個の酸素原子(O)からなり、水の分子(H-O-H結合)の形態で存在しているといいます。
ここで少しばかり、水から水素を取り出して燃料にできないかという30年前の私の科学知識ゼロで無鉄砲な考えについて今一度、検証してみたいと思います。
石油の代替となるエネルギーについては世界規模でさまざまなものが提案されていますが、現時点ではそのどれもが複雑な生産プロセスを必要とするため、コストが高いままで実用化には程遠いようです。
その意味では、次世代エネルギーとして注目される水素燃料も例外ではありません。
先ず、水から水素を取り出すためには多くの燃料、つまりエネルギーが必要だということで生産効率が悪く、実用化できないということが課題のようです。
これは水から水素を精製するためにたくさんの石油資源を浪費することで効率が悪いということをいっています。
ところがコロラド大学ボールダー校の科学者たちは、非常に簡単な方法で水から水素を取り出すことに成功しました。
コロラド大学ボールダー校の研究者たちが考え出したシステムは、太陽光と鏡を用いた水分解装置。
水が蓄えられた塔を中心にして周囲に無数の鏡を設置し、太陽光を集めて塔を温めます。
太陽光の集中によって塔の中の水の温度は華氏2500度(約摂氏1370度)にまで高められます。
この水の中には、酸化している鉄、コバルト、アルミニウムなどが含まれており、高温に達した酸化金属は、化学反応によってさらに酸素を取り込もうとして水分子から酸素原子だけを吸収します。
つまり水素だけが残され、これを集めることで水素と酸素を分離できるといいます。
従来の方法では、一度温めた炉を再び冷やす必要がありましたが、この装置では蒸気弁を切り替えるだけで常に反応が起こり続けるため、時間と蓄えた熱を一切無駄にすることなく水素を生み出すことができるといいます。
強い太陽光線と広大な土地が必要なため生産できる場所は限られるでしょうが、太陽光から効率よく水素を作り出せれば石油や原子力に頼らなくてもよくなるかもしれませんね。
楽しみではありますが、しかし、課題はまだまだ山積されているようで、実用化にはまだしばらく時間がかかりそうです。
科学者たちの努力に期待し、大いなる発見に到ることを願うものです。
過去 現在 未来は一点
ニュートンは「リンゴに働く重力」を発見したわけではなく、「リンゴに対して働いている力が、月や惑星に対しても働いているのではないか」と着想したのである。
私たちが何か新たなことを発見したり、気づいたとしても、実は新しい法則というものは何一つとしてありません。
法則は法則で既にあったものです。
例えば、水は高いところから低いところに流れることは法則であり、決して低いところから高いところに流れることはありません。
このことに気づいた人間が、落差を利用して水の力でタービンを回し、水力発電所をつくりました。
このように人間は自然界にある法則に気づき、そこからさまざまな発見をしてきたのである。
一方、知識の集積は、それを受け取る人次第で内容が異なってきます。
私たちは子供の頃からその知能に似合ったものを教わりますが、まず『あいうえお』から始まり、やがて知能の発達とともに単語を覚え、文章が読めるようになる。
知識は無限に存在し、際限がありません。
がしかし、そのうちのどれだけを自分のものとして吸収出来るかは、精神的ならびに霊(魂)的受容力の違いであり、得意、不得意の違いもあります。
私たちがどれほど知識を蓄えても、それによって法則を変えることはできません。
どれほど知恵をしぼっても、宇宙大自然の法則の中身を変えることはできません。
過去において法則であったものは今日でも法則であり、明日の時代にも法則です。
ですから、過去、現在、未来は、今という一点の連続であります。
私たちは新しい叡智を身につけることはできます。
新しい知識を増やすこともできます。
が、新しい法則を生み出すことはできません。
私たちはこの不変の法則のなかでこそ生きていられるのです。
心の法則
実は人類にも法則はあります。
人類はすでに地上生活に必要不可欠な法則である『親切と助け合い、愛についての基本的法則』のすべてを魂の内に授かってこの世に生まれてきます。
世界をより良くするためには如何にすべきかを既に心の内に潜在しているのですが、一時の欲望の為に、権力のために我を失っているのである。
魂の成長と発展と向上と進化にとって必要なものは全て示されているのですが、人々は気づいていないだけである。
己の内にある心に素直に謙虚に従いさえすれば、万民の誰もが自身の神性をより多く発揮することができるのですがそれに気づけないのである。
それは地上に生まれてからの自我を拡大するからであって、そのために備わっている神性を発揮できないだけだ。
国によって言葉こそこそ違え、すべての人間が永遠の魂、天の意思、宇宙の意識の一部を宿していることに気づき、自覚しなくてはならない。
宇宙の法則と霊的理念に従って生きれば、この世の悪夢のような悲劇、あまりに永きにわたって無益な苦しみを与えてきた恐怖と悲劇と苦悩を一掃できるであろう。
自分を愛するごとくに他を愛し、苦しむ者に手を差しのべ、人生に疲れた人の心に、また潤(うるお)いを求める者に本当の正しい心の基準である偏りのない心示さなくてはならない。
病の人に手を差しのべ、悲しみの人を慰め、不幸な人に耳をかたむけなくてはならない。
大宇宙の大いなる真実、愛と慈しみは、いまできあがったものではなく、太陽系が存在したときからの法則です。
否、宇宙の誕生からでしょう。
人間の心の法則も大宇宙の真実も同根です。
つい先日のこと、「檀家寺から30万円の寄付の要請があり、わずかな年金でようやく暮らしている自分には支払えないし困りました。」といって心療内科に通い、薬を11種類も服用していて体調を崩してしまった80に近いお婆さんの相談があった。
私は減薬の方法を細かく示し体の様子をチェックして全身のケアをしてあげると顔に赤みが差し血の気が戻ってきた。
地獄の沙汰も金次第とはいうが、私のわずかな経験で知り得たことは、現代宗教の多くが、葬式仏教であったり、ご利益宗教であったり、他力信仰であったり、教祖崇拝であったり、偶像崇拝や曼荼羅(まんだら)崇拝が蔓延して、先祖の供養、仏の供養、人々の救済という大義名分に名を借りた僧侶や、教団や教祖、患部らの営利主義的ビジネスとなっています。
そこには真実の法(教え)はありません。件の檀家さんへの寄付要請の話しもそうだが、この寺の住職は甚だ評判がよろしくない。
当然であろう。伽藍(がらん・建物)を立派にすることにばかり奔走し、高級車を乗り回し、貧しい檀家にも高額を請求するのだから。
人間はまだまだこの世的な都合やエゴ(自我)によって虚飾された宗教やそれらの信仰体系に翻弄されています。
宗教は、教義だとかドグマ(哲学的見解)だとか、儀式だかという障壁を築き上げてしまいました。
本来はシンプルな中に真の教えも学びもあるものです。
真実を知るということはチャンスが少ないものです。
私たちは、一見立派そうにみえる人間が、霊的事実について誤った概念と偏見と無知のために、死後に直面する生活に何一つ備えができていないという状態であってはならないでしょう。
ですから私は、あらゆる宗教的体系と組織、心の進歩を妨げる信仰、不必要な障害、人間の精神を曇らせ、心を惑わせる迷信に対して敢然と立ち向かい、相談者と折に触れて会話をするのです。
間違った信仰に埋没しきっている人にも誤りを説いてきました。
宗教的トラブルに苦悩する人々にも正しき人の道を説いています。
不変の自然法則に基づいた単純素朴な永遠の真理は人類の魂に根本的原理としていなければならない大切なものです。
それは単純・明快で誰にでも理解できるものでなくてはなりません。
それが宇宙大自然の法則です。
私たちはその中で生かされている存在です。
自分の内にあるこの法則に沿って思考し、決断し、実践することですべての自我から解き放たれ自由な身とならなくてはならないだろう。
※お知らせ。
※これまで2011年10月から2年間弱、一日おきに記事を投稿してきましたが、仕事と奉仕活動としてのカウンセリングで毎日が忙しく、さらにメールでのお問い合わせやご相談にも時間を割いてきましたが、最近は記事を書く時間が取れにくい状態にあります。
つきましては、26年1月からは初回が1月6日(月)週に一度のサイクルで毎週月曜日にアップする予定でおります。
いつも楽しみにして、毎日このブログを訪問してくださっている数百名の方々には申し訳なくも、本当に心から感謝を申し上げます。
記事投稿の頻度が少なくはなりますが今後も訪問をお待ちしております。
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