なぜ苦しみがあるのかⅡ
前回に続き苦しみの意味について考察してみたいと思います。
生きることのなかで解決しなければならない問題もなく、挑むべき目標もなく、克服すべき困難もない生活には、人間の魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはないでしょう。
悲しみも苦しみも、神性の開発のためには最大のチャンスなのです。
私のわずか62年の旅路を振り返った時、あらゆる局面で宇宙を支配する絶対的摂理の見事さに感嘆(かんたん)するばかりです。
一つとして偶然というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。
霊的な意識が芽生え、自身の真我に目覚めた時、何もかも理解できるようになります。
人々はいったい何を恐れ、また何故に天の力を信じようとしないのか。人間は宇宙の一部なのにその宇宙を支配する絶対的存在になぜ心を向けないのか。
あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って天の法則に沿って生きるべきです。天の自然なる心を我が心とするのです。自然な心とは流れです。囚われがなく、執着がなく、ありのままです。
心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きるのです。そうすればごく自然に天の心があなたを通して発揮されます。
愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳をもつ者のみが天の意思を知ることができるのです。
愛がすべての根源です。
慈しみが全ての源泉です。
心の霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや天の協力があることを一片の疑いもなく信じることができなければいけません。
苦難にも悲しみにも挫(くじ)けてはなりません。なぜなら心的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。そして何人も他の肉を傷つけても心を侵すことはできないでしょう。
しかし、恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕(むしば)みます。恐怖心は理性を挫き、枯渇(こかつ)させ、マヒさせます。
あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼びおこします。つとめて恐れの念を打ち消すことです。
心の真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱すことがあってはなりません。
心(魂)の力はすなわち天の力であり、絶対的な叡智であり、絶対的な愛でもあります。
生命の全存在の背後に天の絶対的影響力が控えているのです。
“はがね”は火によってこそ鍛えられます。
魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。
苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。
夜明け前に暗黒があるように、心(魂)が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。
そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分につながる天の力に全幅の信頼を置くことです。
霊的知識を手にした者は挫折も失敗も天の配材の一部であることを悟らなくてはいけません。
陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、不二一体のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。
裏表一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。
人間の進化のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。
心の神性開発を促(うなが)すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、いわばワンセット(一組)なのです。
学びこそ不動の基盤であり、不変の土台です。
恐怖心、信念の欠如、懐疑(かいぎ)の念は、せっかくの調和された自分の霊域をかき乱します。
あなたのガイド(守護・指導霊)たちは信念と平静の霊域の中において初めて地上人間と接触できるのです。
恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は正しき霊界の者が地上人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。
太陽が燦々と輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり貯金もあるような時に天に感謝するのは容易でしょう。
しかし真の意味で天に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内在する力を発揮すべき絶好のチャンスです。
然るべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時、その時こそ天に感謝すべき時です。
人生航路のマストに帆(ほ)をかかげる時です。
あえて申し上げますが、4次元の霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解したことにはなりません。
実生活の場で真剣に実践し体験してこそ、初めてそれを理解できる魂の準備が出来あがります。この点がよく分かっていただけないようです。
種を蒔(ま)きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの条件がそろわなくてはならないでしょう。
養分がそろっていても太陽と水がなくてはなりません。そうした条件が全部うまくそろった時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせます。
人間にとってのその条件とは辛苦(しんく)であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。
何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののんきな暮らしの連続では、心に潜在する神性の開発は望むべくもありません。
努力の末にいったん霊的智慧に目が覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する天の意識と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるでしょう。
そうしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。
それを機に4次元世界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて4次元世界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。
あなたの魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。
霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されるでしょう。
私たちはいかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。
霊(意識エネルギー)は物質に勝ります。
意識エネルギーは何ものにも勝ります。
意識エネルギーこそ全てを造り出すエッセンスです。
なぜなら、意識エネルギーは生命そのものであり、生命は霊(意識エネルギー)そのものだからです。
苦しみは魂の進化向上のために欠かせない要件であることがご理解いただけましたでしょうか。
苦と楽は手のひらと、手の甲のようなもので、裏表が別物ではありません。同時存在して用を成す大事な手という機能です。
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