延命治療と胃ろう
入院をして体に様々な機械器具を装着し高カロリーの点滴で命をつないでいるだけで本人は意識もななく、たったひとりの身内である80歳の妻と意志の疎通すらできない植物状態。自宅に連れて帰ろうにも高齢の妻には全ての面で負担が多すぎる。しかし、病院では延命治療をやめない。
「延命治療」のひとつとして、近年、人工呼吸器とともに議論に上がっている「胃ろう」がある。
自力でものを食べる、飲み下すことが困難な患者の腹部に1cm未満の穴(ろう孔)を開け、そこに胃ろうカテーテルという器具を挿入して直接、栄養剤を注入する方法のことです。
認知症患者の訪問診療を行っているある医師は、『胃ろう患者は病院で造られて、在宅にやってくる』と指摘する。
『高度な治療を必要としない高齢の患者を入院させておくことは病院経営を圧迫するので、なるべく早く退院してもらうために胃ろうにして老人施設や在宅に戻している現実があります。なかには飲み下す能力がまだあるのに胃ろうになっていた患者さんもいます』という。
しかし、老人施設などで介護を断られる胃ろう患者のケースも多い。
胃ろう手術を施す患者には誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん・うまく飲み込めず肺に入ってしまい肺炎を起こす)を繰り返すことが多いためにおこなわれる場合がある。
Aさんの父親80歳は、医師のすすめで胃ろうにした。しかし、その当時入所していた老人施設から『胃ろうをしたら、この施設では看護師が少なく、トラブルがあっては困るので、受け入れられなくなります』」といわれた。
毎日仕事の合間に受け入れ施設を探し回ったが、『胃ろう患者はこれ以上受け入れられない』と断られるばかり。Aさんは身寄りがなく、彼女が働くしか父親を支える手立てはない。
『やっと見つけたと思ったら、自宅から2時間半かかる施設でした。しかも見学すると、高齢者をただ寝かしている一軒家。廊下やリビングにも高齢者が寝かされていて、異様な光景でした』と、Aさんは語る。
Aさんが見たのは、通称「胃ろうアパート」などと呼ばれるもので、数年前から問題になっている高齢者施設だ。こうした施設は、日本各地にいくつもある。
欧米では認知症などを発症した高齢者に胃ろうを行うことについて否定的です。
日本では死生観などさまざまな事情はあると思いますが、医療者の都合や、受け入れ施設が足りないという構造的な問題が大きい。
そんななか、介護に疲れた家族などの気持ちにつけこんだ胃ろうアパートのようなグレーゾーン商売(営利主義)が生まれてきてしまったと思うのです。
とある特別養護老人ホームの入所者100人のうち、胃ろうで寝たきりの高齢者が20人もいた。
入所者をケアする介護士は一生懸命、ひと口でも多く食べさせようとする。しかし入所者は食べたくもないのに口に入れられるから、むせて誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)になって病院に送られる。
認知症の患者は何をされるのか理解できないので、パニックになる。そして、飲み下す能力がないと判断されて胃ろうが造られるという流れです。
介護施設や病院経営の都合で、簡単に胃ろうを造っていはしないか。
かつて外科医だったIさんは言う。『老衰と病気は違う。老化によって飲み下す機能が落ちて食べられなくなったら、それは生命が終わりに近づいているということ。食べられなくなることは、自然の摂理だと受け止めるべきではないか。』と。私はこの医師の命の扱い方に、向き合い方にもろ手をあげて賛成する。
人間は限界がきたら、自然と食べたくなくなる。それは飢えて苦しいということではないのです。
これまでは利用者本人と家族に『口から食べられなくなったらどうしますか』と意思の確認をして介護の方針を決めてきたようですが、近年の入所者の傾向は単なる延命措置は望まず、8割が静かに最期を迎えることを希望する傾向に転じてきたようです。
病院に入院していて家族にも医師にも意思表示できず、動きもなく、反応もない状態の患者の胃に穴をあけてカテーテルを通し、高カロリーの流動食を流すだけの管理。
このことによって疑問を持ち命の尊厳について苦悩する連れ合いや身内の葛藤が延命治療にはつきものだ。
結局、悩んだ末に自宅に連れ帰りやがて自然に息を引き取ったケースがある。
連れ合いはいう。『これで主人も苦しまずほっとしていると思います』と。
野生動物の世界なら物を食べられなければ、それはそのまま死を意味します。
医学が進歩することによって本人の意思とは関係のないところで、延命処置が行われる現代医療の現実は、個人の命の尊厳とは何か、どうあるべきかをまだまだ検証する余地があるのではないかと考えます。
生きるとは何か、死ぬとは何か。ということを深く思考して自分自身の思いと答えを持って人生を営んでいかないと、いざ病に倒れたとき、不慮のできごとのときに身内に大変な負担を強いることにもなるだろうが、それ以上に霊的生命の観点からすれば全くもって延命治療は用を成さない医療行為です。
何故なら肉体が機器によって一時つなぎとめられても霊的魂の成長には弊害こそあっても足しにはなっていないからです。
植物状態ではあっても肉体が存在しているうちは霊体は完全には離脱しきれず幽界にさ迷うことになります。これが魂の進行の障害となるからです。
延命治療は何より本人の意思を尊重してあるべきことで、家族や病院の都合で行われるべきではないであろう。
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