燃え盛る炎
いつも人を恨んでいる方がいた。どこに行っても、人を恨み、憎しみ、怒り、苦しいから助けてくださいという。本人は苦しみの原因を解っていない。生きてこの世で地獄をつくっている。気の毒な人です。
熱くて涼しさを求めるときに火をたくだろうか。
寒くて暖かさを必要とするときに冷たい氷を求めるだろうか。
熱さは怒り、寒さは悲しみと恐れ、ごく普通に考えれば暑いときには涼しく、寒い時には温かくするものですが、火に油を注ぐような行為をするのも人間ならではの事。
しかし、人間はこのように冷静な対処とは相反する思いと行為をすることによって更に事態を悪くし苦しい思いをしている。気づかずに。
嫁が憎い、姑が憎い、あいつが憎いという心の思いは燃え盛る炎そのものです。 火が燃え盛れば灰が残るように、この灰は心を曇らせ自分を見る目を失わせる。
心に葛藤や怒り、憎しみの炎が燃え盛れば優しさも思いやりも愛も全てを見失ってしまう。まさに業火とはよく言ったものです。
また反抗したり、すねたり、意地悪したり、落ち込んだりしているときは心が冷え切って寒いとき。このような時は優しさ、思いやり、愛というゆるやかで暖炉のような暖かさ、ぬくもりが欲しいときなのに、更に厳しさをもって追い打ちをかけて氷の如く更に心を凍らせる。
善い行いも悪い行いもその行為に対する報い(結果)は、影が形に従うように必ずついてまわるものです。
人間の争いは、自身が執着の原因に気づき、それから離れ他を許すことでしか静まらない。
怒りや憎しみの心は破壊のエネルギーとして他に働き現実のものとなる。
しかし、破壊のエネルギーは自分に還ってくることを知る人は少ない。
『善悪の報いは影の形に随(したが)うが如し』自分が行ったことの全ての結果は自分の影のようについてまわるものだということです。
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