水子供養の因習と真偽


厚労省の調査によると中絶の経験者は10人に対し1.5人と15%となっていますが、複数回の中絶をする人もいますから実数はこれを上回るでしょう。
中絶するときの理由としては色々あるでしょうが、女性にとって中絶に対する心の痛手は大きく後々まで尾を引く人もいます。
そういう女性の心に付け込んだ営利主義の霊能者といわれる人たち、拝み屋、宗教団体、仏教界の僧侶たちまでいます。本当にこんなことで良いのだろうか。
此処に、あるお寺の広告文の実例を紹介します。以下

正しい供養法『一霊一基の位牌をつくる』
水子とは元来、形のない存在であるからこれに形を与えることが必要である。存在をつくるのである。一霊一基の位牌を作り戒名をつけ永代にわたって供養をする。位牌を作るということは霊の宿るところを作るということである。
仏教においても他の宗教においても、位牌のようなものに霊が宿ると考えられている。キリスト教においても十字架の碑を建てるようなものである。お墓はだから同じく大型位牌といえる。塔婆も石塔も同じである。水子の場合、俗名がなく戒名のつけようがないので、経典の中から文字を頂戴してこれを戒名として授けるのである。

水子供養料について
永代供養(1家) 2万円
お位牌代(1霊) 1万5千円
合計 1霊3万5千円  2霊5万円  3霊6万5千円  4霊8万円  5霊9万5千円 となります。
お布施とご供養に関して
当寺院では、お布施のことよりご供養が先であり、ご供養することの大切さを申し上げております。 一日も早くご供養を申し上げ、速やかに御仏に導かれ、霊安かれと心より心よりご冥福をお祈り申し上げております。
※上記広告内容に対する過ちの確認と説明
正しい供養法とはいっているが
1・一霊一基の位牌を作る必要はない。(水子は位牌を望んでいるのではない。)
2・水子は形がないものではない、霊体としては未熟ではあるが、人間の形をした赤ちゃんの霊体であることをこの僧侶はわかっていない。
3・形をつくることが存在をつくる。とあるが、位牌をつくらなくても水子の霊は天上界に養育施設で育てられて存在している。
4・戒名をつける必要はない。(戒名は出家した場合つけてもらう修行僧の名前)
5・永代供養とは終わりのない供養という意味であるがその必要がない。(僧侶が水子供養するより、親の心からの一度の懺悔と二度と同じ過ちを犯さない決心。明るく健やかな家庭生活、人々への愛の奉仕が最大の供養となる。愛の行為は天にも地にも万物に伝わる安らぎのエネルギーであるからだ。)
6・水子を呼び寄せて位牌に宿らせる必要がない。(このような思想は儒教や陰陽道、神道系、密教系の影響がある。仏教にこのような教えは存在しない。)
7・位牌に霊を宿らせるようなことを仏教の祖、釈迦牟尼仏は指導していない。(死者、先祖、子供に対する供養は、この世の人間が愛と慈悲の生活をすることだと説いた。)
8・位牌を作ることはキリスト教の十字架のようなものというのは、全く意味が違う。(十字架は愛の象徴であり、それはイエスの偉大な愛に生きたことに対する人々の畏怖の念が表現されたものであろう。水子供養の位牌と同一視する僧侶の無分別には失望する。)
9・お墓は大型位牌というのも、まったく似て非なるもの。(本来、お墓は死者を埋葬した場所を特定するためだけのことですが、いつの間にか歴史とともに、まるで個人の魂がそこに居るかの如く、祀り上げてしまった。そもそも位牌のルーツは中国儒教の思想が日本の江戸時代ころから仏教に取り入れられてきたもので、本来は仏教の教えに位牌に関することは何もない。)
10・水子は戒名のつけようがないので経典から字をもらってつけるという考え方はあまりにも幼稚すに過ぎる。(あの世の魂、つまり先祖、新仏、水子、これらの供養には位牌も戒名も、お墓も、仏壇も、必ずしも必要とするものではない。否、なくても供養はいくらでもできるものです。)
以上、上記の広告文の実例のわずか7行のなかに10か所の過ちが含まれていました。この広告文章を信じてしまうことの恐ろしさに気づく人は少ないだろう。
私は、無宗教ですが、無神論者ではない。しかし、現代宗教界の営利目的、組織拡大など、商業ベースのご都合主義のあり方に警鐘を鳴らしたいのである。何故なら、被害者が後を絶たないからである。
きょうは水子供養と称して暴利を貪る従来の因習(よくない習慣)や手法がいかに的外れな内容であるかを理解していただくために、さらに詳しく具体的に説明しておきます。少し長くなりますがお付き合いのほどお願いいたします。
1・先ず胎児に魂が宿る(下生)のは妊娠3~4ヶ月頃であること。
2・堕胎された胎児が2ヶ月の場合はまだ魂が宿っていない場合が多い。
3・胎児に魂が宿った後の堕胎の場合、胎児はこの世に生まれず、この世の汚れに触れていませんから魂が無垢のままで、執着もありません。
4・執着がないから堕胎された胎児の魂はそのまま天上界の霊界に入れます。あの世の魂の兄弟たちが導いて赤ちゃんの魂を育児施設まで連れて行きます。そして専門の育児係りや指導者たちが成人するまで育てるのです。
5・胎児に宿る前のあの世の魂は立派な大人の魂ですが、一旦、胎児に宿った魂は、堕胎の後あの世でも赤ちゃんの状態から成長をすることになります。これはこの世の成長とあの世の成長も全く同じ宇宙の法則のなかにあるからです。
6・堕胎された水子霊が祟るとか、障るとかいうことは全くありません。汚れていない魂は霊障をするようなことはないのです。肩に付いているとか、背中に乗っているとかいうのは真実ではありません。
除霊や代理供養するといってお地蔵さんや供養グッズを買わせたり、お金をもらうことを仕事にしている人たちの都合による作り事や方便に過ぎません。
今まで言われるままに供養していたのに、別な霊能者に水子が憑いているといわれ、また金をかける人もいます。これではどこに行っても同じように言われて心が安らぐこともないだろう。
7・大事なことは中絶した後の身体の養生と、二度と中絶をすることにならない生活をすることです。それと堕胎した子供のためにも、人々に対して愛ある生活を心がけること。
愛のある行為は地上の人間だけではなく、あの世の人たちにも調和されたエネルギーとして届くのです。これがあの世とこの世の連なりであり、真実の供養です。
8・一度反省したら過去を引きずらないこと。先を憂えず今日を生き切ることです。
自分が心乱れて赤ちゃんの供養などできようはずがありません。自分が正しく心を乱さず、何事にも執着せず生きることが供養につながるのです。
真の水子供養というのは形にあるのではなく、お父さん、お母さんが互いの愛に応える平安な生活をするときに愛念として、万象万物に行き届くのである。
利用される水子供養の実態
水子供養はどうしたらよいのでしょうか。水子があれば子どもたちに影響するのだろうか。何か良からぬことの原因になるのだろうか。と心配する人たちは多い。
人口妊娠中絶
中絶は、せっかくこの世に肉体を持って魂の修行をしようとしている子どもの肉体を、親となるべき者の都合によって、勝手に中断するのですから、一種の殺人行為に当たるだろう。
法律では、経済的理由による中絶は認められることになっていますが、人間の尊厳を思うならば、いかなる理由による中絶も罪になるのである。
人工中絶は、母体が胎児を育てるために全身の機能が整っているものを、急に中絶するわけですから母体の健康バランスを崩すことになり、何回も中絶すると、その度に身体の調子を崩して病気にならないまでも、全身のバランスを失って健康を害することにもなる。
医学的見地からすれば中絶を受けた後で妊娠すると、胎盤のでき方が不十分で、胎児に十分な酸素や栄養分が与えられないことになり、奇形児を産む確率が高くなる。
未婚の女性は、自分の魂の使命、将来の運命、生れてくる子どもの不幸というものを考えて妄(みだ)りに性交渉を持たないこと、願わくば純潔を守ることであり、また男性は、女性の純潔を蹂躙(じゅうりん)しないようにすることである。
結婚を口実に、女性の性を奪おうとする不誠実な男性もいるが、そういう男性の甘い言葉に騙されてはならない。
しかし、現代は、未婚、既婚女性が男性を誘惑して金銭を得ると言うことがあるようだが、そういう女性はいつか自分の間違いを猛反省しなければならない時がくることになる。愛のない交わりはあってはならない。
水子と宗教
ニセ、偽善宗教家や金目当ての霊能者や僧侶、拝み屋、などは、殆んどの人が水子は障ると言う。はたして真偽のほどはどうなのだろうか。
父親、母親の都合、流産や堕胎などにより水子になるわけですが、水子自体は何も悪い事をしているわけではなく魂がクリーンのため、水子の魂はそのまま導かれて天上界に上がってしまいます。迷うことはありません。
ですから水子による障りなどあろうはずがありません。後々の影響は母親の心身の状態にかかっており、霊的なものもありますが、それよりも現実的な面で心身を養生し、注意することが大事です。
戦前から戦後にかけては、一家で子供が五人、六人というのは普通でしたが、近年は親が経済的に楽な生活をするために、子供は一人か二人のとどめて、あとはみな避妊し、避妊に失敗したら中絶をするということをやってきています。
そのため、産婦人科医は堕胎で儲かるという現象がおこりました。
ところが堕胎した婦人たちが病気になり、医者にかかっても大して良くならないという例が出てきて、にわかに水子供養ブームが起こり、ほとんどの宗教団体、お寺、拝み屋、霊能者が水子地蔵を建てたり、買わせたりして、供養を行うようになってきた。
産婦人科医も堕胎が多くなるにつれて、良心がとがめるのか院の外に供養塚や地蔵をたてるところまで出てきたのである。
水子供養をしているお寺のパンフレットを見ると、『ノイローゼ、親への反抗、テンカン、子供の弱視、夜尿症、各種婦人病、登校拒否、結婚拒否、乳がん、腰痛、心臓病、肩こり、首、腕、足、頭痛、めまい、など』これらはみな水子の障り、祟りであると書いてあります。
しかし、これらは全て嘘である。腰痛も、偏頭痛も、めまいも、不登校も、足、首、腕などの痛みも私のところでは、よく改善され、治っていきます。全く水子に関係なくです。
人間の体は、いつも絶好調のときばかりではありません。様々に変化する中で生きているのです。勿論、精神的な要素と肉体的原因が重なって体調不良のときもあるでしょう。しかし、それらを水子のせいにするのは全くの間違いである。
恋愛中に子供を妊娠してこっそり堕胎したとかで、祟りを恐れて、こっそり水子の供養をしているOL、あるいは、初恋の人の子どもを妊娠したものの結婚できず、別な男性と結婚して、こっそり水子寺に通い供養をしている人妻。
7回堕胎している人もいた。水子地蔵には赤い布地の衣が着せられ、その前には哺乳ビンやおしゃぶり、人形、おもちゃ、お菓子、などが色とりどりに並べられている。
お参りする人たちは、水子が生まれて生きていたら、ああなっているだろう。こうもなっているだろうと、色々思い出してはすまないと思い、こうして供養しているから罪は許されるだろうと思う反面、罪が許されたという確証は何もないのですから、いつどういうことで祟りがあるかもしれないと、絶えず恐怖心を持ち続けてゆくことになります。
このような実情をみるとき、水子供養をやって利益している坊さんや宗教家、拝み屋、霊能者たちは、祟りから救われることを説く半面、逆に除き去ることのできない恐怖心を与えていることに気づかなければなりません。
心の片隅に恐怖心を残してしまうようでは本当に救ったことにはならない。
水子の祟りというものは、信じてしまうと、いくら供養してみても、少し体の具合が悪くなったり、思うようにいかない、あるいは子供が病気になったりしても、すぐに水子の祟りではないかと、何事も水子の祟りに結びつけてしまって恐れ、ますます水子の供養に精を出すようになる。
これではいつまで経っても『これで救われた』という安心を得ることはないだろう。
水子霊の真実として申し上げておきましょう。水子霊は祟ることもなければ、迷うこともない。
迷っているのはこの世の親であって、あの世の子どもではありません。
それなら、『泣き声が聞こえた、助けてくれと声が聞こえた、迷っている霊が見えた、白い球が憑いてるといわれた』というような、いわゆる祟ったとみられる現象はどうして起こるのだろうか。
これは、その人の心の想い(想像も含めて)と、自縛霊や動物霊の仕業です。
何故なら、堕胎した人たちの多くは両親の呵責に苦しみ、すまないことをしたと思う。悪いことをしたら罰が当たるだろうと恐怖して心が不安になる。
こういう不安や恐怖、想像する心が夢となって現れたり、現実のように錯覚したり、良心の呵責で恐怖しているその心の隙間に動物霊や自縛霊が入り込んで色々な現象を現実のように見せたりします。このように未浄化な霊でも様々な現象を見せるのは簡単なことなのである。
動物霊や自縛霊が隙を突いて入り込むということは、日ごろから心の不調和があるということですから、よく心の在り方を学んで、それを生活の中で実践することで調和されてくるものです。
水子の供養はする必要がありません。供養というかたちに囚われて心が不調和なままに意識をあの世に向けることは地縛霊や動物霊にコンタクトする可能性があるだけに危険極まりない行為なのである。
但し、一度は心から詫びる必要があります。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。、下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。^_^;