心の乱れ
不調和の原因
先日、竹島に韓国の大統領がヘリで訪問して物議を呼んでいる。日本と韓国の間で竹島の領有権問題が未解決のままだ。
世界的な一般常識と歴史的背景、地理的な条件を考慮すれば、恐らく日本の固有の領土と判断してよいのではなかろうかと思うのですが、私のような素人には専門的なことは解らない。
ただ、尖閣諸島にしても竹島にしても、中国や韓国の行動はいきなり日本海域に油田開発を進めたり、竹島に韓国旗を建築する強引な手法に何とも合点がいかないのは私だけであろうか。
過去には竹島近海で漁をしていた漁民が韓国軍の銃撃を受けて死者もでているし、拿捕もされ、抑留もされている。まったく容赦ない攻撃的な行動が続発している。
そして、そこには韓国政治家の飽(あ)くなき権力への自己保存という欲望が見え隠れする。
さて、本題に入りましょう。日ごろの私たちの心が不調和になる原因を追及してみると、ほとんど自分の欲望が満たされていないときに起きていることが解ります。
人より偉くなりたい、お金がたくさん欲しい、よい着物を着たい、うまい物を食べたい、環境一切、設備の整った家に住みたい、子供を有名校にいれたい、人から良く見られたい、数え上げればきりがない欲望の泥沼。
足ることを悟っているならば心に自制が生れてくるのだが、逆へ行く人が多いのである。
その結果、それらは欲望の奴隷になって安らぎの生活を得ることができなくなるのです。
自分の立身出世のためなら、同じ仲間に対しても平気で不義理をする。上司に認められたいために己の心を偽り、下僕のような封建社会さながらの態度をとる。
地位や名誉や金が、人生を豊かにするものであろうか。
我欲が出れば、平穏な生活は愚か、己を滅ぼす場合もある。
金でつながっている人間関係は金が切れるとつながりも切れるものだ。
地位や名誉の恩恵だけで人の上に立っている人間はそれから離れた時に人も離れてしまう。そのことに気づいた時は孤独に苛(さいな)まれる自分がいるだけである。
人間は偽りのないことにこそ正しい心の芽が出て足ることを知り、安らぎの人生を送ることができるということを知らなくてはならない。
地位を得たものは、その地位を己の為に駆使してはならない、地位を全うするのは地位ではなく人間性という人格でなくてはらないだろう。
人間は地位に執着したときに慢心し、驕(おご)り、傲慢(ごうまん)になる。これらはみな欲望であって、決して虚栄や欲望におぼれてはならない。
このように、貴い修行場としての人生を、無意味に過ごしてはならない。
与えられた環境のなかで、勤勉に努力してゆけば、心の不安も消え、安らぎの環境をつくりだしてゆけるのである。
組織の場合でもそうだ、労使ともに、感謝の心が報恩となって、心の調和につながってゆくのである。△三角錐は底辺が下にあるから安定して座るのだが、これが逆三角▽になれば不安定になり倒れてしまう。
組織の経営者は、この単純な道理を心の底から離してはならない。下で働く社員の功績が会社を存続させていることを。
社会主義のいう、上部層と下部層の、対立的宿命によって現象化される、闘争と破壊の思想を、人類はものの道理と信じてはならない。
間違った思想による人間の心の変化は、心乱れて己の影となり、破壊への道をたどる。
不調和な想念行為は自ら刈り取らなくてはならぬことを知るべきである。
人生は短いもの、悔いのない毎日の生活の積み重ね、その中での反省は、人間の心をより高い次元に浄化進歩させるものである。何故なら、想念は行為となって現れるものだからだ。
太陽は勿論だが、眼に見えない宇宙の崇高な光りエネルギーは、慈悲と愛に対する感謝の心で、人々に対する報恩の心と行為になってゆくような人間にこそ注がれる。
私たちは一歩一歩、この様な社会を作らなくてはならない。そしてそれは、手をこまねいていても訪れてくるものではない。実践行為のなかに善意の運動は広がっていくものであろう。
社会現象の、外面にとらわれることなく、内面の心を中心とした調和こそ、天の意志と同通するものであり、それはまた、宇宙の真理に適った人間の実践生活以外にないということを、私たちは発見するのである。
人類は皆兄弟である。地上においては同時代の同期生なのです。
皮膚や色や民族の種類は、それぞれの環境に適した肉体であって、人生航路の借り船にすぎず、その支配者である意識、すなわち魂は少しも変わっていない同じ人間同士であり、兄弟なのである。
地上に国境はあっても魂の世界に国境はない。
太陽の熱と光は万人に皆平等であり、天の慈悲、愛もまた平等である。
従って人種差別も偏見も天の意志ではない。差別の段階は、生活環境の差異によって生れたものであろう。
差別は、心の面を見ることのできない人々によってつくられた、自己保存のための封建制度的な階級制度といえよう。
私たちは今こそ内面の心を悟り、人間として生をうけた今生の価値を正しく認識することが大切である。
“苦悩は自らの心と行いがつくり出している。“
次回は17日(金曜日)の投稿を予定しております。訪問をいただきありがとうございます。
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