生命
生命とは、どのように理解したらよいのでしょうか。
生命について述べられた生物学上の知見は莫大(ばくだい)な量に達しており、生物の特性としてあげられてきたものには、生物体の有機物質を主とした構成と有機物質の生産、維持の能力、生殖遺伝などいろいろある。
いずれ生物学的に重要なものであるが、「生命」の必要条件を規定して記述するのはむずかしい。
人間と、その他の動物、植物、鉱物などのすべてに及ぶ生命ということについて述べてみたいと思います。
「生命」とは普通、生きている生物についていわれていますが、広い意味では「ものの用に役立っているもの」を指します。
つまり、動・植・鉱の物質は、この意味ではすべて生命を持っているわけです。
生命あるものは、他を生かす天命を担っています。
そうして、全体を調和させています。
空気、水、大地、地球、太陽、そして多くの星々。これらはみな広い意味で鉱物であり、人間のようには語りませんが、やはり生命を持って生きています。
つまり、これらの物質は大宇宙という大生命体を形作り、大宇宙の意思の下に調和という運動をつづけているのです。
こうした鉱物資源が宇宙に存在しなければ、太陽も、空間も、そして人間を支えている地球という大地も存在し得ないし、そうした意味においては、鉱物といえども、生命エネルギーの一形態であるといえます。
要するに生命とは、全体の調和に役立っているもの、つまり、ものの用に立っているものを指すといえるでしょう。
中国の古典思想は、ものの用に立たないことが生命エネルギーを保存し得るとして、遁世(とんせい・俗世間を逃れて隠れ住む)生活を最良の道と心得ちがいをしているものもありますが、執着と愛の行為を混同したり、こうしたものの曲直(きょくちょく)が不明になり、道を誤ってしまいいかねません。
なお。生命には、動的生命と静的生命の二つがあります。
動的生命とは、個性を持った生命エネルギーであり、行動の自由性を持ったもの、たとえば人間、動物がそれです。
静的生命とは、自らが動くことのない生命エネルギーであり、その状態であっても他を生かす存在であり、草木がそれです。
また、人間は心(魂)が動的生命であり、その念体を包んでいる肉体が静的生命といえるでしょう。
お分かりだろうか。肉体が動的なのではなく、肉体を動かす意識こそが動的生命体であるということです。ここの主従関係をしっかり認識しておく必要がある。
人間生活は、この二つの生命体を素直に運ばせ、調和させることにあるわけであり、そして、そのことは人間生活全体に役立つところとなるわけであります。
自己の確立とは、こうした生命の調和された働きが背景にあるのであり、生命の調和こそ、正道(偏りのない人の道)の第一歩であるわけです。
生命とはなにか、といった場合は、それはあなた自身であり、この大宇宙全体であるといえるわけです。
あまりむずかしく、哲学的・理論的に追究しようとすると、ややもするとその本質から遠ざかり、わからなくなってしまいます。
素直に、卒直に、自分の身のまわりをながめれば、生命とはどういうものかハッキリするでしょう。
動くもの動かないもの、すべてのものに目を向け、心をむけることで、その奥にある働きを感得できるものです。
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