愛の連鎖・霊性の進化
あなたを愛してくれる人が現れるのを待っていたらそれは叶わないかもしれない。
でも愛する人を探すのは簡単なことです。
周りの人に少しだけ思いやりを持てばいいのですから。
たった一人でいいのです。
いろんなことが陰気で暗く侘(わび)しく感じられているこの地上において、誰かを元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。
勇気づけられた人がまた誰かというように、そして一人を二人に、二人を三人としていくことができるのです。
愛に満ちた霊性(心)の宝は楽々と手に入るものではありません。
もしそうであったら価値は非常に薄っぺらものになります。
価値あるものほど手に入りにくいのである。何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利と言えるでしょうか。
何の苦労もせずに頂上にたどり着いたとしたら、それが大きな感動となるだろうか。
霊性の進化というものは先へ進めば進むほど孤独を克服するための戦いとなっていくものです。
なぜなら、それは前人未踏(みとう)の地を行きながら後の人のために道標(みちしるべ)を残していくことだからです。
そこに霊性進化の真髄があります。何事もある程度まで道を究めようとするときに、孤独は避けられない影のようなものです。
病気を克服するときも人や医師の世話にはなるが、究極は自分自身の気づきのなかに回復のヒントがある。
即ち『色心不二』体と心は一つであるからだ。
私たちが何かを成就しようとして努力する時、少なくても自分と同等の、あるいは多くの場合それ以上の霊格者の援助の努力が霊界において為(な)されているものです。
自己都合の欲望による願いは論外ですが、愛に満ちた行動をするときに援助を求める真摯(しんし)な熱意がなおざりにされることは決してありません。
忠信からの実践は、実在界(4次元)との霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。
しかし、その時に発生する背後での霊的事情の実際は言語では説明できるものではない。
元来地上の出来ごとを表現するように出来ている言葉では、次元の違う4次元以上の世界を表現しようとすることに無理があるのです。
言葉をどう駆使してみたところで、高度な霊的実在を表現するにはお粗末なシンボル程度のことしか果たせないでしょう。
いずれにせよ、その霊的実在を信じた時、あなたの心に霊的な備えが出来たことになります。これが重要な気づきです。
大勢の人が真の実在であり、全ての根源であるところの4次元世界の存在と自己の霊性に全く気づかぬまま生きております。
誰もが今現在こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。
このことは、これまで相談者と対峙してきたなかでいつも思うことであり、問いかけてきたことです。
人間には霊がある、あるいは魂がある、心があると信じている人でも、実在は肉体であって魂はその付属物であるかのように理解している人がいます。
本当は魂が主体であり肉体が徒属物なのです。つまり真のあなたは魂なのです。
生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在だということです。
肉体は魂がその機能を行使できるように出来あがっております。その形体としての存在はほんの一時的なもので、せいぜい80年前後でしょう。用事が済めば崩壊してしまいます。
が、その誕生の時に宿った魂、これが大事なのです。この辺の理解ができた時こそあなたの内部の神性が目を覚ましたことになります。
肉体的束縛を突き破ったのです。魂の芽が出はじめたのです。
あとはあなたの手入れ次第で美しさと豊かさを増していくことになります。
そうなった時こそ地上生活本来の目的である魂と肉との調和的生活が始まるのです。
霊性を一切行使することなく生活している人間はあたかも目、耳、あるいは口の不自由な人のように、霊的に障害のある人と言えます。
肉体に障害が出ても心(魂)まで障害にしてはなりません。
霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。
それは、その人が人生から皮相的なものではなく魂という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。
魂の宝は地上のいかなる宝よりも遥かに偉大であり、遥かに美しく、遥かに光沢があります。心に執着がなく調和されている人のオーラは穏やかな神々しさで優しい波動を伝えてくる。
物的(肉体)なものが全て色あせ、錆(さび)つき、朽ち果てたあとも、いつまでも存在し続けます。
魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を確認するようになります。
それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。
その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。
これは単に地上で血縁関係にあった霊体の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊体との関係を緊密にします。
その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し伸べます。
この霊的自覚が確立された時、あなたはこの世的手段をもってしては与えることも奪うことも出来ないもの磐石不動(ばんじゃくふどう)の自信と冷静さとを所有することになるでしょう。
そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ、自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。
人間の大半が何の益にもならぬものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起(やっき)になり、永遠不滅の実在、人類最大の財産を犠牲にしております。
どうか、何処(どこ)でもよろしい、種を蒔ける場所に一粒でも愛の種を蒔いて下さい。冷やかな拒絶に会っても相手になさらぬことです。
議論をしては決していけません。
知ったかぶりの態度に出てもいけません。
無理して植えても不毛の土地(受け入れない人)には決して根づきません。
根づくところには時が来れば必ず根づきます。
あなたに心ない言葉を浴びせた人たちも、やがてその必要性を痛感すれば向こうからあなたを訪ねて来るでしょう。
私たちを互いに結びつける絆は絶対唯一の心の絆(きづな)です。
天なる宇宙は愛をもって全てを抱擁(ほうよう)しています。
私たちはこの宇宙の愛を原点として生活に活かさなければならないだろう。
これまで啓示された宇宙の摂理に忠実に従って生きておれば、その天との愛の絆を断ち切るような出来ごとは宇宙のいずこにも決して起きないのです。
宇宙の大霊である意識は決して人類を見捨てません。
従って私たちも宇宙とその意識を見捨てるようなことがあってはならないでしょう。
宇宙間の全ての生命現象は定められたコースを忠実に辿(たど)っております。
地球は地軸(ちじく)を中心に自転し、潮は定められた間隔で満ち引きし、恒星(こうせい)も惑星も定められた軌道の上を運行し、春夏秋冬も巡りを繰り返しています。
種子は芽を出し、花を咲かせ、枯死(こし)し、そして再び新しい芽を出すことを繰り返しています。
色とりどりの小鳥が楽しくさえずり、木々は風にたおやかに靡(なび)き、かくして全生命が法則に従って生命活動を営んでおります。
私たちはどうあがいたところで、その宇宙の懐(ふところ)の外にでることはできないのです。
私たちもその一部を構成しているからです。全ての生命は宇宙の懐の中で循環という法則によって生かされているのである。これを輪廻転生ともいう。
どこに居ようと私たちは天なる宇宙の無限の愛に包まれ、その御手に抱かれ、常に宇宙の力の中に置かれていることを忘れぬようにしたいものです。
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