外向的愛は崇高

愛
大きな問題を抱えて悩み苦しみ、闇の中に堕ちたかと思うほど苦悩していた家族が、大事なことに気づき、これまでのトラブルや諸問題が改善されて穏やかに暮らせる平凡な生活、平和の有り難さを強く感じている人たちがいる。
夫が妻にかける心強い包容力、妻が夫に尽くす安らかな暖かさ、自分が要求することより先に、相手を思いやる心を忘れなければ夫婦は信頼しあえる。
しかし、妻を思いやることより自分の要求を先に考えている夫。
また夫に尽くす愛より先に夫のここが嫌いだと考えている妻。
物を選ぶように好き嫌いという感情に翻弄されている夫婦ほど自我心、利己的言動が強く、なかなか自分の悪しき心の傾向性から抜けきれないでいる。
こうあってほしい、穏やかに心安らかな生活をしてほしいと願い忠告をすると、頭では理解しているが、実際には日ごろ言動に反映されてこない。
結局はどのような方法やヒントを与えても、知識として頭にあるだけでは何の智慧にもならない。知ったことは実生活に活かされなければ智慧とはならないのである。
深い愛は小さな思いやりから出発するものだ。それができないようであれば自我心、利己性が心を占めていると言わざるを得ない。
我欲を棄て、他人のために自分を犠牲にすればするほど、自己内部の神性がより大きく発揮され、私たちが存在する地上における目的を成就しはじめることになります。
家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。
家族を愛することは基本であり当然のことであらねばならないが、敢えて申し上げるなら、外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。
排他性を含んだ身内の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が崇高だということです。
いかなる資質にも上等のものと中等のもの、下等のもの、明るい面と暗い面があるものです。
家族的な愛に囚われると往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。
それは進化の過程における人間の持つ動物的本能の名残りである防衛本能によって支配されている部分でもあるだろう。
が、愛の最高の表現は己を思わず、報酬を求めず、一切の私心を伴わずに、全てのものを愛することができることです。
その段階に至った時は唯一なる存在意識の働きと同じです。
なぜなら自我を完全に滅却(めっきゃく)しているからです。
愛は人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。
愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。
愛はまた、滅私と犠牲の行為となって現われます。
霊の世界、つまり4次元世界へ帰った者がなぜ地上へ舞い戻って来るかご存知だろうか。
大多数の人間にとって死は有難いことであり、自由になることであり、物質的制限から解放であるのに、なぜ戻って来るのでしょうか。
霊の世界の恩寵に存分に浸っておればよいはずです。
地上生活における住民を脅(おびや)かす老いと病と死への恐怖から解放され、数々の煩悩(ぼんのう)に別れを告げたのです。
なのに、地上との間に横たわる計り知れない困難、それは、魂のステージアップを一定の段階まで成し遂げないと地上には降りられないという条件を克服してまで自ら志願して地上に降りるのは、地上で暮らす人々への愛があるからです。
自らの愛の向上と人類愛の向上を目的として時期を待って地上に降りるのだ。
再び、三度と下生する魂は愛の赴くところへ赴くのです。
愛のために存在するのです。
愛あればこそ役に立ちたいと思うのです。
霊界においては、いかなる邪霊集団が束になろうとも、善なる魂たちが愛を以って結束するとき、邪霊集団は興隆することは敵わないのである。
私も、あなたも、これまでに気づかせて頂いたことに心から感謝の念をもって喜ぶべきです。
浴し得た恩寵に感謝すべきです。
愛は死よりも強いこと、立ちはだかる障害も愛によってきっと克服されるという認識を得たことを有難く思うべきです。
あなたを包む全ての愛によって存分に慰められ、支えられ、励まされるがよいだろう。
その愛の豊かさは無限のものです。
その愛の原点は唯一なる存在の意識に端を発します。
その愛の深さと広さはとうてい人間の言葉では表現出来ません。
人間はこれまで、愛に発する利他的行為、英雄的行為、奉仕的行為、滅私的行為による目覚しい成果を見て参りましたが、その陰で霊界の高級霊が生命力そのものを結集して人類を温かく包む、その愛の底知れぬ潜在力はとうてい推し測ることはできません。
もっとも、その愛も受け入れる器がなければ授かりません。
それが摂理なのです。
理屈は分かってみれば簡単です。
心に資格ある者が授かるというだけのことです。
霊力は無尽蔵(むじんぞう)です。それに制限を加えるのは人間の受容能力です。
人の魂はこの世とあの世とを生き通しの生命体である。
この世とあの世をさえぎる障壁もない、障壁としてあるものは己の五官六根による迷いだけである。
六根とは眼、耳、鼻、舌、身の肉体五官に意識を加えた六つの煩悩のことだ。
人間が少しでも愛という霊力の受容能力を増せば、その分だけ心が愛で増幅されるのだが、それ以上のものは絶対に授かることなはない。
私たちの心は上を向かなければならない。太陽の光は上から差します。下からは照らしません。太陽は永遠の輝きの象徴です。
霊的太陽は啓蒙(けいもう)と活力の源泉です。
太陽は内在する霊性に刺激を与えます。
自分が本質において永遠なる存在であり何ごとも修行であることを忘れぬかぎり、何が起きようと意気消沈することはない。
霊性は書物からは得られません。先生が授けるものではありません。
自分自身の生活の中で実際の行為によって体得しなければなりません。
それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。
心の内にある神性こそ、その無限の愛の抱擁力によって私たちを支えている力であり、その尊い生命力を発揮し神の子としての宿命を成就するよう導いてくれる力です。
唯一なる存在の意識は宇宙における最大の力であり、極大極小の別なく全ての現象を根本において操っている。
私たちは愛をもって導いてくれるこの力に安心して身を任せるべきです。
その愛の導きに身を委ね、いついかなる時もその意識の中にあることを自覚していただきたい。
真実の愛は恐怖心を滅します。正しい知識も恐怖心を滅します。
恐怖心は無知から生まれるものだからです。
愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めない。
進歩した心はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分の心に神性がある以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。
これまであなたを包んできた宇宙の愛が今になって見放すわけがない。
それは宇宙の唯一なる意識から放たれる無限なる愛であり、無数の森羅万象を通して光輝を放ちつつ地上に至り、人のために役立たんと志す人々の力となります。
気力喪失の時には力を与え、悲しみの淵にある時は慰めを与えてくれます。
愛はあなたのまわりに張りめぐらされた防御帯の光であり、決して破られることはない。
唯一なるものの光であり力だからである。
愛が不滅であること、死は愛し合う者の仲を裂くことはできないこと、物的束縛から脱した霊は二度と死に囚(とら)われることがないということです。
愛の真の意義を悟るのは地上生活では限界があり霊の世界へ帰ってからです。
なぜなら愛の本質は霊的なものだからです。
その霊的なものが、地上の物的環境下では真実を悟るに困難を極めるということだ。
愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものだということ。
大宇宙の意識の顕現なのです。
互いが互いのために尽くす上で必要ないかなる犠牲をも払わんとする欲求です。
愛は邪(よこしま)なるもの、害なるものを知らない。
死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。
いわば卒業であり、第二の誕生です。
死こそ私たちに多くのことを気づかせ、真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊を解き放ち、地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれる。
死を恐れることはない。
死の際には、あなたの守護霊や魂の兄弟たちが迎えに訪れて道案内をしてくれよう。
愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してない。
唯一なる意識の摂理が何の隔てなく働くと言われるのはそのことです。
愛とは唯一なる意識の摂理が顕現したものであり、それ故にありとあらゆる人間の煩悩、愚かさ、無知、依怙地(えこじ)、偏見等々を乗り越えて働きます。
二人の人間の愛の真の姿は魂と魂の結びつきです。唯一なる意識はその無限の叡智をもって、男性と女性とが互いに足らざるもの補い合う宿命を定めたのです。
両者が完全に融合し合うことにこそ真の愛の働きがあり、互いに補足し合って一体となります。
愛は無限なる心の表現ですから、低い次元のものから高い次元のものまで、無限の形をとって表現され行為される。
すなわち磁気的な身体の結びつきから精神的な結びつき、さらには根源的な霊的な結びつきへと進んでいくのです。
身体的な欲求による結びつきは脆(もろ)く弱いものであるということ。
魂と魂との結びつきが地上で実現することは極めてまれなことであり、むしろ例外的なことに属する。何故なら、それは肉体中心となる生活習慣によるものだからだ。
が、もし実現すれば両者はその宿命を自覚し、一体となります。これが魂と魂との真の結婚の形態です。
約70億近い地上の人間が魂同士の巡り会いと一心同体を自覚して生涯を共にできること、それが僅(わず)か五十~七十年の短い期間に地上という小さな地球という天体上で巡り合うということは極めて困難なことです。
自分の霊性を知り地上生活の目的を悟った人間は、人間的個性を少しずつ脱ぎ捨て、霊的個性をますます発揮していき、その分だけ宇宙意識と融合の度合を深めていくことになります。
愛は血縁に勝ります。愛は死を乗り越えます。愛は永遠不易のエネルギーです。
それが“宇宙を支配している”のです。
魂の結び合った者は生涯離れることなく、死後も離れることはありません。
墓には愛を切断する力はない。
愛は全てのものに勝ります。
なぜなら、それは大宇宙の意識すなわち神の表現だからです。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
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