霊現象と行者の末路
相談者の話し(承諾を得て掲載しています。)
『あそこの霊能者はよく当たるといって、人の出入りも多く繁盛しているというけど、友人の家庭内トラブルは、いまだかつて一向に改善されず、何か些細な問題があると、すぐにその霊能者のところに行って伺いをたてているようだが、これはどういうものなのか。』という話があった。
一回30分で一万円だというが、様々な御利益グッズや開運宝石なども販売しているともいう。
これまで何度も、こういった話題については、私たち一般人がどのようにして本物か、あるいは誇大霊能者もどきなのかを見分けたらよいかということを話してきました。
霊的な問題は、現象にとらわれず、現象を表しているその人の私生活、性格、人柄、人間性ということを知る必要があるでしょう。
様々な霊現象があり、そういった類のことが表れたといっても、それが本物かどうかはわかりません。現象というものは動物霊でも未成仏霊が憑いていてもできることだからだ。
守護霊や指導霊が背後にいてそうした現象を表しているとすれば、その人の日常生活は普通の人と変わらず、それでいてキチンとした生活を送っているはずです。
また何が正しい生き方であるかという真理も語り、確かな説得力も持っているでしょう。
そもそも霊的な分野に関わっている人間が、そのことで人々の幸せを願い、人としての正しい生き方を指導するのであるなら、なぜ開運宝石なる物を販売したり、当て事に一喜一憂させるようなパフォーマンスに明け暮れるのか。
そして何かと理由づけしては通わせるように実に巧みに扇動するのである。根底にあるのは欲望であり、金儲けにしか過ぎない。
したがって、このような人の私生活は非常に物欲的で自我心が強く、自分に不都合なことがあれば怒りを顕わにする傾向がある。
欲望は人一倍であり、強引で命令口調、起伏の激しい言葉や中傷、非難することが平気といった行動をとるから分かりやすい。
当て事は、大抵は下層階の龍か他の動物霊の憑依によっても簡単にできるが、物事に一貫性がなく、その時々でコロコロ変わることがよくあるものだ。
滝に打たれ、神社仏閣などで行を積む場合は、熱心になればなるほど、こうした危険が常につきまとっているといえます。
霊力を欲しくて行う修行には、心に隙ができ、そこに魔が入りやすいという仕組みを知らずに夢中になるから危険この上ない。
霊的現象というものは、念力によって開くものと、正しい行為(悟り、気づき)にもとづいて開くものとがあります。
勉強勉強でそれに振り回されていると、ノイローゼや精神疾患になりますが、こうした現象も霊道現象のひとつなのです。
また人によっては、そうした中で突然霊道現象が表れ、神がかりになることがあります。
こういう場合は大抵は過去世で何らかの行を積んでいる場合が多く、その人の心の状態如何で、守護霊が表出する場合もあるし、不調和であれば動物霊が語ることもあるのです。
しかし、普通は正しい真理、心の仕組み、生き方、自然の法則といったものを知らずに霊道を開くのですから、まず、十人が十人近い人は動物霊の支配下に置かれ、不自然な言動が多くなり、行者の末路といわれるような結末になるようです。
モノが当たる。病気を治す、霊力が凄い、というだけでその人を信じてはいけません。
一時的に病気を治して見せてもそのあとにはそれ以上の落とし穴が待っているものだからだ。
大事なことは、私たちは三次元のこの世に、多くのことを学ぶ為に生れてきているのですから、先ず常識的に判断し、霊力を持っているというその人の言動をよく確かめることです。
もしその人が、正しい道を全うするような生き方に適う生活を送り、謙虚で、愛に満ち、人々を善導しているならば間違いはないでしょう。また、こういう人こそ霊的な話題や現象に興じたり、そのようなパフォーマンスに偏ることはないものです。
しかし、こういう人は実に少ないのです。どうしても現象や肉体中心的な考え、ご利益的考え、行動になっていきます。
皆さんの周りには、こういった能力者といわれているような人は多いと思いますが、現象を鵜呑みにせずに、それが本物であるかどうか、正しい原則に照らして、見る、聞く、考えることが大切です。
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