心の悪魔

霊能力
私は先般、自身もお金を相当に使い、かつ、多くの人たちを霊能者に紹介したというご本人(男性50歳)と3時間ほど対談をした。
『あの世を浄化することで宇宙をキレイにし、世界の平和と人類の平和をつくることができる。その為にあなた自身も神を授かることができます。
但し、その前にあなた自身を浄化しなければなりません。現在あなたには先祖霊が13体、陰化した神々が3体憑いています。
これを浄化すれば新たに高次元の神が授かる可能性があります。そのことによってあなたも神の浄化能力が授かります。』
こういうまことに言葉巧みなアプローチで友人や知人、霊能者に誘われたら、あなたはどのように思い、受け止めるであろうか。
この霊能者は、人間の生活の在り方や、心の在り方、苦悩の超え方、人生の目的、正しい生き方とはどのようなものなのか、こういった最も大切な私たちの現実生活のなかでの苦悩の超え方に関しては一切触れることはしない。
しないというより指導者自身が真理を悟らず守銭奴と化しているために善なる心に触れることができないし、説けないだけである。
何故なら自身の心が悪魔に支配されているからだ。
そして、みんなの前で威張り散らし、カリスマ性をあらわにすることが多く、「私の浄化依頼に5万~10万とお金を包んでくる人たちがいますよ」とまで言ってのけるから呆れてしまうのだが、それでも疑問をもたず、神が授かるとか、能力が欲しい一念で泥沼に引き込まれていく人たちがいるのである。
気づくのが遅ければそれだけ多額の金銭をつぎ込んでしまうことになるのだ。
この霊能者、夜の街に出ては己を失うほどに大酒を飲み、酒癖も悪くなり、出入り禁止の店が多いという。
更に、この霊能者は決定的な間違いを犯している。
それはあの世を浄化すればこの地上が平和になるといっていることだが、あの世をどれほど浄化しようが一個人が宇宙を浄化しきれるものではないし、仮に少し浄化できたとしても、この地上の邪悪な想念、悪を為す人々が心不調和なまま人生を終えたならば行先は高次な天国ではなく、低次の地獄界となってしまう。
とすれば、世界の人口の不調和な人々があの世にいくわけですから、執着から離れて悟るまで相当な時間がかかることになるのは簡単に理解できる道理であろう。
あの世を浄化することが先ではなく、私たち地上で生きる人間が心を調和させて生活をすることが地上の浄化につながるということであり、早道だといことに気づかなければならないだろう。
この霊能者の守銭奴と化した邪悪なエネルギーとて聖なる光エネルギーの前には為すすべがなく、自らが償いをしなければならないときが必ずくるだろう。
悪魔(邪悪な人霊)と動物霊に支配された人間の末路は清算する運命にある。
人間、悪魔に犯されると、善なる自分を失い心の自由さを放棄することになります。
悪魔は私たちの心の中に、いつでも入りこもうとして、虎視眈々(こしたんたん)と狙っています。
悪魔に魅入られてはならないのです。
感謝と報恩の行為をしている者には、悪魔は、近寄ることができないものです。
悪魔についてもう少しふれてみましょう。
私たちの身近には、善人の仮面をかぶった悪魔がいます。
悪魔に憑かれると、他人を見下し、あたかも自分が善人のような錯覚に陥ってしまいます。
正道を口にしながら人の前で自分を誇張し、傲慢になり他を誹謗し、正しく素直な人びとを罪におとし入れようとします。
人から注意されると、自分が他を誹謗したことを忘れ、反省することもなく自己弁護してしまう。
増長慢の心が常に自分を支配しているため、心は不安定です。
善と悪が交錯し、悪いときには動物霊が背後にいて、霊眼、霊聴などの現象をみせ、本人の心を支配して、いかにもそれが本物の映像、声のように思わせてきます。
そのため、本人の心は、もともと増長慢が下地になっているので、正、不正の判断がしにくくなり、言葉巧みに、不平不満をあおり、混乱を企てるようになってきます。
主観的、客観的な善なる自覚を失ってしまうのだから恐ろしいことです。
悪魔から自分を守るには、正道(偏らない心)のフィルターを通すことが大事です。
正道のフィルターは調和された心が尺度です。
自分の置かれている立場をいったん捨てて、自分を客観的に眺めることです。
そうしてそれは何も肉体五官の世界のみでなく、あの世からの邪悪な誘惑についても同じことがいえるのです。
これが出来ないと、何が正しく、何が不正であるか、善と悪のケジメさえわからなくなってしまいます。
善悪の判断は、そこに愛があるのか、人を助けたいとする慈悲の心があるかが基準でなければならないのです。
悪魔は、もともと執着と欲望の塊りであり、他人はもとより、憑かれている本人の心さえも狂わしていく血も涙もない非情なものです。
しかしこうした悪魔に憑かれるには、憑かれるだけの原因がなければなりません。
すなわち、怒り、愚痴、ねたみ、しっと、そしり、守銭奴、足ることを忘れた欲望という想念行為、それがその原因です。
こうした心は、目で見ることから、口で話すことや、耳で聴くことを通して、外から入ってくる場合もあるし、不平不満の自らの心がつくり出す場合もあります。
善も悪も、自分の心の在り方がつくり出した天国と地獄であり、一念三千の心の方向が、その人自身の意識世界をつくっているのである。
※一念三千(邪悪な世界、安らかな天上界のどこにも通じる己の心です。)
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