病をもって知る
人は年齢によらず、誰もが病気をする可能性をもっています。
身体の病気もありますし、心の病気ということもありますが、健康であることが正常であるとするならば、これら病気は異常ということになるでしょう。
しかし、この異常な状態、病気になることで、健康な時にはわからなかったことが初めてわかるということがあります。
これは年を重ねてこそ初めてわかることがあるのと似ています。
あるとき病院の看護師長が病気にかかり入院しました。
非常に生真面目だった女性だったので、患者さんや院長に申し訳ないといって、ベッドのなかで泣いていました。
その看護師長に対して、病院長は次のような意味のことをいって慰めたのです。
「確かに君は素晴らしい婦長で、患者も喜んでいるし、僕も助けてもらっている。しかし、君は今婦長ではなく、ひとりの患者だ。
いま君は自分が何もできないと気にしているが、君ほどにはいかないが、若い看護師たちが一生懸命やっているのだ。
彼女たちを信じて任せらいいではないか。
もうひとつ言うなら、君は優れた看護師で自他ともに完全だと認めていると思うが、君自身が患者になって、君が丈夫なときに完全だと思ってやっていたことが、ここも不十分だ、ここも欠陥があるとわかるだろう。
そういう君が健康な時にわからなかった事柄が、病気になって初めてわかるのだよ。」と。
こうしてみますと、病気もまたひとつの縁によって発症するのですが、この病気から何かを学んでいくことが大切かと思うのです。
これは病気だけにいえることではありません。
経験豊富で優秀なある看護師長さんが整体とカウンセリングを希望して私の院においでになった。
彼女は持ち前の努力と責任感と使命感を持って現場の切り盛りをしていたが、現場はいつも戦々恐々として、この師長さんの顔色をみながら仕事をしている状況だった。
いつも緊張感があり、枠にはめられたような動きしかできず、のびやかさがないためにかえってミスが発生することもある。
そんな状況下で彼女自身が精神的にも肉体的にも疲労困ぱいしていたのです。
私から観た彼女は「生真面目」そのものだった。
ゆっくりと時間をかけて彼女の話しを聞くことに徹した。
最後に「あなたの苦しみは周りの人たちのせいではなく、あなた自身の心から発したことですよ。」とだけ伝えた。一時間が過ぎていた。
彼女は目に涙を浮かべていた。
そして次回のカウンセリングを約束して帰った。
その後、数回の時間をもうけるたびに彼女の表情に笑顔がみられるようになっていった。
物事が順調に運んでいるときにはわからなかった事柄が、逆境に陥って初めてわかるということもあります。
むしろ、負の面を知ってこそ、人間として成長し、完成されていくものだと思うのです。
自分が病気になったお陰で、他人の病苦が理解でき、思いやりを持てるようになり、心から病人の看護ができ、心からお見舞いの言葉がでるようになった。
病気になってよかった。
あの時の失敗があったからこそ今の自分がある。
そう思えたならば病もまた大きな気づきをいただいたという意味においてとても有り難い事。
これは老いの場合も、病気の場合も同じだろうと思うのです。
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