生き物の憑依霊・摂食障害

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摂食障害

『食行動の異常に基づく原因不明の難治性の疾患』と、医学的には説明されていますが、これではその内容がよくわからない。

一般的には、拒食症過食症などとして知られています。

おもに女性に多く、ひとつは思春期から青年期にかけて発症し、最近では結婚後、および出産後に発症して相談にみえる場合もしばしばみられるようになりました。
現代は女性にとってストレスの大きな時代といえるのでしょうが、いまや拒食症は女性のライフサイクルのあらゆる段階でみられる病気?となってきています。
男性でもまれに発症しますが、その男女比率はおよそ1対10~15といわれています。
◎あるきっかけ(ダイエットや受験、失恋、自信を失うような失敗、クラスメートの思いがけない一言、セクハラ)で拒食となり、痩せが異常進行して真の健康状態ではなくても食事をとる量が増えず、ますますやせが進行していくケース。
◎拒食状態にあった人がある時点から突然大量の食べ物をとるようになって過食症へ移行する2種類のタイプが知られています。
いずれにしてもその状態に陥った若い女性の多くは深刻に悩んでいるのですが、どうみても過食状態にあるのに深刻にならず、笑顔で大食いをしている中年以上の女性とのギャップをみるとき。
ここで問題なのは、『食べることをどう受け止めているか』というその人の心の状態にあるということです。
Complications1
過食に移行するケースでは、自分で意図的に吐き出す自己誘発性嘔吐や下剤などの薬物乱用を伴う場合があります。
やせていることが美しいとする文化的な背景のある地域に多くみられ、約95%が女性、それも思春期・青年期の女性に多い。
最近、低年齢化および高齢化しているといわれ、世界的にも大きな社会問題になっているようだ。
一般に慢性の経過をたどる場合が多く、症状は対人関係の問題や社会環境でのストレスに敏感に反応し、容易に再発することも知られています。
つまり心の状態にあることは明白であり、不安定、価値観、自身のエゴ、拘り、ストレス回避の延長で過食、拒食といった行動になっている。
多くの女性は心療内科や精神科に通院して服薬治療をしているという現状ですが、しかし、脳や自律神経に作用する薬はあっても人間の心に作用する薬は存在しない。
ここのところをよく理解してほしいのだが、脳や自律神経に作用した結果、緊張の中枢であるところの交感神経の働きを抑制してストレスから回避させようとしているにすぎないということ。
しかし、これで摂食障害からまったくと言ってよいほど卒業できていない。
何故なら、薬物依存によって本人の心が薬によって変わることがないからです。
米国の報告では、加齢という10年以上の経過で約60%が治る一方で、6~7%が死亡するといわれていますが、向精神薬の長期服用による副作用は確実に肉体機能を蝕んでいき急性心不全まで引き起こす事例もある。
日本における最近の報告でも同様の結果が報告されており、思春期・青年期女性の疾患としては最も重症な疾患のひとついえる。
何故なら、過食症、拒食症のその原点が自身の心のあり方にあるとは考えていない、あるいは受け止めていない人が実に多いからだ。
医療の現場でもそのことに着目せず、あるいは時間を設けて心の内面にアプローチするようなこともせず、薬物療法に頼って薬の販売に熱心である。
食べ物への感謝
摂食障害は、過食、嘔吐、拒食の連鎖、これが実情ですが、精神バランスを崩し、病んでいる人にとっては、食べ物に感謝するということの意味など考えもしないところでしょうし、それどころではないだろう。
まして自分が動物、植物、鉱物、あらゆる生命物質の恩恵によって生かされていることなど気づくはずもなく、美への偏った拘りが心を占めてさらに拒食、過食に拍車をかけていく。
しかし、これではいけない。
関連記事として一例ですが『愛・過食症からの卒業』稿投稿日:
過食症、拒食症で私のところにおいでになる相談者には、先ずは、その人の『心の癖』すなわち傾向性というものを省みて知っていただくような内容で会話をすすめていきます。
具体的に長所、短所は勿論、最も重要な、内なるエゴ(自我)の部分まで引きだし、心の癖を修正するべく努力をしていただくようにしている。
その詳細については割愛させていただきますが、ここで少し、摂食障害に関連することとして、私たちの命をつなぐ『食べ物に感謝する』ということを霊的な視点から触れてみたい。
「一寸の虫にも五分の魂」
小さく弱い者にも、それ相当の意地や根性があるのだから、どんな相手でも侮(あなど)ってはならない、馬鹿にしてはならない というように、動物、植物ほかの生物もまた、生きる権利を天より与えられ、種族保存の相互関係を成立させています。
地上生命の全てはこの相互関係のなかにあってはじめて成り立っていることも忘れてはならないでしょう。
一つの生命体は一つの生命体の犠牲の上に存在しているという法則は神が造られた摂理と秩序でもあります。
大切なことは、あらゆる生命体に対して感謝と報恩の心を忘れないことだと思うのです。
感謝は、心や言葉に表現することであるとすれば、報恩は行いとして表すことでしょう。
そうなると粗末にできないし、無駄にもできません。
虫は更に弱い昆虫を食べ、あるいは植物を食べて生命を維持していますし、モグラやネズミが食べるのは昆虫であったり、木の実であったりします。
小鳥たちもまた昆虫や小さな木の実を食べています。
そして猫やキツネ、フクロウはネズミを食べます。
野生動物の世界では一見残酷なようにも感じられますが弱肉強食が繰り返されて生命活動の循環がなされています。
草食動物ばかりが増えれば自然破壊につながりますが、肉食獣がいることで大自然の均衡が保たれています。
私たち人間は他の動物や植物を食べていきていますが、これは人類誕生と同時に古代からの食習慣です。
それぞれの生命活動を維持するために他の生命を頂く。
諸々の生物のエネルギーを吸収して、万物の霊長である人間は肉体を保存しているのです。
動物、植物、鉱物の子孫保存の本能を知っているにもかかわらず、私達は私達の血や肉や骨にしてしまっている。
人類の栄養にしてしまっているのである。
私達は、魚にしても動物にしても、感謝の心を持たずに殺生してしまうことが問題であろう。
そのため、彼らも生への執着のため成仏できずに人間に憑依する。
私達は、彼らへの、感謝と供養の心を忘れているのだ。
動物、植物、絋物のエネルギー源があるから私達の肉体保存ができている。
食事のときの感謝、私達のための犠牲者への冥福を祈るなどということは当然の行為なのである。
私達は彼らに対して、「あなた方が私達の血肉、骨の栄養となることによって私達は肉体が保存できます。心から感謝します。あなた方も生命の不滅を知り、成仏をして戴きたい」と日夜感謝の心を忘れてはならない。
偏った美意識に翻弄されて自分を見失い、決して太ってはいない若い女性が、太るのが嫌だといって拒食をするという未熟な心故の摂食障害。
ここには食べ物に感謝の心など存在しない
拒食も過食も共に、食べ物に対して真に感謝の心と報恩という行為があるならばこれほど精神を病まなくても済むのだろうと思えるのだがいかがだろうか。
同じように厳しい環境にありながらも特に問題がなく生活している人がいる一方で、肉体への拘り、人間関係でのストレスによって陥る摂食障害ではあるが、必ずしも他からの影響によって発症しているとばかりはいえず、自身の偏った思考、拘り過ぎる傾向が起因している場合がとても多いのである。
食べ物に感謝することの意味、その大切さの背景にある心の問題。
仏教において無益の殺生を禁じたのも、こうした心からであろう。
生きる権利を持っている他の生物を殺すのであるから、無駄のない食事のとり方をしなくてはいけない。
太陽の熱、光のエネルギー、動植物、鉱物のエネルギー源に対して、日常多くの人々は感謝の心を忘れているということを、反省しなくてはならない。
人間が常に足る心を持ち、感謝して生活することが、他の生物へのいたわり、慈悲深い共存共栄への道となる。
生命の不変を知った植物や小さな生物は、迷うことなく平和な世界へ帰って行く。
しかし感謝の心のない人間には、生物の霊がその意識に憑依していることも多い。
そんなことはないだろう、と疑問を持つ人も多いだろうが、これは事実である。
そして拒食症、過食症で相談にみえる若い女性の精神はバランスを崩しているだけではなく、霊的な背景も決してよろしくはない。
万物万象の相互作用があるから、私達の肉体保存はできるものであることを深く心に落して彼らの魂の存在を思い、人間は感謝の心と、報恩という行いのなかで生きるべきである。
そして、偏った美意識に翻弄されて自分を見失うことのないような生き方をしなければ過食症、拒食症というバランスを崩した心は改めることができないだろう。
今回は摂食障害の問題と生物霊の憑依について取り上げてみましたが、これは何も摂食障害に苦しむ人が、生物霊の憑依を受けているというのではないことを申し添えておきます。
ただ、摂食障害で相談にみえる方の場合、非常に心の波動が低く荒く不調和そのものであることは毎回実感する。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。何かしら参考になることが有りましたら下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
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