大切な方を亡くしたあなたへの手紙

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松永様から2014年11月13日コメント受信
私は17歳の最愛の息子を交通事故で亡くした父親です。
高齢者による無謀運転でした。
今私たち遺族の生き地獄の私記を作成しています。
世の中に事故の悲惨さ、高齢者に車の危険さハンドルを持つ責任色々な場面で訴えていますが、高齢者は、車は便利という理由だけで運転しています。
車は人のいのちを簡単に奪えるものと考える方はほとんどいません。
このままではと考えます。この気持ちは遺族にしかわからないのでしょうか。
返信 松永様
コメントをいただきましてありがとうございます。すぐにお返事をしなくて失礼いたしました。
実はすぐに返事をしないのではなく、できなかったのです。
息子さんを亡くされたあなたの心中を思いますと、何と声を掛けたらよいのか、返事を書けばよいのか、言葉がみつからなかったからです。
ただただ心からお悔やみをと念ずることしかできません。
ここにひとつの事故死の事例を紹介させてください。これは読者の皆さんにも交通事故の悲惨さを知っていただきたいという意図で掲載いたします。
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一人息子を交通事故で失った母親より
私は、文章を書くことが苦手です。だから、最初、この手紙を書くことを断りました。
そうしたら、話し言葉を書き写すからと、言われて。。。
本当は書けないし話すことも出来ないんです。
どうしてかというと、私は息子の死からまだ立ち直れてはいません。
もうすぐ一年になるというのに、今でも泣いてばかりいます。 
今でも時々、死にたくなります。
だから、あなたを励ますことができない。
それに、私も励まして欲しくなかったし。。。
そしたら、「励ましのメール書いてって頼んでるんのではない」って。
でも、あの日のことを思い出すだけで苦しい。
雨の朝、息子は仕事からの帰宅途中に携帯電話をかけながらの運転ミスで塀にぶつかって死にました。20才でした。
他の人を巻き込まなかったのが救いだと思おうとしました。
他の人を死なしたら、あの子と私の2人が一生苦しまなければならなかったけど
あの子は苦しまずに済んだのだから・・・とも思おうとしました。
自分に何の落ち度もないのに交通事故に巻き込まれて亡くなる方もいます。
私の場合は自分が育てた子どもが自分の過失で死んだのだから・・と言い聞かせたり。。。
でも、悲しみは深くなるばかりでした。
家族はあの子と私だけです。父親とはあの子が小学校の時に離婚しました。
一人っきりの家で過ごす夜は地獄みたいに思いました。
このまま、朝になっても目が覚めなければいいのにとおもいました。
それなのに、どうして今もこうして死なずにいるかというと、
自分でも不思議です。私が生きているんじゃないんです。
私は、あの日、息子と一緒に死んでしまい、今いる私は息子に生かされている私
そんな気がします。
息子が私を生かせてくれているんだと思います。
そうでなければ、生きていけっこないと思います。
あの子が死んだとき、いろいろな宗教のひとが「この悲しみから救ってあげる」と
言いました。
けど、goshinさんやおじゅっさん(大阪弁で住職)は、言いませんでした。
goshinさんなんかは悲しみは絶対になくならないなんて言いました。
なくならなくていいのだって、大切なんだって・・へんなことをいうなと思いました
でも本当に悲しみはなくなりません。
死にたくなるくらいの悲しみのままです。
でも、悲しいときには、いつもあの子が私に声をかけてくれます。
だから、私は悲しくても生きてこれたのだと思います。
あのとき、悲しみがあるから死んだ息子から自分に懸けられた願いに気付くことが
できるとgoshinさんは何度も何度も私に言ってくれたけど、この頃になってやっと、分かるような気がします。
悲しみはなくならなくていい、大切なのだっていうことが
やっとわかるような気がします。
悲しくても死にたくなってもあの子がそばにいて守ってくれているから、
私は悲しくても死にたくなっても生きていられます。
息子のほかにもいろんな人やものや出来事がわたしを守ってくれているということもやっとわかってきました。
こんな話ですみません。
あなたのそばでもあなたの大切な人があなたを守ってくれています。
だから、わたしは、あなたを励ましません。
(ここまで転載させて頂きました。名は非公開)
私の体験(観童)
交通事故では、私自身も非常に怖い思いをしたことが二度あります。
一度目は、息子が4歳のときに飛び出しで軽トラックに6メートル飛ばされ回転して道路に落ちた時です。
道路を横断する時に親の不注意で家内が手をつながなかったことでそのような事態になったのでした。何年も後遺症で身体が痛がりました。
当時はとても痛がり、毎晩さすってあげることしかできなく、現在は通常の身体になっているようですから奇跡に近い事故としか言いようがありません。
二度目は10年前、直線で制限速度40キロ、脇に歩道のある道路でした。
ランドセルを背負った二人の小学生が前方から歩道を歩いてきます。
そして前方から普通車のトラックが対向してきます。
ほんとうは減速する必要のない道路状況と条件なのに、何故か私はブレーキペダルに足を乗せて減速していました。30キロ以下の速度でした。
その瞬間、歩道を歩いていた小学生が横向きになって一人歩道から飛び出しました。
ドーンという音とともに吹っ飛ばされて宙に舞い、対抗車線の私の車の前に落ちたのです。スローモーションを見ている感覚で全部みえていました。
一瞬、私は引き殺したと思いましたが、気を取り直して車外に出て確認すると、寸止め状態で子どもが倒れていました。
子どもを抱き抱えて歩道に寝かせて介抱していましたが、当のトラック運転手が降りてきません。
思いあまって声を掛けると、青ざめた顔をしてハンドルを握ったままガタガタと震えて声が出せないでいました。
私は近所の家に飛び込んで119番をお願いしますと頼み込んだ。
子どもは意識はしっかりしていた。間もなく救急車と警察が到着した。
やはり、運転手は降りてこれない。
警察は私が事故を起こした当事者だと勘違いしてあれこれ聞いてくる。
事故を起こした運転手はトラックの運転席にいる人です。私は通りがかりの者です、というと初めて理解した様子だった。
この事故で軽傷で済んだのはランドセルを背負っていた為に背中のランドセルがトラックのフロントに当たったからだった。
警察が計測すると、飛ばしたトラックと私の車のフロントまで8メートルあった。
最悪の事態にはなりませんでしたが、交通事故の恐ろしさを目の当たりにした二度としたくない経験でした。
私もゴールド免許とはいっても65歳、油断は直接事故につながると思い、運転する時は気を許さないことにしております。
高齢者の場合、運転にミスが増えたり、自信がなくなったらリタイヤするほうが事故をおこさないという意味では最善の選択肢かもしれません。
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