バランスを欠いた感情

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短気をおこし頭に血が上って部下に暴言を吐く上司がいた。パワハラなどという言葉がない頃の話しです。
彼は自分の思い通りにいかないことにイライラと立腹し、立場を忘れて感情的になる傾向にあるばかりではなく、大勢の前で「いいかっこうしい」したがる上司であった。
人間、何かに執着している場合には、感情にとらわれ、われを忘れて、思わぬ失敗を招くこともある。
冷静で謙虚な心というものが働かない場合、物事を見、考える際に、ともすれば感情にふり回されたり、感情にとらわれて事をあやまることが多くなる傾向にあります。
つまり、人間は、良い場合も、良くない場合も、そこには必ず感情の動きがある。
嬉しいことがあれば喜び、腹が立つことがあれば怒り、辛く悲しいことあれば涙するというように、さまざまな感情の動き、起伏というようなものがあります。
人間は、「感情の動物」などといわれるように、そのような感情に左右されて動くといった傾向を誰もが少なからずもっているでしょう。
そうであるだけに、冷静で謙虚、素直な心が働かない場合には、そういう感情のままの言動が特に強く表面化するようです。
しかし、そういう感情の動きにとらわれて物事を判断し、行動するようなことがあったとしたならば、やはりそこには適切な判断ができず、結果的に思わぬあやまちを犯すことになる場合も間々あるでしょう。
そういうような例は、これまでの人間の歴史をふり返ってみても、枚挙にいとまがないと思います。
たとえば、古今東西においてお互い人間は、くり返し他を傷つけたり、命を奪ったりするということを繰り返してきましたが、そうした好ましからざる姿というか、行為を生ずる原因の大きなものの一つに、この「感情にとらわれる」ということがあったと思うのです。
つまり、お互いの不用意な言葉や行動によって、相手に恨みや憎しみといった感情を抱いたような場合、理性という心が足りず、冷静な対応ができなければ、バランスを欠いた感情に走ってしまうわけです。
そうなると、憎しみ、恨みを晴らしたいという思いに心奪われて、自分でもいろいろと心を労し、悩ませるばかりでなく、ついには相手と争いをおこし、互いに傷つけあい、最悪は血を流しあうといった、まことに不幸な姿をもたらすことにもなりかねないでしょう。
しかし、この場合に、もしも理性ある心、冷静な心、つまりバランスのとれた心が働いていたならば、そうした不幸な結果を生じることはなく、最悪な状況は避けられるはずであります。
偏りのない心、すなわち、拘らない心、執着しない心が働いていれば、自分の感情の動きというものも冷静に把握できますし、またそれにとらわれてしまうことのないように、自分を失うことのないように、といった自制の心も働くものです。
これは、憎しみとか恨みなどをまったく感じることがない、いわゆる悟りの境地に達するとか、あるいは感情の働きの弱い鈍感な姿になるということではありません。
そのような感情はふつうに生じるのですが、それを晴らすためとか、自分を押し通すというような直接行動に出ることはしない。
むしろそうした感情に学び、自分自身の向上の推進力へと転化して活用していく。
自己を励ますムチであり、糧としてといく。
こういうように、いざというときのその感情をよりよく導いて活用していくといったことも、冷静で謙虚な心があれば可能なものであります。
このことは、憎しみとか恨みといった感情に限らず、喜びや悲しみ、その他あらゆる感情についてもいえることではないかと思います。
つまり、偏りのない心が働いていたならば、大きな喜びを感じた場合でも、それで有頂天になって我を忘れてばか騒ぎしてしまうようなこともなく、また深い悲しみに出会った場合でも、それで絶望して自暴自棄になったりするようなこともさけられるのではないかと思うのです。
そして、つねに自分を失うことなく、そのときどきの感情にも、また大きな感情小さな感情、いずれにもとらわれることなく、決して驕り高ぶることもなく、大きく見れば淡々として人生を歩んでいくこともできるようになるのではないだろうか。
でも、冷静さや、謙虚さ、素直な心がない場合には、相当に難しい生き方となって様々な弊害が人生の壁となって立ちふさがることになるでしょう。
その場その時の感情にとらわれ、いわば一喜一憂といった状態で人生をおくっていくことになるのではないだろか。
事と次第によっては、一喜一憂だけで治まらず、場合によってはわれを忘れて、思わぬ不幸な事態をひきおこすことにもなりかねない。
最近のメディアでは、お互いの身の回りにおいて、カッとして、逆上して人と争い、傷つけ殺してしまったとか、好きな言葉ではありませんが、簡単に切れるとか、とかく感情にとらわれ、我を忘れて事を行なって失敗してしまったというような事件は、マスコミなどでも連日のように報道されています。
このような状況が発生する原因の一つには、冷静で素直な心が働いていないために感情にとらわれ、われを忘れてしまうというようなことが挙げられます。
このように、冷静で素直な心、謙虚な心が働いていない場合の弊害の一つには、感情にとらわれ、冷静な自分を忘れて、思わぬ失敗を招くことも少なくない、ということです
自らの失態を避けるために、あるいは相手をそのような状況に巻き込まないためにも、お互いに素直で冷静な心、謙虚な心というものを、常日頃から養い、高める努力を心掛けていきたいと思うのです。
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