きょうの命と考える
学校での友人関係、社会での人間関係、職場での人間関係、家族の人間関係、さまざまな形での人間関係において、捻れやもつれが解きほぐされるのが難しくなってきた昨今、これほど露になっている時代はかつてなかっただろうにと思われてなりません。
見かけの豊かさや便利さと引き換えに、置き忘れてきたもののなかにある大切なもの。
その大きさにようやく気づき始めたとき、それを取り戻すことはできないだろうか。
もし、人間関係の捻れやもつれを少しでも解きほぐすことができるなら、この社会はもう少しあたたかいものになると思うのです。
相手との出会いを大切に思う、そして自分の命も相手の命も限りあるもの、ということを深く心の底に落しておくことも、社会を温かくすることにつながるのではないだろうか。
例えば、「自分の命は、あと一カ月」と想定してみた場合、どんなことを思い、どんな行動をしたいと思うだろうか。
私はシュミレーションしてみました。
これまでお世話になった人たちに心からの感謝の気持ちを伝えておきたい。
これまでご迷惑をかけた人たちに心からのお詫びをしておきたい。
そして、これまでの人生を省みて反省をし、心から親と兄弟に感謝とお詫びを伝えたいと。
しかし、このような気持ちは、余命一カ月と宣告されなくても、日頃から「一日一生」の覚悟で生きるならできることではないかと思ったのでした。
自分の命も他人の命も、限りある命であることには変わりありません。
そうなると命の尊さが具体的にわかってきます。
他人のことに「無関心」でもいられませんし、「自己中心」でもいられません。
自分の命の尊さと同じだけ、他人の命も尊いと思えれば、何かしら周囲に対する心配りも変わってくるものです。
電車で困っている人がいたら「荷物を棚に載せましょうか?」と声をかけてあげる。
席をゆずって「こちらにお座りください」と、自然にそんな対応ができるのではないでしょうか。
心に尊ぶ思いがあれば、「どうでもよかった他人」が「大切な隣人」になってきます。
自分の命がもうすぐなくなるとしたら、できるだけ心を整理して、いい思い出をもって旅立ちたい、と私なら考えます。
心にもっとも深く刻まれる、いい思い出、とはどのようなものでしょうか。
人それぞれの喜びがあっていいと思います。
無理がなく、ごく自然なかたちで他人に心を尽くし、そこにまた感謝の言葉があったら誰もが心豊かになれるでしょう。
最良の思い出は、やはり他人からいただいた「感謝」です。
とすれば、言動はおのずと感謝をいただくにふさわしいものにならなければなりません。
かける言葉も、他人を思いやるもの、他人のためになるもの、他人を喜ばせるもの、他人を気づかったもの、になりますし、行動も同じです。
昔、西行という平安時代末期の僧侶がいましたが、彼は歌人でもありました。
こんな一首があります。
わきてみん 老木は花も哀れなり いまいく度か
爛漫の春を謳歌するかのように咲き匂う桜は、その艶やかさで愛でるものを圧倒せずにはいません。
しかし、桜も年輪を重ねて老木となるにつれて、花も勢いを失い、くすんだ花に哀れを感じています。
あと何回、春を迎えることができるだろうか。
そんな感慨が西行を包んでいるように読めます。
木の哀れを思い、命の儚(はかな)さに思いを馳せている西行。
その心は、いま取り戻すべき心にも通じています。
「自分とふれあうひとの命があと一か月」「自分の命が消えるまであと一か月」と考えることは、命のはかなさを思うこと。
だからこそ他人の命も、自分の命も大切にして生きる心を取り戻すことができるのではないでしょうか。
相田みつおさんの言葉を転載せていただきました。
点数
にんげんはねえ
人から点数をつけられるために
この世に生れて
きたのではないんだよ
人間がさき
点数はあと
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