順境と逆境・命ゆっくり川の流れに習う
もがくとよけい苦しくなる
「なんでこう、何もかもうまくいかないんだ。もう、身動きもとれないし、どうにもならないよ」、そのときはあらゆる手だてを奪われたような気持ちがして、絶望の淵にいるとしか思えないのだが、時が過ぎてみると、一回り大きくなった自分を感じることができるときがくるものです。
「艱難汝を玉にす」かんなんなんじをたまにす。という言葉がありますが、まさしく、苦労や困難を堪えてこそ立派な人間になれるというものでしょう。
「そうはいっても、逆境つづきでは気力だってなくなってしまうよ。」という声が聞こえてきそうです。
身体の健康を害しているときに仕事に行けないことの葛藤があり、人間関係で悩んでいるときに憂鬱になる気持ちの辛いこと、失敗や挫折によって打ちひしがれているやり場のなさ、人によって抱えている問題は様々です。
たしかに、逆境の渦中にいるときは、その状況が永遠につづくのではないか、という不安が膨らみます。
何とかしなければとは思っても、気力が萎えることもあるでしょう。
「これも試練だ」と考えることができる人は、そう多くはないかもしれません。
しかし、逆境のなかにも自分を助ける存在はいます。
必ずいます。
その存在は、心がとらわれれているとき、何かに心を奪われているときには姿をみせてくれません。
逆境にあって、つらさや苫しさ、孤独感や疎外感に苛まれているときこそ、その苦悩をいっとき脇に置いて、今一度、心を静めてみるのです。
その方法は人によっていろいろですが、可能ならば自然環境のなかに身を置いてみることも有効な手段です。
水流れて心は競わず
雲在りて意は倶(とも)に遅し
寂々(せきせき)として春、将(まさ)に晩(く)れんとし
欣々(きんきん)として物、自ら私す
1300年前の中国の詩人で杜 甫(とほ)という人の詩です。
ゆったりとした川の流れをながめているさまを詠んだのかと思いますが、川の水は流れているけれど、自分の心はそれと競うこともなく、そして浮かんでいる雲のようにゆったりとしている。
物音ひとつしないような静かな春も移ろいながら、みなそれぞれ大宇宙のなかで、みなが喜びに満たされている。というように解釈しますがいかがでしょうか。
このような意味の一節ですが、どうしようもない逆境にあるときこそ、このように流れをゆったりと見つめている心境でいると、自分を助ける内なる声がインスピレーションとなって聞こえてきます。
辛さや苦しさはそれに抵抗するほどその苦しみが増す場合が多いもので、もがくからよけいに強く感じるようになるのです。
余分な力みを抜いたときにはじめて楽になるということです。
身体の病気も、心の苦悩も、病も、そして生きることそのものも、すべてに通じるこの心構えは自分を窮地から救ってくれるでしょう。
私が18歳のときです。仲間と一緒に海に遊びに行ったときのこと、岸から少し離れた沖合の岩場まで泳いでいこうということになって泳ぎだしました。
ところが私の足が痙攣して自由がきかなくなり、慌てた私は沈んで海水を飲み込んだり、海水が器官に入ったりで意識が遠のいていったのでした。
何故なのか不思議でなりませんが、とっさに仰向けになって背泳ぎをするような体制をとったのですが、あとは完全に意識がなくなり記憶がありません。
気が付いたときは岩場の傍に浮いていました。
私が記憶しているのは、意識を失う直前にお線香の香りがしたということだけです。
あとで気づいたことですが、状況からして通常では考えられない体制をとったものの、私は完全に命を救われたと思いました。
そして社会人になり、社会のなかでいろいろな経験をするなかで学んだことは、苦しいときにそのことだけに心を向けると苦しみが増すということ、病気をして体が辛いときにそのことだけに心を向けてしまうと体も痛むが、心も痛むものであるということを。
愚痴をいわない
世の中は自分の思い通りに行かないことの方が多く、楽をして幸せに生きられるほど簡単ではありません。
自由にならない流れの中で、その流れに逆らわずまかせるとは、まず、愚痴をいわないことです。
愚痴は自分の心を弱くするだけです。
自分のこころの弱さをさらけだすのが、愚痴だということを知らなければいけません。
ゆっくりと世の中の流れを見つめる心境でいるには強いこころが必要です。
ここでいう強い心とは、他人に対して強気で言うことではなく、自分の心に執着心を持たないことをいっています。
人間の心の深奥には智慧の光と、寛容という慈悲の光が内在されています。
この心こそが強く生きる為の源泉です。
慈とは文字通りいつくしむ心を以って楽を与えること、悲とは人の苦を除いてやることです。
その慈悲を感じるとき、ひとは安堵の境地にあります。
仕事にも家庭にも、あるいは人問関係にも、そして病をしても憂いや迷いはなく、すべて受け入れる心をもてるようになり、何事に対しても感謝の思いがもてるようになるでしょう。
しかし、人間は順境のなかに身をおくと慢心したり、驕り高ぶりがうまれてきやすもの。
順境とは、物事がうまく都合よく運んでいる境涯をいうのですが、人生には、順境のときもあれば逆境のときもある。
順風満帆という、何をしても都合よういくというときほど心を低くもって、万事に細かい心配りが大切だと思うのです。
都合よくいっているときは、自然と心が高くなって、人を見下したり、人の心の傷口にさわるような言葉を使って、しかも、それが相手にどんな痛みを与えているか、ということに気が付かないことが多いもの。
ここに、次の苦しみを招く落とし穴があります。
だから順境のときほど、“心づくり”が大切だろうと思います。
順境は自分一人で成しているのではなく、人々の理解と協力によって支えられていることを肝に銘じて忘れてはならないでしょう。そして同時に人々と分かち合う心も忘れてはなりません。
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