信仰と貧しさ

私の親戚筋に信仰をもっている家族がいる。年間に結構な金額の寄進をし、普段の生活では厳しい暮らしをしているということを聞いたことがある。また、そのことが原因で家族の言い争いが絶えないことも、その家族の子供から聞いて知っている。
一般世間をみると、信仰を持たないものが恵まれ、信仰者が不幸で貧しいという現象にぶつかることがあります。何か矛盾を感じるのですが、これはどういうわけなのだろうか。
きょうは信仰と貧しさについてその実態を述べてみようと思います。
さて、厳格な意味では信仰を持たない者は一人もいません。何故なら、自分を信じているか、金を信じているか、地位や名誉を信じて生きているのか、何かを信じて生きているのが人間です。
何も信じることができなくなったならば、人は生きてゆくことさえ難しいでしょう。
先ず、信仰のない人たちが比較的恵まれている理由は、その生活態度が自力的だからです。
そういう人たちの場合は依頼心が少なく、原因と結果について自分なりの見解を持っており、ものの成否は努力の結果とみているからです。
それだけに偏ると自己中心的であり、念の力も人一倍強く働いています。
恵まれた環境は、そうした諸条件が生み出したといえるでしょう。
ところで人の幸、不幸は本来、主観的なものです。第三者が見て、経済的に恵まれているから幸せかと言うとそうではなく、それを維持するために戦々恐々とした生活であったり、親子の断絶があったり、形だけの夫婦であるとか、内と外では大違いの場合が多いようです。
また金ができ、地位があがると、今度は慢心を起こし、分を超えた金使いや投資などで大きな損失をしたり、金持ち三代続かず、のように新たな執着の原因をつくり出してゆきます。
立派な豪邸を建て、奥様は真っ赤な外車に乗りどこから見ても裕福で幸せな家庭にみられるだろうが、その社長夫人の奥様は心身症、うつ病、ノイローゼを患い相談にみえた。かなり危険性をはらんでいた。
しかし、あまりにも自我が強く、人間の幸せ、正しい生き方、心の在り方、などをアドバイスしても自分を変える努力をすることはなかった。
やがてこのご婦人は自殺をした。
自力的な経済的豊かさへの努力そのものは道に適っていますが、報恩感謝の無い生活は、やがて身を滅ぼすことになるのです。
ですから、自分を信じることは良いのですが、心の無い自力は、幸せのように見えていながら、不幸の原因をつくりつつあると言えるでしょう。
一方、信仰を持ちながら貧しいというのは、これまでの信仰は十のうち十までが他力に依存した弊害によるものだからでした。
先祖崇拝と祈りと読経が生活を豊かにすると教えられ、タナボタ式に幸せをつかもうとしました。
信者の態度も、祈れば救われ、病気も治る、金も入ってくるとして、その実は教団に相当な金を浄財として寄進し、生活まで犠牲にしてきました。
これでは貧しくなるのは当然でしょうし、正しい信仰の在り方とはいえません。
ことに、信仰者のものの考え方は逃避的、自慰的、排他的、独善的である場合が多く、生活に積極的に立ち向かってゆく姿勢やその傾向を見失っているようです。
現実にこれまでそのような人たちの相談を受けてきたからよくわかるのです。
他力信仰の弊害は、神と称する教祖なり、拝む対象がニセ者であることが多いため、信仰者の生活をますます貧しいものにしてゆきます。しかし、それでも気づけない人たちが多いのです。
幸福の○○という団体では教祖の写真を高額で売り、それを崇拝させています。これも正しいあり方ではありません。
教祖は、『自分が地球人類の最高指導者である』としていますが、この世とあの世には眼に見えぬ霊の働きがあり、正しい道に反した信仰の背後には必ずといってよいほど動物霊が暗躍しているものです。
それは教祖にも教団にも、そして信者にも憑依しているものです。特に狐と蛇の霊はしつこく陰湿でずる賢い。人々が信仰して貧しくなるのは、そのための影響も大きい。
そこで、生活を平穏で豊かなものにするには、先ず、正しい道に沿った生活態度が絶対必要であり、誤った信仰ならしない方がよいということになります。
いずれにしても、正しい秩序に適う生活が自分を生かし、安らぎを得る道であるわけです。正しい心ができてくると動物霊や悪霊などは憑依できないものです。
正しい秩序に適った生活とは
1・正しく物事を見ること。(多くの人々はその人の行為や外見だけで判断する場合が多い。これは誤りです。主観的な見方に偏ることなく客観的な見方をすること。現象や結果だけに見いってはならない。)
2・正しく思うこと。(思うということは考えることです。見る、聞く、語る、という行為に対しても、偏らない中道の心でなくはならない。自己本位の考え方は身を滅ぼす結果を生じるからである。思うことは行為につながる心の動作である。不調和な思考は心を曇らせる。)
3・正しく語ること。(語るということは言霊(ことだま)となって相手の心に伝わるということです。表現された私たちの言葉は、相手の耳を通して不調和か調和か、いずれかの現象を生じさせるものだから言葉は大切だということです。
言葉は少なすぎても多すぎても自分の意志を正しく人に伝えることはできない。強い口調は相手に怒りの心を生じさせるから慎むことです。)
以上の三つは人生を豊かにするための最小限度の実践事項だと心得て毎日の生活のなかに行為することを奨めたい。
 
※これまで一日おきに投稿しておりましたが、これからは月曜日と金曜日に投稿してまいります。今後とも訪問、お読みいただき、気づきのきっかけになれば幸いにございます。
このブログは『心の健康、身体の健康』をテーマに、日ごろの生活のなかから、さまざまな出来事を通じて、心の問題、身体の問題を取り上げていきます。
次回は金曜日の投稿になります。皆さまのご訪問に心から感謝申し上げます。m(__)m観童