愛と執着


善きことを為す者は
ここによろこび
かしこによろこび
ふたつながらによろこぶ
おのれの
清らかなる振る舞い(業)をみて
彼はたのしみ
かれはよろこぶ
※心が調和されて正しく生活する人は今を喜び、唯一絶対なるものを畏れながら喜び、いつも喜びに満たされている。自分の清らかな生き方、心を大切にして、彼は人生を愉しみ、喜んでいる。
人間、生れたのちの境遇は選ぶことはできないが、生き方は自分で決められる。
『置かれた場所で咲きなさい。』この言葉が私の心に広がります。
苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。置かれたところこそが今の私の居場所なのだと確信する。
●真の愛は痛みを伴うものです。
●母親も、一人の子どもを産むためには、苦しまなければなりません。
しかし、子を産み、乳を与え、ほほ笑む母は無償の愛に満たされていたことを忘れてはいけない。
●もしあなたが、本当に愛し合っているなら、犠牲を厭(いと)うことはできないはずです。
●お金や心の貧しい人は、他のお情けを必要としているのではありません。
彼らが求めているのは、あなたの愛と優しさなのです。
決してものの道理や理屈や押しつけではないのです。
嫁と姑の立場も道理や理屈を捨てて、自分の愛を見なおすことです。
努力しているあなただからこそ、自分の価値観で道理と理屈を固持していないだろうか。
自分がが正しいと思う気持ちが愛を遠ざけるのです。
●もしも、真の愛を、慈悲をおこなえないというなら、それは自己中心的、利己的に偏っているからなのです。
正真正銘の愛は惜しみない寛大さを伴うはずです。慈愛と寛容はいつも共存します。
●今日、私たちの毎日は、外で過ごすことに努力を払い、工夫をこらし、気遣いをしています。しかしながら、そのようにして守っている今の生活の中身は、家庭での苦しみや淋しい思いをしている家族の現実に目をやろうとしていません。
私たちの努力を、もう少し家族への愛に注ぐなら、より幸せなものになることでしょう。
内が満ちてくれば、外も満ちてきます。しかし、外で満たすほど内が貧しくなるのです。それが人間の心です。
●何度もいいましょう。荒れる者、拒絶するもの、これら貧しきものが求めているのは、憐れみではなくて、真の愛なのです。
道理や理屈ではありません。彼らは自分たちの人間としての尊厳に敬意を払ってほしいのです。
彼らが有している尊厳はあなたと同じ、他の人間と全く同じ尊厳であります。
●私たちが死ぬ時、天に入る為の条件はただ一つ、心貧しき人々に対し、荒れるものに対し、妻に対し、夫に対し、嫁に対し、姑に対し、子供に対し、隣人に対し、どのように振る舞ったかということです。
行動のすべては心から発するものであり、他人に偽りができても自分に嘘はつけない善なる心だけをもって還らなければ天には入れない。
●日々の生活においても愛を示すときは、あなたの最善のものを示しなさい。それが分かち合うということです。
日本国内においては飢えて死ぬ人は殆どいませんが、心の飢えている人は限りなくいます。かれらは皆、ちょっとでいいからその存在を認めてほしいと願いながら、僅(わず)かばかりの真の愛を与えられないが故に、正しく生きる勇気を見失っているのです。
●本当によい行いは愛のエネルギーとなって相手の心に届くでしょう。
それは、言葉や道理や理屈を必要としない無言の力となって働きます。
●何の犠牲もなしで真の愛を知ることができないように、あなたに真の愛が満ちていなければ、相手に伝わることはないでしょうし、相手の心を動かすことはできません。
●相手に尽くして苦しいなら、それはあなたが真の愛に気づくための、産みの苦しみなのです。
その苦しみを投げださず乗り越えたら本当の母になれるように。父になれるように。
●あなたが子の親なら子に何を望みますか?偽りのない忠実な生き方ではありませんか。もしも、そうならそれは、そのままあなたの意志が天の意志に通じる心です。
天は愛と慈悲が全てです。それが宇宙の意識であり、心です。
『宇宙即我』人間は宇宙と一体である。
※最後までお読みいただきましてありがとうございます。次回は月曜日27日の予定です。またの訪問をお待ちしております。