愛と執着Ⅱ


プライベート、職場、恋人や夫婦の関係、親子関係、兄妹姉妹、嫁、姑の関係で何か悩んでいること、苦しんでいること、不満に思っていることって、意外と多いものです。
些細なこと、軽いものまでを含めれば、ほとんどの方が「YES」かも知れませんネ。
例えば、「俺は家族のために毎日こんなに遅くまで働いているのに、妻からは感謝の言葉の1つもない」、「私はパートナーを愛しているからこそ、○○してあげたのに、パートナーは私には○○もしてくれない。
こんなの不公平だわ」など、パートナーに対して、こんな気持ちになることって、ありませんか?
この「愛している」「○○してあげているのに」という思いは、本当に「愛」なのでしょうか?
人間は「愛している」という言葉をよく遣います。それは、いかにも他のためにあるもののように見えますが、実は自分が満足するための思いや行為ではないだろうか?
「彼を愛しているから○○してあげた」というけれど、○○してあげたい自分を満足させるために○○しただけに過ぎない、のではないだろうか。
愛だと信じていたその正体は……執着心?
自らの愛情によって相手のためにと信じてする行為が、自分の「こうしたい、こうするべきだ」という自分の欲望=執着心を満たしているだけなのではなかったか?
もし真実の愛から、パートナーに対して○○をしたのだとしたら、見返りなど求めないことです。
相手の反応がどうであれ、○○をしただけで満ちたりて幸せなはずです。でも、人間なかなかココには気づけないものなのです。
あなたは愛と執着心 の違いを心に落としていましたか。
愛と執着心 の違いに気づく!

  • パートナーのために働いている
    気づきの一言:働くことの意味は1つではない。もし、パートナーがいなかったら働かないの? 働き方は変わるの?
  • パートナーのことが心配なので、毎日電話&メールは欠かさない
    気づきの一言:パートナーは毎日というのは重いしメンドーとさえ思っているかも知れない。パートナーを案じるというよりも、自分が不安なのでは?
  • 休日はパートナーのために他の予定を入れない
    気づきの一言:パートナーは束縛されていると感じているかも。自分がパートナーと一緒にいたいのでは?
  • パートナーの帰りがどんなに遅くても寝ないで待っている
    気づきの一言:パートナーは寝ていてくれた方が気楽かも。自分のポリシーに基づいてそうしているのでは?日頃の会話が必要。

苦しみたくないなら、執着心を捨ててしまうこと

  • 「○○したのに、私には何もしてくれない」という不満が出てくる、悩む、苦しむ……というのは、悩み・苦しみ・不満が生まれてしまった時点で、それは「愛」ではなく「執着心」なのです。
  • もし、ここで悩みや苦しみから逃れたいと願うのなら、この「執着心 」を捨ててしまうことです。
  • それには、「○○してあげた」ではなく「○○させてもらえて幸せ」「あなたがいるから一生懸命働かせてもらえるのだ」と考えるのです。これが「愛」です。
  • とはいえ、人間ですから、執着心を捨てて100%愛のみで生きろ、と言われても無理な話……。しかし、心が大きく成長するためには、愛と執着心(欲望)の狭間で悩み苦しむことで人間は成長していくのですから、成長するためには悩みや苦しみも必要なのです。
  • でも、耐えられないほどの苦しみを抱え悩み続けてしまうのは、辛すぎるし、余計に心が不調和になるからそれはよくない。回避も必要な場合がある。
  • だから、先ほど挙げたように「してあげる」「させてもらう」というように、考え方を変えてみるのです。

愛は許し受け入れること!

  • 例えば、パートナーが他の人を好きになったと言い別離を迫ってきたとしたら、ショックは計り知れないものでしょう。この時、「誰よりも、パートナーを愛している。だから絶対別れない!」というのは、「愛」でしょうか? それとも「執着心 」でしょうか?
  • これは、自分の欲望=執着心のみから出た言葉です。二人がよく話し合い、その結果によってはパートナーを本当に愛しているのなら、パートナーが望む通りにすることも愛なのです。
  • 「愛」とは、「許すこと」なのです。そもそも普段から相手を許すという思い遣りがあるようなら、このような事態にはなっていないのかもしれません。※厳しく感じるかもしれませんが、愛は自分のこだわりを無くし、相手のどんなこともすべて許し受け入れることから始まる。相手には何も求めず、自分が与え続けることだけで満ち足りることです。
  • 100%「愛」のみで生きる、悟りをひらく、なんて無理ですが、今が20%なら40、50%に、50%なら60、70%に、というように、「執着心」を「愛」に変えていく、昇華していくことを心がけてみるのです。変えることができた分だけ、苦しみも軽くなっています。

愛するものより憂いが生じ、愛するものより恐れが生ず、愛するものを離れたれば、憂い無く、何故、恐れがあらんや。
※愛することに囚われ執着するときに心配や恐れがうまれる。愛という名の執着から離れたら心配することもなく恐れることもない。愛がいけないのではなく、執着する心が不安や恐怖をつくるということです。
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Posted by kansindo