自殺

自殺をする人がいれば、誰でも止めようとするでしょう。しかし、「では、なぜ死んではならないの?」と聞かれたら、どう答えるでしょうか?

せいぜい、「親が悲しむ」「君の命は世界にたった1つしかないんだ」「生きていればそのうちいいことあるよ」と慰めるだけです。

「じゃあ、あなたは、何かいいことありましたか?」と聞かれて、言葉を失ってしまう人も少なくないでしょう。

そういえば、いつまでたってもいいことなどない。容赦ないリストラの波が押し寄せ、精神科クリニックやカウンセリングは人でいっぱい。

「いのちの電話」も深刻な人手不足で、不景気の影響による経済的事情もあり自殺は一向に減りません。現在、日本の年間自殺者数は、3万人以上という大変な事態が続いています。

世間体を考え、「不慮の事故」と報告される隠れ自殺者も多いから、実質はもっと増えるでしょう。交通事故の3倍~4倍もの人が自殺で命を落としていることになります。

世界ではどうでしょうか。調査できる限りでは、年間約78万6千人の自殺者があると言われています。うち、中国がその3分の1を占め、女性の自殺者の過半数が中国人女性と言われています。中国では相次ぐ自殺者に、国内初の「自殺予防センター」が設立されました。これによって何千人もの命が救われたといいます。

ところが、立志者が、遺書も残さず首吊り自殺をしたのです。10年近く、献身的に自殺を止めてきた人が、です。他人には「死ぬな」と言っていても、耐えられぬ苦しみに直面した時には、日頃のどんな信念も、羽毛の如く飛び去ってしまうのです。

他人を励ますどんな言葉も、死へのブレーキにはならない場合もあることを思いしらされます。人間は弱いところも持ち合わせた生き物です。

しかしそれは、「なぜ死んではならないか」について明確な答えがないからに他ならないでしょう。

どれだけ真剣に自殺防止を論じても、これが抜ければ、真の自殺防止にはならないのではないか。
平成10年3月19日、産経新聞に次のような投書が出たことがあります。

人は何のために生きているのかと思います。日本人の平均寿命は80歳前後です。80年間も何のために生きてゆくのですか?
学歴社会──当たり前のように使われているこの言葉が、たいして勉強のできない者にどれだけの不安を与えているか分かりますか。自分の夢に向かって一生懸命がんばってるのに、つらいことの方が多く残りの人生がとても嫌です。
最近の高校生は…と、よく言われますが、まじめにやっている者もいるんです。それでもうまくいかなくて、不安で逃げだしたくなって、自分のような人間が、本当に何か役立つんだろうか、つらいことを乗り越えて、まだ生きてゆく必要があるのか。
命は大切です。当たり前のことで、分かっているけど理解できない。あと60年以上も、この苦しい日本の中で生きていたくない。こんな思いで毎日過ごしています。
人は何のために生きているのですか。だれか教えてください。(高校生 16歳)

また、朝日新聞には次のような投書も寄せられました。                着たくもない窮屈な制服着せられて、受けたくもないつまらない授業を受けさせられて、やりたくもない部活やらされて、家に帰っても宿題とか家事とかいっぱいあって、だーれも生きた心地なんてしてないのに『命の大切さ』なんて口先だけで教えられたって実感なんて持てない。(高校生 17歳 千葉県)

死を急ぐ若者が最も知りたいのは、「命の大切さ」の真意なのです。同時に、簡単に自殺するもう一つの大きな原因は、「死んだらどうなるか」を知らないことにあります。

3月、群馬県の中学2年の男子生徒が、学校での喫煙を教師に注意された後、自殺しています。 自殺直前に書いたと思われる親友への遺書は、あまりにも軽い印象を受けます。

★このletterはあてに書くけど、できれば、みんなでよんで!!
まず初めに、”ゴメン”まじで。今回オレのせいでみんなやべーことになっちまって。けどもうオレはぜったいみんなにめいわくかけない!なぜならオレはもうこの世から、いなくなるから!?ってゆーか、もうAがこの手紙よんでるころはオレは天国or地獄に行ってると思う…「みんな大変なのに、オレだけ楽してごめん」とあります。

しかも、死んだら楽ができると思っていたのでしょうか……では、真実、死後は一体どうなるのでしょうか。自殺してはならない理由も、生きる意味も、実はここに起因します。

死後は、「有る」「無い」か、のどちらかです。また、有るならば、楽しい世界か苦しみの世界かのどちらかです。もし、死後が無いなら、死は現在の苦しみを抹消する手段となります。

極論を言えば、末期癌で激痛に喘いでいる人は、生きて苦しみを延ばすよりも、早く死んだ方が良いことになってしまいます。

あるいは、死後が存在しても、違う人間に生まれ変わったり、楽しい世界に行けるのなら、嫌なことがあれば、リセット感覚で自殺すればよいということになります。

苦しみに耐えるより、死んでやり直した方が利口と思う人もあるでしょう。しかし、何1つはっきりとした教えはありませんし、あったとしてもそれを指導しているのは宗教の世界や、それに関わる一部の人間だけです。

しかし、宗教界も自称霊能者も営利目的のパターンがほとんどで情けない限りです。

またその反面、立派な医師や個人のなかには正しい宗教を正しく学び心のケアに生かしている人もいます。国際聖路加病院理事長の日野原重明さんなどもそうです。

正しい教えや導きがあったとしてもそれを行政が行っているわけではありません。勿論、行政が宗教に関わることは殆どない。

大学入試を受けた後に、「受かるか、それとも落ちるか」といった不安があるように、2つの心が揺れ動くので、「二心」です。合格ならば入学の準備を、不合格と決まればまた、予備校へ通う手続きなどをするものもいます。困るのは、まだ分からない時です。

死後も、「ある」とか「ない」とスッキリすればよいのですが、やはり二心があるから不安です。すべての人々は日々、死へ向かっています。1日生きたならば、1日死に近づいたのです。死こそが間違いなく向かっている行き先です。

最も確実な未来が、最も不確実では、真っ暗闇を目隠しして進んでいるかのような不安しかありません。「ともあれ、一生懸命生きることが大切だ」ともよくいわれますが、「闇の中をひたすら走れ」という無茶な注文かもしれません。

勝手知ったる我が家でさえ、停電になると、手探りで懐中電灯を探すうちに、敷居につまずいて痛い目にあうではありませんか。

やがて「死」の壁にぶつかる時が必ずあります。まだまだ先の話、ではありません。今夜からでもです。今の次の瞬間にも、急病や不慮の事故で、人生の幕を突然に引かねばならないかもしれません。

「死後への暗い心」は未来が分からぬ不安な心であり、してみれば現在の自分が分からない心でもあるのです。

これはまさに「無明の闇」と言えましょう。何のために今生きているのか、なぜ死んではならないかがはっきりしないのは、無明の闇を抱えているからなのです。

続きは次回まで