あなたの4次元ガイド
最近では高齢者より若い人たちの方が守護霊や指導霊という言葉を知っているようです。
『あなたに徳の高い守護霊をつけてあげます。そのことによってあなたを守護し、運が強くなり何事もうまくいき幸せになれます。』実に都合が良く、うまい話しである。
あるいは『霊格の高い守護神をつけてあげます。』という甘い言葉に誘われて大枚を支払ったという人がいます。
あるいは『この仏像は全ての災難、病気を除く霊力を授ける力のある神ですからご利益がすごいですよ。』といって数十万の小さな仏像を買わされた被害者がいます。
人間はなぜこうもご利益に弱いのだろうか。答えは簡単です。欲望である。
何もせずに砂漠でダイヤをあてにすることと同じようなものだ。
金額の大小こそありますが、数千円のご利益グッズから数万円のものまで、あるいは数十万のご利益グッズから百数十万のものまで、ご利益グッズは宗教界には付き物である。
このような物を買い求めなくても私たちには立派な人生のガイドが生まれた時から誰にでも公平に付いてあの世から守護霊として使命を果たしてくれているのだ。
ですから営利主義の霊能者と称する人たちが後から取り付けるようなものでは決してないということ。そのような話には絶対に乗ってはならないということです。
何故なら、4次元世界と3次元世界の関わりには厳然とした摂理と秩序が存在していて、何人たりともこの秩序を破ることはできない。
したがって後付するような霊は動物霊か地獄霊しかないのです。ご注意いただきたい。うまい話はいつも誘惑と危険がはらんでいるのである。
私たちの背後(4次元)にはいろんな役目の霊が存在しています。
目的がいろいろとあるからですが、しかし、その霊がすべて同じレベルにあるわけではありません。各々の霊に割り当てられる守護霊としての役目は霊的な成長と発達の度合によって異なります。
例えば宇宙の機構について詳しい霊がいても、あくまでその時点までの経験の結果としての知識で協力するということで、まるで知らないことについては協力できません。決してパーフェクトではないのです。
ですから知らないことは何一つないような霊は決していません。
物理化学に精通している霊は高等な思想上の問題についてはよく知りませんし、高等な思想・哲学を説くことを使命としている霊は物理化学に関しては苦手なわけです。
霊をぜんぶ同一水準に置いて考えることは禁物だということです。
守護霊・指導霊とは。
多くは魂の兄弟が担います。また地上的な縁故関係はまったくなくて、果たさんとする目的において志を同じくする者、言ってみれば霊的親近感や霊的使命感によって結ばれる場合もあります。まれには地上での血縁関係によって担う場合もあります。
そこには民族や国家の違いはありません。地上を去り4次元世界に行き、地上的習性が消えていくと、民族性や国民性も消えていくのである。
魂には民族も国家もありません。あるのは地上生活のときの肉体上の差異だけです。
選ばれる基準は何か。
4次元世界にいる段階で地上世界(3次元)のために為すべき役目があることを自覚して、自らかって出る霊もいますし、ある霊的な発達段階まで来ている霊が、人類啓発の使命を帯びた霊団から誘いをかけられる場合もあります。
誘われた魂は困難を承知で人類愛のために引き受けるのです。
また自分から進んで背後の指導を買ってでたとしても、その霊の人間性が未熟ならば叶わないことです。
あの世においてはオーラ、色彩、光輝がその霊人の本性(魂レベル)を全て示しているのです。
あの世では地上人間のように嘘は隠せませんし、心の状態がすべてオーラとなって表れているからです。
あの世における霊体だけの生命はこの地上のような肉体はまとっていませんから心の状態がすべて丸見えなのです。
守護する力量のないものがその任を担うことはできません。その人には協力できないことが明らかなのですから。
ですから、地上のあなたが人類のための仕事に志を抱く霊を呼び寄せようとしても、あなたご自身が霊的成長によって霊格の高い指導霊を引きつける力を具えていなければ、それは叶えられないということです。
仏像や守護神を後付けする話は全く嘘の作りごとでしかないのである。
指導霊にも段階ありです。殆んどは自分と同等レベルの指導霊が背後にいると解釈してよいでしょう。
つまり、自分の魂のステージに見合った霊が守護霊や指導霊という立場で背後の協力をするのです。
この世においても資格のないものにはやりたくても出来ないことがあるのも道理でしょう。
しかし、ここでいう資格は学歴や運転免許や国家試験で得るような形の資格ではありません。
魂の成長度合の意味です。偉大な聖者たちは大学を出ただろうか?
先ずは私たちが心磨きを実践して魂のステージを向上することが先です。
そのことによって段階的に指導霊が入れ替わることがあるのです。私たちが意識するしないに関わらずです。
仏像や曼荼羅に向かって真言を唱え、読経をして拝むことは全くの御利益求めで他力本願で依存型信仰の代表といえるでしょう。
このような考えと行動が動物霊や地獄の人霊を引き寄せるケースが多いことを知る人はとても少なく、霊障に苦悩する人も後を絶たない。
ノイローゼや家庭内不和で相談にみえるのである。
人間に必要なものはすべて生れ落ちるときに備わっていることを知っていただきたい。
すべては私たちの心の中に内在されているということです。
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