人生はやりなおせる
水谷修氏55歳 横浜市立高校教諭時代から夜の街を見まわり、青少年たちの非行防止のために連日の夜間パトロール活動をする。夜回り先生と呼ばれて話題になりNHKでも取り上げられた。
夜回り先生こと水谷修氏に、ある時30代後半の女性から一通の手紙が届いた。彼女は東京の繁華街に住み、中学時代に明日を失い、夜の街で仲間たちと遊びまわっていた。
その時の仲間の一人である、ある男性が末期のガンとわかり、お見舞いに病院に行ってきたことが手紙につづられていた。その彼はベッドで苦しそうに声を絞りながら、訪ねてくれた彼女にこう語りだした。
『10代の頃、俺たちは荒れていたよな。自分のことしか考えない酷い親や、俺たちを邪魔者扱いする先生たちに反発していた。池袋の夜の街でいつもつるんでいた。憶えているか?お前が中3、俺が18歳の夏休み。いつも通り、夜遅くに駅前の公園でつるんでいたら、スーツを着たおやじが近づいてきて話しかけてきたこと。
(うざい、どっか行け)っていっても、そばから離れずに、(おまえの目はきれいだな、昼の世界で働いてみないか。センスなかなかだな。どうだ洋服屋でバイトしてみないか?)と話しかけていた。
俺がブチ切れてあいつを押し倒したんだ。あいつのすっ飛んだ眼鏡を俺が踏みつぶしても、あいつはすぐに立ち上がった。(元気がいいな。ボクシングでもやってみるかい。知り合いがジムをやっているよ。)と、何事もなかったようにまた話しかけてきた。
結局はこっちが根負けして、あいつから名刺をもらって家に帰った。俺はあの人の優しい目と言葉が忘れられなくて、あの日から変わったんだ。ふてくされるのをやめて、夜間の工業高校に通って一生懸命勉強した。働いた。そして今は小さいながらも工務店の社長になった。
おまえ、夜回り先生って知っているか?あの時のおやじが、夜回り先生だったんだよ。数年前に偶然テレビであの人を見たんだ。辛い時はいつもあの人の顔を思い出した。
いつか一人前になったら、壊したメガネ代を持って(あの時の非行少年が、あんたのおかげでこうやって一人前になったよ)って、話したくて。でもこんな体になってしまって間に合いそうにもない。
頼む、昔の仲間のよしみで夜回り先生の連絡先を探してくれないか。そして、きょう俺が話した事を伝えてほしいんだ。俺の代わりに、謝ってほしいいんだ。
読み終わった夜回り先生は手紙を握りしめて泣いた。嬉しくて、哀しくて。切なくて、夜回り先生は余命幾ばくもない彼にありがとうと伝えるために病院におもむいたという。
無気力や何かに反発しながらいつもイライラして生活している人もいるが、それは子供だけではない。いい年齢のおやじでも些細なことで争っている光景を見ることがある。マナーを指摘されて逆切れするケースもあるし、なかには傷害事件にまでなることもある。年は重ねているが心が成長していないのは悲しい。
夫婦でもお互いが自分の我を通すなら心が寄り添うことはない。何かを盾にして自分を弁護したり、できない理由にしたり、やろうとしない理由にしたりする。
その何かは病気であったり、負い目であったりすることが多い。
逃げの理由が必要なだけである。
逆切れして相手に暴言を吐くのも、暴力をふるうのも根本は甘えの精神構造から発する。
愛は誰からはじまるのか。
あなたの胸からです。
いつからはじまるのか。
共にいたわるときからです。
もし私たちが謙虚ならば。
ほめられようと、けなされようと、指摘されようと気にはならない。
もし誰かが批難してもがっかりすることはない。
反対に誉めてくれたとしても自分が偉くなったように思うことはない。
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