天災・人災・人間の想念

津波1
Tom より: 2013年8月6日 PM6:06 コメント
ご教示の例ですが、他国が侵入していることであり、またその国は、他の件でも日本の抗議など歯牙にもかけないどころか、こちらを悪者呼ばわりする論理で、自国民を操作している-極端に言えば、そういう感じでしょうか。それに対し、何ができるのでしょうか?無理を通せば道理が引っ込む世の中ではないでしょうか。この件について、「正見」「正思」「正業」とはどういう行為でしょうか。
質問者へのお答えは文中において述べることにしまして、先ずは、天変地変と人間の想念との関係からお話ししてまいります。
『地震はなぜ起きるのか。それは大地も生きているからである。
人間の体内には血管が縦横に走っているし、そして、絶えず血液が流れています。
大地の下もまた人間の血管のように水脈やマグマが無数に走り、火山に見られる何千度にも熱せられた溶岩が、地表のはるか下を流れています。
火山はこの溶岩が地表に現れたものですが、なぜ火山活動がおこるのだろうか。
それは地上の圧力が地下に加わり、マグマを圧迫するためでもあります。
そもそも地震が起きる原因は何なのか…。それは、地質学的な表現を借りるなら地球の表面を覆っている「プレート」と呼ばれる岩盤が原因といわれています。
プレートは大小十数個に分かれていて、それぞれがゆっくりと移動しています。
そのため、ぶつかり合ったり引きずり込まれるなどして、ゆがみが生じ、そして、プレートが強い力に耐えきれず、極限まで達してしまうと、元に戻ろうとして大きくはね上がったり地盤に亀裂が生じたりする。
このときの衝撃が、揺れを引き起こす波動となって地表に届き、振動する。
これが「地震」と呼ばれている現象です。
地震火山活動も、プレートの動きととても密接な関係にある。
地震は地上の圧力によってプレート層に負荷がかかるため、それをハネ返そうとしておこるものだ。
では、地上の圧力とは何かです。
それは人間の心の在り方にかかっているといってもよいでしょう。
地表をとりまく人間の生活意識が大地に圧力をかけている。
この圧力は、人間一人一人の偽我(自己保存)によって作られるものです。
つまり、地震や火山を起こすだけのエネルギーを地下にまで影響しているのである。
だから、一定の時期がくると、もとに戻ろうとして揺れ動く。
こういっても人は信じないであろう。
現代科学はさまざまな見方で地震や火山をとらえようとしているが、物理現象の背後には、常に人間の意識が強力に働いているということを理解するようになれば、万象の姿がハッキリととらえることができるようになるでしょう。
天変、地変は人類が反省の機会だということに気づかなくてはならない。
この地上現象世界における仕組みは、あの世の投影でもある。
言い換えると4次元の投影が3次元の姿であり、常に3次元と4次元は循環という法則に従って輪廻しているということだ。
色即是空・空即是色という般若心経の言葉でもそれが説かれている。
このような宇宙の意識に対し、人間の智と意の産物の不調和な思想は、闘争と破壊の業を造り出してしまった。
しかし悪しき人類の想念行為に対しても地球は限界がある。
その限界を越すと、地球は天変、地変によって人類に反省を促すことになるのだが、そのことを単なる自然災害として片づけてはならない。
よって、秩序と慈愛である宇宙の意識に反する人間の想念作用が地球への圧力となり、限界を超えて起こったのだといえましょう。
人間の心から発する想念は、私たちが想像する以上に大きなエネルギーとなって働くということです。
私達の心が調和されれば、体から出ている後光、すなわちオーラーが金色のように覆うもので、家庭がそうなればそこに金色のオーラーが現われ、人類の心の調和は地球全体がそうした金色の光に覆われることになるでしょう。
平和な安らぎのユートピアを作る目的を私達の誰もが、この地上に生まれてくるときに崇高な思いで誓って出てきているのです。
天変地異が生じるのは地上人類が黒い想念に覆われた結果といえるのですが、自然は、天変地異や火災をとおして、人類に誤りを気づかせているし、苦しみも悲しみも、自らの心の作用をともなって造り出したものだといえましょう。
苦楽の体験も、気づきへの道のりと言えるでしょう。
なぜなら、心のなかで働いている善なる意識は、人類が、自分で自由に体験してきた、不調和な想念と行為の誤りや、人生の課題を反省することによって、心のなかの暗い不調和な曇りを払い、善我なる偉大な智慧を持ち得るようになるからです。
自らの実践努力によってです。
人類が、自然の大調和に至る道を選ぶか、混乱した不調和に至る道を選ぶかは、私たち次第です。
しかし、人間は、物質的欲望や、社会的な自己保存、自我我欲、闘争や破壊の不調和な環境を造りやすいものだ。
何度か同じ誤りをくり返し、苦しみや悲しみを体験し、その結果ついに、慈悲と愛による調和された生活がいかに大切であるか、ということを学ぶものです。
不調和な想念を持ち行動をする心ない人々によって造り出された集団は、自ら蒔いた悪の種を、苦しみと悲しみの厳しい環境で刈りとらなくてはならないでしょう。
そして、自然は、天変地異や火災をとおして、人類に誤りを気づかせる。
さらに同じ誤りをおかせば、より大きな試練が発生し、さらに誤りを重ねればきびしい反作用が現象となる。
過去の歴史をみればわかるように、覚者である光の大指導霊(モーゼ、釈迦、イエス)が現われてくるというときは、すでに人類の生活に正しい生き方、法則が失われ、教えの力がない、末法の混乱期である。
人々は心を失い、階級制度があり、経済や地位で民衆を縛り、人間として生まれてきた目的や使命を忘れ去っているときです。
自らの心を物質文明の奴隷としてしまい、不調和な宗教が乱立し、心を悪霊や動物霊に売り渡している人々が多くなってしまっているときです。
闘争や破壊が日常茶飯事のようになっている変わり果てた世相を末法の世という。
世界の国々に、災害や天変地異が次々と起こり、家庭は乱れ、親と子の心は断絶する。
教育者は地位に固執し、中道の教育を忘れて、思想的に片よった教育をする。
政治家は私利私欲、党利党略に走り、思想の、というより自己主張の乱立、権力に我を失い民衆を欺(あざむ)いています。
巷での事故死、自殺、うつ病……等々、列挙すれば限りない不調和な世相なのである。
これを好転させるには、政治家も法律家も、教育者も文化人も宗教家も、すべてが両極端を捨てて、中道的な偏りのない判断を基本とするしかないといえる。
他人をかえりみないで、自分さえよければいい、というものの考え方をする人は、利己主義者で、自ら調和への道を閉ざして孤独な人生を送ることにもなろう。
このようなことは国を治める政治家自らが、権力を手にした途端に豹変して強引な手法で他国に迫っていく事実をみてもわかるでしょう。
自国の利益のためには他国の迷惑を一切考えないという暴挙は、世界諸国が第三者的立場からみても正邪の区別がハッキリとわかるはずである。
それは違うと抗議をすれば倍返しの論調で毒牙をむき出しに逆批判してくる。
若者たちの言葉ではないが、悪を為す者に正しいメッセージを伝えても、逆切れして激しい言葉で逆批判してくるメディアの様子には言葉を失う。
世界の調和は、国を治める人々の偏りのない物事の見方、偏りのない思考、偏りのない言動のうえに養われた、良識と、教養が、慈愛を元にしたものでなければ成せることではないでしょう。
中道という調和の精神と良識を外れた強引な政治運営は他が裁かずとも、やがては自らして孤立を生み、自己破壊という反作用の結果を作り出すであろう。
これが自浄作用であり、自然の法則であり、因果律ということです。
国際的諸問題についても、目の前の出来事だけに囚われてしまうと、偏った見方をしがちであり、真実を正しく見ることができなくなる傾向にあります。
真実を正しく見ることができなければ、正しい思い、判断、対処ができなくなる。
正しい思い、判断、対処ができなければ、正しい働き、行動、生活ができようはずがない。
国の行政に携わる者は如何なる事態があっても、事の真実を見極め(正見)、感情的発言を控え、友好平和的配慮(正思)を欠くことなく、外交(正業)していかなければならないでしょう。
中国の思想家であり哲学者である孔子(紀元前552~479)は立派な言葉を残している。
『大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民に親しむに在り、至善に止するに在り・・・・・・。』
平たく言えば、学問の道は、明徳即ち、己の大調和した神性仏性を悟り、人々と協調し、善の心をもって成すこと。ということでしょうか。
中道から反れた行いは人間の道ではないということを知らなくてはならないし、同義語として解釈してよいと思うのだが、中国儒教の教えでは中庸(ちゅうよう)という言葉で、偏らない心としている。
ここで、視点を宇宙に移してみたい。
我々の住む太陽系は、大宇宙から見ると顕微鏡でも分からないような極微の一点にしかすぎません。
人間の愚行がいかに小さいか説明してみたい。
私たちの住む地球を含めた太陽系が属する銀河系には、約一千億個の恒星、五億個の惑星が存在します。
地球は、この五億個の一個にすぎません。
銀河系を島宇宙として、そうして、こうした星々をひきつれた島宇宙、星雲群は、これまた約一千億個にのぼり、いわゆる大宇宙を構成しています。
したがって、大宇宙から見た地球というものが、いかに小さく、小さな細胞体にすぎないかということが分かります。
職場や社会のなかで個人を批判したり、中傷したり、足を引っ張ったりするなど重箱の隅をつつく愚かしいことでしかない。
人体の細胞は約六〇兆あります。
それぞれ、生命を持っています。
それは原子の構造と同じであります。
ところで、人間は、人体である細胞と、それを動かしているところのエネルギー、意識、心、を持っており、それは大宇宙の構成と、まったく同様につくられています。
ただし、大宇宙が、法則のままに動いているのにたいして、人間は、その大宇宙と地上を、よりよく調和させるために、宇宙意識に通じる、その意思と自由とが与えられ、ものを創り出す創造性をも付与されているのです。
そのために、神性仏性の心を忘れず、地上での生活を送るならば、地上の調和はもちろんのこと、意思と創造と自由の展開は、無限の拡がりをもち、人間としての喜び、そうして、法悦の境地を享受することができるのであります。
けれども、その反対の場合はどうかといえば、地球に昼と夜があるように、暗黒の世界が待ちうけ、災害、事故、あるいは天変地異といった人知に及ばぬ天災に見舞われることになります。
これはどうしてかといいますと、人間の在るところ、その環境一切は人間の意思にまかされているからです。
この事の意味に深く気づかなくてならないでしょう。
悪の意思が働けば、悪の結果が、善の行為に対しては善がかえって来ます。
大宇宙は法則によって働いており、地上の人間界も、このワク外には決しておかれてはいないのであります。
したがって、人間の意思とその自由性は、大宇宙の法則を、たくみに運用し、よりよき調和を具現してゆくようにつくられています。
このために、調和を離れた悪の意思と行為があれば、自分自身の体の不調和をきたし、その不調和が集団的となれば、人間の住む環境は、人間の意思にまかされていますから物質世界にも波及して不調和をきたし、災害を呼びこむことになるのです。
何故なら、人間の想念には、ものを生み、創り出す能力があると同時に、破壊のエネルギーとも成り得るからだ。
これらは大宇宙の司である唯一なる意識が、その偉大な意思と能力で天と地を創造したように、神性仏性をいただいている人間にも、その意思と創造と行動の自由性が付与されているということでしょう。
大地にも表情がある
大地に表情がないかというと、ちゃんとあります。
私たちが旅行をします。知らない土地を見て歩きます。するとその土地、特有の雰囲気がつくられていることに気付かないだろうか。
大地は受動的です。
人間は能動的につくられています。
したがって、人間の感情想念、いわばそこに住む人たちの意識の調和度、心の持ち方が、その土地の空気をつくっているのです。
例えば、北海道の雰囲気と沖縄の雰囲気では、温度や景色を超えた独特の雰囲気が感じられるようにです。
争いの多い土地には、作物も良くは育ちませんし、街も汚れているものでしょう。
調和に満たされた場所は、街もきれいで、明るくゆったりしています。
人気のない大地は、それではどうでしょうか。やはり、表情を持っています。
気候や風の流れに応じて、サラリとしたところもあるかと思えば、現在は人気こそないが、その昔、人類が居を構えたところは無数にありますので、そうしたところは、かつての人類の波動を残し、明暗、美醜の空気をかもし出しているところもあります。
このように、大地といえども、生命を持ち、感情を抱いています。
火山、地震、地すべり、陥没など、大地そのものは、時には怒り、狂うことがあります。
こうした、怒りや狂いというものは、大地そのものが勝手に動きだしたかというと、必ずしもそうではなく、人間の好き勝手な行動、想念が原因となってつくりだした物理的現象を否定できないということです。
大地没落、何故このようなことが起こるかといえば、人間の生命意識、地上での目的というものが、己自身の調和と同時に、動物、植物、鉱物をふくめた、地上の調和にあって、その目的に反した想念と行為にたいしては、その目的に反した分量だけの償いが発生するということです。
れは、読者の皆さまが信じる、信じないにかかわらず、人間の生命活動というものが、そのように作られており、致し方のないところなのです。
人間は想像と創造という権能を当たられてはいるが、それだけに不調和な想念と行動は反作用をもって償うことになるということです。
人類には大地という生活環境が与えられ、太陽という熱・光の変わりないエネルギーの供給によって生かされていることを考えるならば、そこに、大自然の、唯一なる意識の、偉大な慈悲と愛ということを感じないわけにはゆかないと思うのです。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。

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