親の徳・子の運命

清掃

「徳」について質問をいただいた。

私の兄弟が入信している宗教では、親の徳によって子供の運命が変わるという教えがありますが、これは本当なのでしょうか。

親の徳というものと、子供の人生修行の関わりについてわからないことがあります。どのように受け止め、理解すればよいのでしょうか。

さて、徳とは何でしょう。徳とは心が正しく、人に善をつくしてゆくものでしょう。

世の中にはこれみよがしの徳が多いと思いますが、そうした徳は徳とはいえない。

他人に気付かれず、ただ黙々として、慈善を行っている人、まさに陰徳を積んでいる人、こういう人を徳行の人といえるでしょう。

例えていえば、道路や電車の中に紙や新聞紙が落ちていて目につく、人にいう前に、そうしたものを黙って拾い、町や車内を明るくする人、そういう人を徳行の人というのでしょう。

徳の多い人は、人から慕われ、歓待を受けるでしょう。

しかし、その歓待を期待して徳を積むわけではないのです。

町や車内を明るくすることが、自分にとっても、町や車内にとっても気持ちがいいからするわけです。

そうしてそのことが、間接的には人々の心を明るくするわけです。

人々の関心を集めるために、または徳のために徳行を行うとすれば、すでにその時点で徳とはならない。徳は心に一点のエゴがあったら徳にはならないということだ。

ある宗教教団体に行きますと、その教団に奉仕することが徳を積み、子孫を繁栄させるもとだと教えられ暗黙に強制しています。

しかし、徳というものはそうした特定の場所だけしかないというものではないし、いたるところに転がっているはずです。

神仏は私たちのいるところに在って、私たちを見ています。

特定の場所や、人が、いるいないにかかわりありません。

そうして、あなたの徳に応じて、あなたを守り、あなたの家を守ってぐれるのです。

しかし、守ってもらう為に徳を為すのではありませんし、そうであってはその時点で徳にはなりません。

徳は調和の現われであり、そうした心と行いのある家庭が不調和になることは少ないと思います。

子供は両親の感化を非常に受けやすく、そのため、子供を見れば両親の生活行為が分かるでしょう。

つまり、子供の運命をつくり上げてゆきます。

俗に「親の光は七光り」といいます。

親の徳が子供や子孫の生活に影響を与えることは確かですが、子供に徳がないと、親の徳は長続きしません。

おわかりだろうか。親の善行、陰徳があっても、子が悪行三昧では親の徳を食いつくしてしまうということです。

基本的に、親と子の魂はそれぞれ異なっており、同一ではないので、その運命の在り方も、当然、違ってくるからです。

すなわち、親の修行と子の修行とは、自ずと別であり、子供には子供としての人生の目的なり、使命があるからです。

子に対する親の役目は、子供が成人し、社会人となって、人間としての道を外さない、立派な光の一員になるよう導くことであり、それ以上のものでも、以下のものでもないのです。

子供に期待を寄せ、煩悩的に子供の安全のみを願い、出世のみを願い、その為に一流大学を薦め、社会的地位や安泰を図ろうとする親もいるが、かえってそれが災いし、子供を不幸にすることになるでしょう。

こういったケースはよくあることである。よくよく、気を付けねばなりません。

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