震災亡霊の障り

地獄霊
執着
数日前に知人C氏から電話が入った。相談があるという。
三陸の被災で家を失ったC氏の友人のKさん夫妻が、仙台市のアパートに居住しているが、深夜に布団の上を歩く人がいて気持ち悪いし、家内も枕元で人の手がみえて怖かったということで、何とかならないだろうかということだった。
私は、知人のC氏に、Kさん夫妻の写真と、今住んでいるアパートの建物全体を撮って送ってくれるようにとお願いした。
翌日写真がパソコンに送られてきた。
早速、写真と住所を頼りに250キロの距離を隔てた地の四次元世界にコンタクトした。
震災で亡くなった縁者の霊のようだった。
私は思念で語りかけた。
「あなたは震災で亡くなったようですが、気の毒なことでした。無念の思いもあるでしょうが、しかし、今日まで約三年近くの年月が経っております。
本来ならば、とっくに然るべき世界まで上がっていなければならないのですよ。
人間はどのような亡くなり方をしてもいいように、日頃から心構えをして生きておかなければなりません。
そうしなければ、思いがけず死に至ったときに動揺し、うろたえ、この地上に未練を残すことになるのです。
人間いつ死ぬかわからないものです。事実あなたは震災で亡くなられたのでしょう。不幸なことであり、同情するのですが、今となっては致し方のないことです。
あなたも人間の子です。そして神の子です。ならば、そちらの世界で心の修養をするのがこの世と、そちらの世との決まりであることは分るはずです。
もう一切の未練、執着を捨ててこれまでの生前の人生を振り返って反省をしてみてください。
自分の心の曇りに気づくはずです。そうすればあなたは天上界に上がることができます。成仏なさい。」
霊体の悲しみと無念の思いが強く伝わってくる。
私は祈った。「神よ、この哀れな霊に光りをお与えください。心に安らぎをお与えください。この者の心の罪をお許しください」と。
そして、黄金色に輝く光のなかに霊体を包み癒した。
やがて、霊体の悲しみは消え、上昇して行った。
震災以降、Kさん夫妻は縁者の冥福を祈って自分たちなりに供養をしていたのだそうだが、今回、このような霊現象があって恐怖心で夜も眠れず体調が思わしくなく、友人のC氏に声を掛けたということだった。
実は、この地上では、災害時に救済の支援が為されるように、霊界においても、震災のような大きな災害犠牲者については、天上界からの救済の手が差し伸べられるのだ。
しかし、現実には、この様に霊的な現象として災いをもたらす場合もあるのである。
これは何故であろうか。
原因は、亡くなった方の魂のステージの問題であるということだ。
この世において、心の曇り、汚れ(愚痴、不満、執着、怒り)が強い人は、死んで肉体を失って残るのは魂だけとなる4次元では輝度によって居住する次元が段階としてハッキリと違ってくるということです。
つまり、肉体のない4次元のあの世では、ごまかしがきかない世界だということがいえるのである。
従って、天上界の天使たちからいくら被災者への魂の救済が為されようが、心に執着のある人は天上界に導かれてもスムーズに上がっていけないのである。
逆に、被災して亡くなられても、日頃の人生で心に執着がなければ、自らして時期がくると行くべき道を悟り、天上界に上がって行くのである。
この世の3次元的価値観は、非常に物質的でありますが、あの世の4次元世界ではそれが薄れて非常に希薄になり、精神的価値観が全てとなっている精妙な世界なのである。
それは、亡くなって時間が長期間かかって気づく魂もあれば、普段から心を旨として生活している人は、49日の法要が済む頃には既に天上界に上がってしまって娑婆とは関わらない魂もいるのである。
しかし、後者は多くはない。
今回の霊騒動は、遠隔地のため遠隔浄化で対応させていただいたが、その夜から静かに安眠ができ、久しぶりに目覚めの良い朝が迎えられたという報告を翌日にいただいた。
今回の亡霊騒動で学ぶこと。
それは、人間は死んで仏になるのではないということ。
生前において、日頃から偏りのない調和された心で善を成して生きるのが仏であるということではなかろうか。
この世で仏心になれなければ、死して仏になど成れようがないであろう。

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