霊能者の常套(じょうとう)手段・脅しの話術
世の中に霊能者といわれる人たちがどれほどの数存在するのかとなると、これはとても測り知れない数だと思われます。
先ず、霊能力といえどもその能力にも種類があり、得手不得手があり、一様ではなく高低もあります。霊能者イコール特別な人という偏見が一番危険な考えであることを申し上げておきたい。
そして、通常一般的には持ちえないとする霊能力を前面に押し出して対応すればするほど、人間としての正しい生き方をないがしろにして対応してしまう傾向にある。
結果、人生に大切な自立心を育てるアドバイスではなく、反対に依存心を植え付けてしまうことになるのは霊的能力に依存した心を持たせることになるだけである。
実際に霊能者といわれる人たちに関わることで良くなるどころか、逆に霊能中毒症になってしまう人たちが後を絶たないのである。
家族の離散にまで発展した事例もあります。
金品を貢ぎ、借金にあえいだ家族もあります。
最初は幸せ気分に浸っていても、やがてはどっぷりと首まで底なしの泥沼にはまり込んで抜き差しならない状態まで陥る人もいました。
霊能力は阿片である。
きょうは相談者からの内容を実例として掲載させていただきますが、読者の参考にしていただければと思います。
快く掲載を許可してくださった相談者には紙面を借りて、心から感謝を申し上げます。
ありがとうございます。
この掲載はあくまでも実例を載せることによって実態を知っていただくことでそれぞれの立場でお考えいただきたいという思いからであります。以下
観童様
初めまして。緒方絹子(仮名)と申します。
観童様のブログを拝見して、悩んでいた折、様々なことに気づかされました。突然ながらご相談を差し上げて、失礼をお許しください。
私は二人の娘の母親です。
ご相談というのが霊能者の先生のことです。
実家の親のうつ病で悩んでいた3年前より、(今は治りました)友人の紹介で老齢の女性の先生(電話で予約して相談、後から振込なのでお会いしたことはありません)にご相談をたびたびしていました。
私自身が手相やタロット、感も強いほうなので、何かあると何かのお知らせなのかと考えるようになってしまっていました。(子供の手相が急に変わったとか 、不吉な夢を見たとか、人間関係でうまくいかないなど)
それで、数か月に一回の割合で、相談をしていました。一度相談すると2、3か月はセッションの期間が続きます。
一回のセッションが5000円で30分くらい。相談内容の一件につき1万円で文章を作ってもらいます。
そして何回かセッションを重ねて神社のお祓いみたいな文章を歌ってもらいます。
3年で60万円くらいは使ったかと思うのですが、その間、家族は円満になり、先生のおかげもあるのかな、とそれほど依存しているつもりもなく喜んでいました。
でも内容として、私から相談した内容より、先生が過去生(いわゆる前世ですね)をチャネリングしてこれをしないと命に関わる、というようなことになったり。。。
初めは主人の命に関わることで、そうなったら大変だと、相当にセッションして歌ってもらったのが2年前でした。
金銭的にはそこまで負担ではなかったし、主人も反対はしなかったので、それで心配事が先生の力で先にわかって大難が小難に抑えられるならよかった、と、私よりかなり先生に信頼を置いている紹介してくれた友人と、喜んで報告し合っていました。
しかし、去年あたりから、次女の名前が〇〇というのですが(現在幼稚園の年中さんです)〇の漢字がものすごくこの娘には悪く、清めてもらいたいと魂が言っていて、〇の名前でいいが漢字を変えないと死や、黄泉の国(あの世)というメッセージがくるので事故にあったり死亡するかもしれない。
と言われ、当時、まだ4歳で本当に車にひかれそうになることや短絡的な行動の多い活発な娘なので、出かけると毎回迷子になるほどでしたので、気が進まないけど、変えたほうがいいかな、とも思ったのです。
緒方〇〇、という漢字での字画は生まれる前に調べて、吉、くらいのはずなのですが
(先生も字画が悪いわけではなくご自分がつながっている高次の世界からのメッセージでチャネリングしているらしいです)
先生がチャネリングをして〇〇ならいい。小学校に行く前に申請したら名前を変えれるかもしれないから、と言われました。
主人とも相談して、確かに男の子に間違われることが何回もあったし、 本人はま だ漢字は書けないので、〇〇で一年間使って、
何かあってから後悔したら、嫌だし、名前の漢字なんてどちらでもいい、という気持ちになりました。
可能性は低いけど家庭裁判所に申請して小学校に上がるタイミングで申請したらどうかな、と話して、〇〇という漢字をここ一年間改名して使用してきました。
しかし、ここにきて、だんだん私が先生のいうことに、従えないというか。。。
自分自身が譲れない気持ちがどんどん出てきたり、
先生は「ご自由に、とか、お気持ちが進まないなら無理に言ってるのではなく高次のメッセージを御伝えしているのでこちらがご遠慮しますしお名前も引き上げます」
と言われますが。
だんだん。。。
これって脅しているんじゃ。。って思い 始めて 、
これはもしかしたら霊能者に依存している状態になっていたのかな?って思いはじめました。
名前を変えないと命に関わる事故にあう、とか、
今年に入ってからも、海外旅行に行く前に夢を見て不吉だったと相談したら、キャンセルするかセッションを直前に5回くらいして、と言われ、
実際に飛行機の不都合(バードアタックで飛行場に戻り4時間足止め)や夢で見た通りの場所がでて、(血まみれのトイレで夢で私がでてきた)トラブルも多く、先生にしてもらって旅行に行かなければどうなっていたのかと、信じる気持ちもまだまだあったのです。
帰国後も霊が憑依したからとか写真もお土産もすべて捨ててくださいと言われました。
それで、色々悩んで、
も う、 「先生には感謝はあれど(子育てのいいアドバイスなどもいただいたし嫌いになったわけではありません)このセッションで金銭的にも大変になってきたのでやめます、というと」、
「でもあなたが4か月後くらいに墓穴か?穴におちるというか事故か?命に関わるメッセージがでていますよ」、と言われ、「現実に起きてから考えます」というと、
「実際にあなたに起こらずお子さんが身代わりになるのも考えられますよ」と言われて。
相当に、なんだか気持ちが滅入ったのですが、勇気をもって現実に自分で対処していく覚悟を決めました。
もしその通りに事故にあったり命の危険があったとしても、誰もがいつかは死ぬのですし、より一層、人に優しくしたり、自分らしく生 きていきたいと思 うようになりました。
その後は連絡先も消して、主人とも、これまでのことは感謝して否定はしないで、今後は家族で力を合わせて現実を困難があれば乗り越えていこう。
死は誰でも必ずあるものだし大事なことは、先生に頼っていて自分で決めれない人になってはいけないんだ、という話をしました。
でも、悩んでいるのが子供の名前のことです。
従来の〇〇で、変えないつもりになってきましたが、本当に命に関わることがあったら・・・・・とも思ったり。
主人は不安があれば(僕はどっちでもいいけど)正式な字画の判定を鑑定士にしてもらい、(霊能者とかではなく)本人が字画 が悪くていやなら大人になって、その 時本人が変えたらいいんだし、
また、『長じるまでの間に、霊能者の先生の言うように怪我や事故や死につながるようになったとしても、僕も名前のせい、だなんて思わないようにするから』、と言います。
確かにそうですよね。
私が心が弱かったのと、ずるずると、実際に当たったりよくなったと解釈して頼っていたのだと思います。
ものすごく長いご相談内容になってしまいました。
ここまで読んでいただいて、恐縮な限りです。
見ず知らずの方とはいえ、観童さまのブログを読んで、目が覚める思いがしました。
迷いや、不安を少し断ち切っていただいた気がします。
ありがとうございました。
もし、よろしければ、何かご意見をいただければ、幸 いに存じます。
寒さまだまだ厳しき折、どうぞお体にはご自愛くださいませ。
緒方絹子
緒方絹子様(観童から返信)
お待たせいたしました。
お子さんを思うあなたのお心は親の愛そのものと思います。
この愛には何人たりとも敵わないでしょう。
先ずお話しを進める前に申し上げておきたいことは、一連の内容に対して私が客観的に何かを申し上げても一切利益することはないということ。
ですから正直に、真実をお伝えしたいだけであるということ。
そのことをご理解いただけるものとしてお話しをさせていただきます。
私は全国の方々からご相談を頂いても一円 たりとも金品をいただいたことはありませんし、そのつもりもありません。
それが何を意味するのかをご理解頂けれ ばと思います。
私は正直に本音で正しいお話しをしたいだけであり、「人生は自分の意思で全うできるものだということ」このことを一人でも多くの方々に気づいていただきたいが故にです。
しかし、お話しの内容から感じることは、とても都合のいいように乗せられましたねということです。
典型的な美味しい客の流れパターンであります。
さて本題に入りましょう。
人生に占いが必要なものでありましょうか。
占う習慣に染まるほど占いに没頭して夢を占い、小さな出来事で占い、大きな出来事を小さな災難にしようとまた占います。
人間はそんなに弱いものではありません。
人間の心を円相にして成 長すればするほど困難があっても不安感が小さくなり、全く不安感がなくなるところまで成長できるものです。
「転ばぬ先の杖」、ということで占いを拠り所にするほど冷静さを見失い、自分では判断できない、決断できないという弱い人間になってしまいます。
しかし、神は人間をそのようには創っておられないのです。
人間の心は、あらゆる創造ができる完全な魂としてこの地上に誕生しています。
次女のお名前が〇〇ちゃんということですが、何と素晴らしいお名前をつけてくださったことでしょう。
永遠の真理、未来永劫の真
これは神が創造された大宇宙の不変と不偏の真理であり、神理そのもののことを いうのですよ。
一切は偏りのない調和された法則をいうのです。
これほど素晴らしいお名前をいただいた〇〇ちゃんにあなた方ご両親がバランスのとれたお心で愛を示すなら立派な大人になります。
何故名前を変える必要があるのでしょうか。
災いがあるとすればそれはあなたの不安感という心の隙が現実化されただけのことであって、あなたのお心が一切の不安もなく、扇動されることなく調和されているならば災いなど起きようがないのです。
〇〇ちゃんにはあなた方ご両親の愛こそが全てなのですよ。
そして〇〇ちゃんには守護霊もおられるのです。
どうしてそのことを信じてやれず、他に依存するのでしょうか。
目先の現象や事象に一喜一憂して、霊能者の言うがままでは自分の心が育たないのです。
そして、そのような子育てでは本当に〇〇ちゃんの人生を暗いものにしてしまいかねません。
前世もセッションも要りません。
今のあなた方の生き方が全てであります。
これまでのような生き方は感心しません。
あなたのご相談とまったく同じようなご相談を頂いたことがあります。
死者が出ると言われて怯えていたそのご家族は10年後の現在も円満で微笑ましい家庭生活をされております。
「愚かで幼稚な生き方をしていました」これがそのご家族の今日の反省の弁です。
あなたに不安感があればそれだけ夢と なって現象化します。
この時点ですでにマインドコントロールされているといってよいでしょう。
このような現象は今後も続くことになります。
しかし、あなたが決心して自立するならそのような現象は無くなっていきます。
不安な夢が生活にも現象化することがなくなってきます。
すべてはあなたの心と生き方次第なのですよ。
旅行帰りに憑依といいますが、本当に憑依されたら自分では居られなくなります。
憑依した者の人格が心を支配し表面に出てしまうからです。
そのようになりましたか?
別人格になって言動がまるっきり変わってしまったならそれは憑依も考えられます。
もうこのようなことにお金を使うのはやめましょう。
お子さんが成長してくれば中学、高校、あるいは大学となれば大変なお金がかかります。
そういうことを考えたら愚かなことはしている暇がありませんでしょ。
どうぞ冷静にご自分の心を信じて生きてください。
観童
追伸
何か疑問点がありましたらお尋ねくださいませ。
身勝手な言い草で失礼いたしました。
観童さま
ご返信、心に刻んで読みました。
涙が出てきました。
ご指南いただきありがとうございました。
私たち夫婦は、娘の名前は先に決めて漢字を字画を探して決めたときに、国や時代が違えど、人の真心は永遠にいっしょであり、変わらない不偏の真理だと思って、そういった人間の芯、みたいなものを軸に持った人間に成長してほしいと思って名付けたものでした。
素晴らしいお名前、と言っていただいて嬉しく思いました。
霊能者の先生に言われたことが当たっていたがゆえに、さらにどんどんお悩みはありませんか?と言われるごとにセッションが長引いてどんどん退きにくくなって、さらに命に関わることが言われれば動揺して依存していました。
すべて、私の気持ちの弱さや不安感から来ていたと思います。
先生の指示 に従えない 、って思っても、「ではどうなってもご自由に。ご自分のご選択で。」と言われると、断りきれないでいました。
しかし、紹介してくれた友人のお子さんが、娘と同級生で、「この子は、〇つ〇ちゃん、というのですが、つ、が不運を呼ぶし、性格がきついから、〇ち〇に変えるように」と言われ、戸籍上でも漢字が一緒で呼び名を変えるのは簡単らしく手続をしたのでした。
でも最近、
「この女の子が2年後に白血病になる、結婚できるくらいまで長生きできない血筋、これが家系的業があり、業を清めるには800万円くらい医療団体に寄付する必要があるし、長生きしたくても家が建つくらいは徳を積まないとならない」
と言われ、名前を全く違うも のに変えればこの危険が減らせると言われ、もちろんご主人は激怒され(全く信じていません)夫婦仲が悪くなったのです。
それでも友人は先生から勧められた歌を書き清める修行を睡眠時間を削ってしていて、見ていても体調が悪そうです。(働いていてあまり裕福ではありませんが友人はもともと宗教に入っていたので何かに依存する気持ちがあると言っていました)
そういう友人の姿を見るにつけ、どうしても違和感をぬぐえなくなり、自分もこうだったのだ、霊能者の先生を恨む気持ちはないし、感謝こそあれど自分の人生や自分の生き方は自分で決めなくてはならない、今こそ、依存していたと自覚して、洗脳されていたなら離れなくては、と、決断したのでした。
そんな時にネ ットで色々探してて、観童さまのブログを拝見し霊能者に依存する、という内容が自分のことだと目が覚めました。
そして、霊的な世界や人の理を愛に満ちて、かつ、金銭は一切取らないで説かれている内容に感銘を受けました。
そうして、ブログを始められた、過去の記事までさかのぼってずっと読ませていただきました。
その結果、見ず知らずだけど、この方にメールしてご相談してみたい、と思った次第です。
災いがあるとすればそれはあなたの不安感という心の隙が現実化されただけのこと。。。と観童さまが、お書きいただいたように、私には漠然とした不安感がありました。
でもきっと、それは誰もがあるんだと思うのです。
それは、今が幸せだからこそ失い たくない気持ちだったんだと思います。
私は時に子育てに悩んだり、八つ当たりもしますが、本当に感謝するくらいの幸せな状態です。
なのになぜ、起きてもいない心配をわざわざ招いて悩むのか、自分でも冷静に考えると腹立たしいです。
「〇〇ちゃんにはあなた方ご両親の愛こそが全てなのですよ。そして〇〇ちゃんには守護霊もおられるのです。」と、観童さまがお書きくださいましたが、
本当に、そうだった。。と目からうろこでした。
子供は自分のものではないですよね、体は小さくても魂は高尚な子もいるんだと信じています。
娘には娘のお守り(守護霊)がいらっしゃるんですよね。
私自身、あまり感心されないかと思いますが、タロットカー ドや手相を習い、友人などにしてあげていました。
でもそれは、幸せになってほしくて、ツールとしてのもので、自分のことはほぼ占っていませんでした。
でも、夢は確かにほぼ見ないのですが、明け方にカラーのまるでそこにいるかのような具体的な夢を時折みたり、頭に映像や言葉が浮かぶ時があります。
そういう時にどうしても何?って不安に感じたりしてしまっていました。
でも、ある友人から(乳がんで母親を亡くされ、ご自分も乳がんになり若くして乳房をとって、その後は子供のために乳がん検診推進のNPO法人を立ち上げ頑張っています)
「私みたいに、死の淵に行くと、生かされてること自体が感謝だし、自分にできることを損得なく考えている 。ひとの命を誰かが長生きささせれるようにする、って無理だと思うよ。」
「占いやチャネリングはあくまでツールで考え方のひとつで、貴女が先生の言葉に振り回されて、摂理に反したこと言われて(友人は人の命に関する預言は軽々しく言うのは脅していておかしいと言いました)動揺しているのは、親としてそんなこと言われたら不安になるのはわかるけど、人生を無駄にして悩まなくていいことで悩んでいる。勇気をもって離れよう。前から心配していたんだよ。」
と私が先生から離れようと感じていたときに、相談したらアドバイスをもらいました。
その時には、自分では、振り回されてなんかいないけど。。とも思いましたが、
気づかなかった けど、マインドコントロールされていたんでしょうね。
私はそれでも、また、こういった先生が言うところの夢やお知らせが来ると、きっと何でかな?何か悪いことでも待ち構えているのか、と不安を抱くと思います。
それを抱えていくのが怖くもありました。
でも、観童さまから、
「しかし、あなたが決心して自立するならそのような現象は無くなっていきます。不安な夢が生活にも現象化することがなくなってきます。すべてはあなたの心と生き方次第なのですよ。」
と言われて、そうだな。。。私次第なんだって思いました。そう信じて生きたいと思います。
憑依と言うのは、娘が、旅 行から帰って、姉と取っ組み合いでけったり殴ったりの喧嘩をしたり、夜中に寝ないで鉛筆を削ったりして叱って、懲らしめの気持ちで玄関から出したんです。
ポーチの椅子で泣いてるだろう、5分もしたら入れようと思っていたら、裏の家から電話があり、娘は、出されてすぐさま、雨の中を、11時半に、庭を走って背よりも高い門を超えて、3軒裏手の親しくするおばさんのところにいきベルを鳴らして、ママが家に入れてくれない助けてと呼び出したので、仰天してしまいました。
まったくもって憑依です、と言われ、そうかと思ったのでしたが。。。
まさか庭の門を超えるとは思わず、本当に怪我がなくて、よかった、裏のおばさんが起きていてくださって助かった 、事故に合わすよかった。とひやっとしました。
でもこれも憑依かと言うと、よく考えると、もともとちょっとエキセントリックで頭が5歳児にしては、よく言動や理解度も高い娘なので、親が困るようにふるまった、とも言えます。
その後は外に出すのはやめて、本当に悪いときには正座をさせるようにしました。
(娘は自己主張が強く、屁理屈を言っては、刃向ってくるので、私も困る時があります。手をあげたりはしていません)
でも、本当に娘たちを愛していますし、宝物のようなかけがえのない存在で、自分が上手に子育てできない時に悩んだりします。
私自身の問題なのだと思いました。
観童さまの言うように、もうこのようなことにお金を使うのは、やめようと、改めて決意いたしました。
最初に相談した3年前の時のみが、実家の母親が自殺未遂をしたり家に灯油をまいたりして本当に心が弱ってどうしたら。。と
子供も小さく、藁にもすがりたい思いでした。
でも、そのあとは、自分が不安を煽(あお)られて、依存していたのだと思います。
愚かだったと自覚していますがまだ、騙されていたなどとは思えないのです。
でも、もう、そこはどうでもいいのです。
これからの人生はどんな困難があろうと、自分の決断で家族で力を合わせて乗り越えていく勇気と強さを持とうと夫婦で話し合いました。
(主人はもともと信じるというほどではなく、私が家族の幸せを思ってした いならそれでいい、と言っていました)
私のために、心に響く、励ましのお言葉をありがとうございました。
感謝します。
これからも、時々は、わけもなく、不安に苛まれるかと思いますが、まずはお返事を印刷して、心が不安になってまた霊能者の先生のことを思ったり頼りたくなったとしても、揺り戻しがないように、観童さまから頂いた文面を読み返したいと思います。
親として二人の子供を育てて、しっかり強く生きていきたいと思います。
これからも、観童さまのブログを拝見して勉強にさせていただきます。
決して、押し付けでないお言葉の中に、時に厳しく、時に優しく、
慈愛の心を感じることができました。
お手を煩わせてしまいまし たが、本当に。。。ありがとうございました。
緒方絹子
緒方絹子様
よくぞ決心してくださいました。
私が申すまでもなく、あなた自身が気づいておられた事だと思います。
これほど文章の表現力をお持ちのあなたはとても知性豊かな方だと思います。
しかし、これまでみてきた多くの事例に習うことは、どれほど知識が豊富であり知性に溢れていても、己自身の思考を客観的に観ることができないときに限って人の影響を受けやすく、扇動されやすいものであるということです。
私のハートスクール「心と身体の健康教室」に参 加している60代後半のお婆さんがいます。
この方は生家が貧しく中学を出ただけの方です。
このお婆さん、「自分は無学で何にもわかりません。」といっているのですが、参加者の中では一番優秀な方だと思っています。
何が優秀か というと「心のバランス感覚がちょうどいい」偏見を持たない、物事を客観視できている、足ることを知っている。
これです。
その方はいつも言います。
「苦労させてもらったから自分がここまで来れた。」
何と謙虚で前向きで、勇気ある生き方だろうと感動させられます。
経営する温泉が倒産して借金も相当な金額でしたが、羽振りの良かったその当時の生活よりも、親子で慎ましく暮らしている今のほうが幸せだというのです。
何がそう思わせたのでしょうか。
苦悩していた当時は、あっちの霊能者、こっちの寺院とすがっていても心休まらず、私の講座に参加するようになって物事の考え方が一変してしまったとのことです。
そしてどれほど経済的に豊かでも戦々恐々として暮らす人生 に疲れ切っていたと いいます。
このような場合、霊能者といわれる多くの人は、何々の神を勧請して祀りなさいとか、何代前の先祖が苦しんでいるから供養しなさいとか、その為にここで供養するしかないとか、金品に結びつくように誘導していきます。
字画が悪いだの、名前が悪いだの、家相が悪いだの、霊が憑依しているだの、人の恨みの念が災いしているだのと、形に見えないことを利用して、全てが金品に直結する口実を言って扇動していくのです。
一つや二つの当て事をすると、俄然とその霊能者、拝み屋、占い師、教祖に傾倒していきます。
人間は何故これほどまでに当てごとに弱いのでしょうか。
それは見えない先への不安感を当てごとによっ て示されるからです。
人間は自分にない能力を見せられるととても弱いのです。
しかし、私のブログにも書いてあるように、動物霊(蛇霊、狐霊)や邪悪な地獄霊(人霊)が関わっていてもその程度の当て事は簡単にできることなのです。
むしろそういった霊ほど当て事をして相談者の虚を突いて喜んでいるものなのです。
そうなると見えない、解らない人間は盲目同然ですから信じてしまいます。
もうあとは自由自在に操れることに霊能者は快感をおぼえてエスカレートしていきます。
天狗、増長慢、驕り、こういった邪心が霊能者という者の心を支配していきます。
「家系の業を清 めるのに8百万円のお金を寄付しなさい。」
これなど、当事者には失礼かと思いますが、余りにも滑稽な霊能者の話しに苦笑してしまいます。
どこから割り出した金額なのでしょうか。
幼稚極まりないお話しですね。
業というものは、自分たちの家庭生活を無視した寄付で家系の業が清められるほど簡単なものではありません。
地獄の沙汰も金次第とはこの世の都合だけであって、あの世では一切そのようなことは通用しないのです。
何故なら、あの世は心が全ての世界だからです。
人間は自らの精進、努力によって心が成長し、他人にも愛や、慈しみの心を尽くすことができるようになるのではないでしょうか。
そのような生きざまをあの世で見る先祖の御霊たちも感心もし、感化され、執着から離れていくことになるのです。
私たちがお手本を示すこと。
これが真の先祖供養であり、家系の悪因縁改善のために必要欠かざる生き方でしょう。
決して歌を書き清めることを睡眠時間を削って体調不良に至るまで行うことでもなく、または読経や霊能者のところで行うパフォーマンスで先祖供養になることはありません。
何故なら、自分自身の心が慈愛に満たされることがないからです。
本来の家庭生活がどのようにあるべきかを見失っているからです。
先ずは翻弄(ほんろう)されない生き方をすることでしょう。
あなたはとても素晴らしい友人に恵まれていますね。
友人はガンを超えてとても重要なことを悟られていると感じました。
その友人がおっしゃるように、人間には他人の生命を変える術はないのです。
もし、可能なことがあるとすれば『気づき』を促すことだけでしょう。
あとはご本人の気づきの深さによって人生観が変わり、生き方が変わってくるということではないでしょうか。
こういう生き方ができれば大難が小難になり、小難が福徳に転化していくのだろうと思います。
娘さんは感性が豊かで鋭い子ではないでしょうか。
ある意味、お母さんのあなたと共通するところをお持ちなのかもしれません。
もしそうだとすれば、人の心を敏感に感じ取る心を持ち合わせているのではと思います。
それだけに感情的になって接したり、親のエゴで接したりすると娘さんの心が乱れて不安定になりやすくなりかねません。
幼少期の親子愛は溺愛も困りますが、行き過ぎた厳しさも心に傷を残しかねません。
親が心を安定させるとその波長が見えないエネルギー波動となって子供の心に伝わり影響を与えます。
こうなると如何に親自身が心の安定を図ることが大切かお分かりだろうと思います。
古来、『親の因果が子に移り』といいます。
これは子供をみれば親の姿がわかるということでもあります。
このような人間の心に端を発する子孫の禍(わざわい)は嫌というほどみてきました。
子を責めてはいけません。自分が歩いてきた人生です。
親を愚弄してはいけません。自分が行く道です。
娘さんのような子ほど穏やかな愛情で接することが必要ですね。
躾や教育だけに偏重すると心が渇いてきます。
何も語らずとも、娘さんが甘えてきたら心からギュッとしてあげる。
いか がでしょうか。
追伸
今後もし、娘さんに異常行動がみられたときはご連絡いただければ遠隔で浄化をしてみたいと思います。
一例ですが、
過去にも4歳児を浄化して普通の子に戻った事例があります。
(幼稚園でもみんなの輪に入れず一人でうつむいて隅っこにいて、家では昼夜問わず夜泣き、昼泣き、怯えたように、狂ったように泣いていましたが、小児科でも何も発見されず異状なしでした。しかし、霊障でした。お爺さんが亡くなってからの事件でした。)
観童様
重ねて、心のこもった、お返事をいただき、感謝いたします。
明日は元より、これからもブログを拝見して、心の在り方を勉強させていただきたいと思っています。
すべて、は無理ですが、観童さまのブログの過去の記事を読んでおります。
たくさんの気づきや、そうだったんだ、と腑に落ちる思いがする記事がたくさんあります。
霊的能力があるからと言って心が優れているとは言えない。
と、今まで霊能者の先生の霊的能力に(当たる、とか長年悩んでいた子供の癖が治るとか、主人の仕事の配置など)当て事が当たったり、願いが叶うと、信じる気持ちが強くなっていましたが、あなた様のおっしゃるように、
霊能力と心の持ち方は別だと気づきました。
ここを混同していたので傾倒してしまったのだと思います。
先生は上品なお話し方をされ良いアドバイスもくださいました。
でもそれが霊能力によるものであっても、友人のアドバイスのように、命に関わることを軽々しく予言したり、
言うとおりにしないとこうなる、と脅す内容を話されるのは(自分の意志ではなくメッセージですとは言いますが)やはり、私には承服できないものでした。
観童さまがおっしゃる、60代後半のお婆さんがのお話には納得がいきます。
若いころ、私はちょっとした学歴主義の偏見のある人間でした。
でも、社会に出て、様々な人に会って、
裕福でも心が貧しい、貧しくても人に恥じない生き方や志が高い人がいて、学歴が高くなくても有能に仕事をこなして人間関係も良好に気配りができる、
そういう方にたくさん出会って、心の在り方が、大事なんだな、
人に押し付けたり、学歴やお金のあるなしで、人を判断して自分より、上や下に位置付けるような生き方はしまいと、思っています。
足ることを知る
本当にこれが大事だと、つくづく思うのです。
そのおばあさんはたくさんの経験や人との 出会いから、大事なものがわかったんですね。
母はうつ病の時に、そうはいってももっと不幸な人がたくさんいる、といっても聞く耳を持たず、自分が世界で一番不幸な気持ちで痩せたり酒びたりになったり、自殺しようとしたり、頻繁に愚痴の電話をかけてきて切ると死ぬと脅したり、
全く周りを見ようとしませんでした。
自分のことを冷静に見るのは本当に難しいです。
まだまだ私にはできません。
見栄もあれば迷いも出てしまうし、未熟で自分が嫌になるときもが多いです。
私は、歴史が好きなので、歴史からもたくさん気づきをもらっています。
今はなんて幸せな時代で、その中でも自分は恵まれていて健康でありがたい。
感謝して暮らそう 、と毎日思うのです。
それでも、子育てでうまくいかなかったり自分の短気に嫌気がさすと、うまくいかず、何かに頼りたくなってしまいました。
しかし、観童様のおっしゃるように、娘は本当に感が強い子で、憑依というのも時々は、ありうるのでは?という状態になります。
私の心の持ち方で、長女と同じように次女に接してはいけないと常々思っていましたが、より穏やかに諭すように心がけたいと思いました。
のんびりしている長女(8歳、平和主義者。未熟児で生まれて大変だったが今では大変な努力家)はちょっと声を荒げて高圧的に叱るとわりということを聞くのでそういう躾をしてきました。
しかし、次女5歳は反抗心とプライドが高く、大声で言うと怒るし、自分の意見をまず聞けと言ったり、素直ではありません。
もちろん娘たちには誉めたり、スキンシップをして愛情を伝えていますが。。。
次女は、予見しなかったような、高いところによじ登ったり、憑りつかれた様に泣き叫んだり、危険な、突発的なことをすることもたびたび、あります。
そのくせ、頭はいいというか、物覚えや言語指示も高いレベルで知能は良いと思いますし、幼稚園での友達関係も良好です。
外見も、人様に言わせれば、アイドルのように可愛く、親も甘く育ててしまったのもあるかもしれません。
その、門を超えて行った時には狐か、動物霊がついたと先生には言われ、翌日には本人は何故そうしたか覚えてませんでした。
もしそのようなとき、が長く続いて、悩んだ折には、またお言葉に甘えて、観童さまに、ご相談をするやもしれません。
その折には、申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。
おっしゃるように、次女は、人の心を敏感に感じ取る心を持ちあわせていると思います。
感情的になって接したり、私のストレスからぶつけるように当たると、てきめんに指摘されます。
ものすごく情緒も不安定になり、ママなんて大嫌い、と言って泣きます。
習い事のピアノとダンスも、姉の同年齢の時に比べてできないので厳しく言いましたが人には得手不得手があるのだし、この子なりの出来栄えでよいし、次女には違う方面での得意なこと(絵を描くとか文章とか)があるので、
ありのままで愛して受け止めようと、思い出したら気が楽になりました。
次女の態度も変わりました。
私が、子供の出来が悪いと、親と しての評価が下がるような気になっていたのも少しあったのだと思います。
こういった自分を顧みることなく、次女に厳しく追及していたことに気づいて、反省しています。
観童さまの言葉から、自分が子供を責めていたんだと思いました。
本当に、たくさんのご指南をいただいて、感謝でいっぱいです。
迷いが吹っ切れましたし、温かい気持ちになりました。
ありがとうございました。
ご縁に感謝いたします。
お会いしたこともない私に、大切なお時間をこれ以上割いていただくのも、もったいなく、ご返信は結構でございますので。
これからも、ご活躍を陰ながら応援して、ブログを楽しみに拝読させていただきたいと思います。
緒方絹子
総括
マインドコントロールされている人は自分がマインドコントロールされているとは思っていない。しかし、他者から見た場合、その様子が異常に思えることが多々あるものです。
私たちは、否、人間は自分のことがいちばん見えていないものです。一つや二つの当て事が的中すると盲目的に信じてしまう傾向にあるのも人間の弱さでもありましょう。
これは違う気がする、と思いながらも過去の的中があるために拒否することに不安を感じながらズルズルと断りきれず依存した生き方をしていくことになります。
こういったことは金額の問題ではなく、その内容、人の導き方の問題であろうと思うのです。
過去における偉大な聖者たちは、自立する人間の心を育てる指導はしましたが、誰一人として依存させる法は説いていないし、導いてはいない。
モーゼ、釈迦、イエスキリスト、近年ではインドのガンジー、ヘレンケラー、マザーテレサ、他、みな心の尊厳を説いている。
次回の投稿は臨時投稿として6日(木曜日)にアップを予定しております。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。何かしら参考になることが有りましたら下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
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