捨てると湧き出る勇気

勇気 男の子
社会は自分の都合でどうにもならないことが多々ある。
いろんな局面で二者択一の選択に迫られたとき、簡単に答えを出せないことは誰でも経験しておられるであろうが、迷いが生じるときの理由のひとつにがあります。
勇気をもって決断しなさいとか、自分を信じなさいとか、先ずはやってみなさいとか言われるものの勇気も決断も持てないから悩んでしまうというところだろう。
生には苦楽がつきものです。
仕事で悩む人、夫婦関係に苦悩する人、人間関係に悩む人、経済的なことで苦労する人、子育てに悩む若いお母さん、就職できなくて苦悩する人、精神を病んで社会に出ていけない人など、誰にでも大なり小なりの苦悩はある。
反対に営利主義に徹して膨大な利益を得て贅沢三昧に歓喜する者、人を欺き自己の利益に奔走する者、人を押しのけて自分だけの都合で他の迷惑を考えない者、いつも何事にも批判的で争い事が絶えない人など、生き方は様々だ。
古くから言われている言葉に「生老病死」という言葉がある。
生まれることの苦しみ、老いることの苦しみ、病気をすることの苦しみ、死ぬことの苦しみの四つの事をいうのだが、これを四苦というようです。
この四苦のなかにありながらも、心安らかに生きるためにはどうすればよいのかということで、これまで相談者には心の学習として、正しく見る、正しく思う、正しく語る、この三つを基本として「正しく仕事をなす」「正しく生活をする」「正しく道に精進する」「正しく念ずる」というこの五つの実践をするよう奨めてきた。
だが、心の学習をしていくなかでよく言われることに、心の学習と実践は難しい、反省すると自分の醜悪さが浮び出て、我ながら自分に愛想がつきる、自分は偏りのない正しい生き方なんて一つも実行出来ないし、挫折感のみが襲って来る、といわれることがあります。
私も最初はそうでした。人の事より自分を中心にものを考え、行動してきました。
しかし私は、これまでの過ぎた自我というものを減らし、あるいは捨てることによって苦楽の淵から離れることが出来ました。
まり、偏りすぎた価値観を捨てる努力をすることで自分が解放されてきたということです。
難しいとか、挫折感は、性急な心がそうさせるものであって、それは自我というものが心の中にドカッと腰をすえているためであり、そうした自我が少しでも無くなってくると、次第に心が軽くなるものです。
偽我の自分を少しでも無くすためには、正しい道ということの中身を理解し、実践してみることです。
そうすると、ものの見方、考え方、行動が、先に述べた正しく見る、思う、語る、働く、生活する、精進する、念ずる(反省と禅定)という基本に適ったそれになってきます。
人生の正しい道はまず反省から始まるが、反省の仕方は客観的立場から自分をながめ、相手を見ることであり、周りの事象をみることです。
そうして自分の欠点が浮き彫りされるようでなければ用を成しません。
自分に愛想がつきて、そこで自分(自我)を捨てたときに、四次元の光が心に入ってきます。
ところがここで、なかなか自分(自我)が捨てられません。
眼、耳、鼻、舌、身、意という五官六根による囚われから抜けられないのです。
しかし、ここで必要なのは知識ではなく、人生経験ではなく、財力でもなく、行動する、実践するという不動心、そして、勇気以外のなにものでもありません。
それでは、勇気はどうすれば出るのでしょうか。
人間は好きな遊びや好きな仕事なら、夢中になっているときは疲れを覚えないものですが、用が済んで、ヤレヤレと思ったときに疲れが押し寄せます。
「火事場の馬鹿力」という言葉があります。
火事のときに、自分にはあると思えない大きな力を出して重い物を持ち出したりすることから、切迫した状況に置かれると、人間は普段には想像できないような力を無意識に出すことをいったものである。
火事や地震の時に、寝たきりの人が自力で脱出したとか、重いタンス を持ち出したなどの話もあります。
例えば、ふだんは弱い女性が、火事で子供が家に閉じ込められたとき、その女性は我を忘れて火炎の中に飛びこみ焼死寸前の我が子を救ったといいます。
夫は家の外でオロオロするばかりで肝心かなめなときに何も出来なかったというのです。
この話はいろいろな意味を含んでいますが、こうした勇気はどこから生まれたのでしょう。
このときのこの女性は、アレコレ考える余裕はありません。
ただ、我が子を救おうという一念だけでした。
子供を救って自分の為した行為に自分でも仰天したというわけですが、真性の自分に返ったときは誰しもこうした勇気行為が出るものです。
勇気は虚勢見栄外見を気にしているときは出ません。
つまり自分の中にある小さな分別、自我(エゴ)が心を不自由にさせ、勇気、決断、行動力を削いでしまうのである。
自分の信念を貫き、向かっていく積極的で強い心意気、勇気というものは、偽我のない裸の自分に立ち返ったときに、自然に湧き出るものです。
いつまで、心のエネルギーを眠らせていてはならない。
心に潜在する無限の力を忘れてはならない。

いつまでも争いの中で時を無駄にしてはなりません。
 いつまでも疑念の中で時を失ってはなりません。
今の瞬間は二度と再び戻すことができないからだ。
もし機会を逃したら、次のチャンスが来るまでに、
 私たちはこれから幾つもの人生をやり直さなければいけない。
勇気をもつことは自分(エゴ)を捨てることでもある。
一瞬の勇気のなさが生涯の後悔にもなり得る。
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