アトランティス大陸からエジプトへの変遷
メディアではいつも世界の戦争が報道されています。
国際政治の狭間で犠牲になるのはいつも一般民衆で、国民は誰も戦いを望んでいるのではないが、軍国思想や、一党独裁の国家が歩む道は、すべて権力者たちの意思によって国民に犠牲を強いている。
近年は日本海域を巡る日中間の領海問題、そして東、南シナ海においては、中国、台湾、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、インドネシア、ベトナムなどと摩擦を起こしている。
南シナ海の北部中国沿岸やタイランド湾を含む南西部には大陸棚が発達し、石油や天然ガスなどの資源が豊富だからだ。
近年になって、これらの資源や海洋資源の確保を巡って周辺各国の利害が錯綜(さくそう)しているが、日本海においても領有権を主張するなどの混乱が深まっている。
最近のウクライナ情勢における悲劇もまた世界の注目するところであろう。
そういったなかでも人類の進歩と調和をかかげる人の政治目標は、いつの時代にも、新鮮さを失うことはない。
なんとなれば「進歩と調和」は常に古くて新しい、革新とか保守といった思想を超えた、人類の願いがこめられているからではないだろうか。
ここで重視したい点は、調和ということ。
その調和も、一つの政治理念、経済理念を超えたところのそれ以前の調和、人間としてあるべき原点としての調和についてです。
人間としてのあるべき調和が実現すれば、人類の進歩は、現在のテンポ以上の速度をもって進むであろうし、世界の平和も期せずして達成されると思うからです。
そこで、人間としての調和はそれではどうあるべきか。
先ず、人間はこの地上の争いに我を失うことなく、大自然の姿に眼を向けなければならないでしょう。
その空間に点在する星雲、太陽、地球、そうして山川草木、空気、水……こういった自然の環境をぬきにして、人間の存在は考えられないことはこれまで何度も述べてきました。
大自然のなかに生きている人間。
大自然のほかの何に、調和するかであります。
大宇宙という空間、その空間以外は出られぬ人間。
こう考えると人間の在り方は、大自然の姿に合わせた生活、心の持ち方が人間としての調和の尺度にならなければならなないはずです。
すなわち大自然は、一糸乱れぬ法則のもとに、正しく運行されているのです。
不増不減
太陽の熱、光のエネルギーにしても、地上の生物が生存するのに必要な適温をもって放射しており、空気にしろ、水にしろ、いくら使っても減ることもなければ増えることもありません。
不増不減の姿です。
こうした大自然の姿を静かに眺めてみますと、そこには人智の及ばない、科学の及ばない大宇宙の意思というものの計らい、智慧、慈悲、愛が存在することに気づきます。
すなわち大宇宙は、その意思の胸の中で呼吸し、生きているということになります。
人間は、程度の差こそあれ、真・善・美を見分ける能力を持っています。
これを要約すれば、已自身にウソのつけぬ心を持っている、ということです。
それが良心であり、もっと深く説明するならば自身の心の内にある神仏の心です。
神仏の心とは、慈しみと愛の心です。
人間が五官や六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)にふりまわされてしまうために、本来の内にある神の子の已を失っているにすぎないのです。
闘争や破壊、血生臭い空気が地上を覆っている原因についても、人間が神仏の慈悲と愛の心を忘れ不調和であるからです。
この地上を平和にする、この地上を天国とする、この地上を楽園とするためには、神仏の子である一人一人の人間が、大自然という神仏の心、慈しみと愛に適う心を、素直に日常生活に現わしてゆく、行じてゆくことにあるのです。
したがって、人間の調和とはどういうことであるかといえば、慈しみと愛の心の芽を育てることにあるといえるでしょう。
そうして、進歩は、調和によって促されるものなのです。
なぜなら、調和は、神仏の無限の智慧が供給される光のパイプであるからです。
正しい教えの移り変わり
きょうは、この地上における人類の変遷(へんせん)を、過去一万年までさかのぼってみることにします。
今から約一万年ほど前、南大西洋にアトランティス大陸というのがあって、文明は非常に栄えていました。
信仰の対象は太陽にむけられ、人間の魂は、あの太陽のごとく、光輝くものであり、慈悲と愛の心こそ、人間としてのあるべき姿として、正しい生き方の法則が説かれていました。
その法を説いた一人の偉大な光の天使がいたのです。
その彼を中心として数多くの光りの天使が地上に降り、道を説きました。
現在、南太西洋には大陸はありません。
その当時の多くの天使たちを、時の為政者が葬ったからです。
天使たちを殺戮するほど彼らの心はすさんでいたのです。
その心根が非常に不調和な精神波動となって地球にまで悪影響を及ぼし、やがて大地震を起こし大陸を海に沈めるにまで至ったのである。
六千年の後、文化はエジプトに移ってきました。
そして今から約三千二百年ほど前、モーゼが現われ、人びとを救いました。
釈迦がインドに生まれるまでの約七百年間のある一時期は、地上界の意識は地獄と化していました。
略奪、強盗、殺人が幅をきかせていました。
釈迦が生まれる二、三百年前から、光の天使再誕による地上浄化の地ならしが行われ、やがてインドには釈迦が生まれました。
このときも、光の天使が数多く地上に生を得ているのです。
釈迦は、主として、慈悲を説きました。
このためイエスが約五百年の後に、イスラエルに生まれ、愛を説いたのです。
イエスが生まれたときも、その周囲に多くの天使たちが生まれています。
正しい教えは西から東に移りました。
すなわち、中国です。
イエスなきあとは、残念ながら信心信仰は他力にかわっていきました。
地上は闘争と破壊をくりかえしていたが、そんななかでも中国では天台智顎(ちぎ)が法華経を世に伝え、正しい法を、中国の地に復活させたのです。
ただこのときには、仏教もむずかしい哲学、学問とかわり、衆生を救うまでには至りませんでした。
天台智顎のあと、伝教が日本に帰化し、日本に仏教を樹立させました。
伝教の後は、やはり、他力が信仰の中心をなしています。
また、キリスト教においても、行いの教えではなく、祈りの宗教にかわってゆきました。
このようにして正しい法は現在に至っています。
正しい法は、過去一万年の間、このような変遷をたどり、イエス以降は、他力信仰が人類の生活に密着するようになってしまいました。
しかし、イエスも釈迦も、他力信仰を一度も説いてはいないのです。
また、地上人類の心が荒んで末法となると、ある時期を定めて、神の命をうけた光の天使が地上に生を得、道を説くのであります。
これまでの時代をみれば、このことは一目瞭然でありましょう。
また、正しい法の根を絶やさないためにも、こうした人びとが光をかかげ、人心を正しい方向に持ってゆかなければならないのです。
現代は、まさに、その時期に当たっているといえましょうが、先ずは、私たち一人一人が己の心を調えることからはじめていかなければならないと思うのであります。
次回は8月4日(月曜日)投稿の予定です。
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