彼岸の瞑想・親の姿&子の姿

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背中を手本に生きる
文房具類を万引して捕まった子どもに、父親がいった。
「馬鹿だなあ。このぐらいのものなら、いくらでもパパが会社から持って帰ってやったのに」と。
子どもは、親や教師のいう通りにはなりませんが、親や教師のする通りになります。
ですから、子どもには、周囲によい手本がなければならない理由がこの辺にあるのでしょう。
「こうなってほしいという子どもの姿」を、親も教師も自らが示す努力をしなければならないのではと思うのですが、しかし、親も教師も同じ人間です。
子どもの教育や将来を、という名目のもとにエゴの押し付けをします。
教師も心を病んで相談に見えますし、医師が精神疾患に陥っているケースもあります。
ここで少し私事を述べさせていただきます。
既に他界した私の母は大正6年生まれ、小学校もまともにはでておりませんが、それでも読み書きをしておりましたし、時にはご詠歌を婦人部の仲間と一緒に習っていた光景が私の学生時代の記憶として残っております。
そして何よりも母の為す後ろ姿、たくましく働くその姿を見て育ちました。
文字ではなく、言葉ではなく、背中にみえる教育を頂いたと思うのです。
その母が小学生の私に「辛抱しなさい」といった時、自ら手本となっていた母の姿に、私は返す言葉がなく、ただ歯を食いしばって従っていたのでした。
母の生きる姿そのものが教育でしたし、私の心の支えでありました。
「堪忍のなる堪忍は誰もする。ならぬ堪忍、するが堪忍」という言葉があります。
母は本当に我慢強い人でしたから寝ている姿を記憶にありません。
私などにはわからない苦労を、黙って耐えていたのでしょう。
誰にでもできる我慢は、我慢のうちに入らない。
上記の「堪忍」の言葉は、ふつうなら到底できない我慢、忍耐、許しができて、初めて「堪忍」の名に値するのだという教えでしょうか。
この教えは、私の人生を何度も支えてくれました。
精一杯生きた、たくましい母も80を過ぎた頃には働きづめの身体が限界にきていたのでしょう。
身体が二周りも三周りも小さくなり、食が細くなっていく姿を帰省するたびにみると、寂しさと、感謝と、お詫びの念がこみ上げて胸が熱くなるのでした。
何も親孝行らしいことをできずにすみませんでしたと。
子どもは親や教師の「いう通り」にならない
「する通り」になる。
子どもに何かを伝えるのに言葉はいらない。
否、不要な言葉を押し付けているのが現代社会の姿かもしれません。
ただ、誠実に努力して生きていくだけでいい。
私たちが生きるために文明の利器は、たしかに「便利」「安楽」「スピード」「効率」をもたらしましたが、その反面、人間から「待つこと」「耐えること」「静かに考えること」といった時間と習性を奪ってしまったかのように思えます。
一人の少年がいました。
崩壊家庭に生まれ育ち、友人といえば、いわゆるワルばかり。
かくて自らも非行に走って刑に服している十五歳の少年。
彼は刑期を終え、今度こそはまともな生活を送りたいと考えているのですが、その方法がわからない。
そんなある日、一人のホームレスが彼の働いている作業場に来て話しかけます。
「お前は、何かにぶつかった時、反射的に行動し、それから感じ、それから考えるという順序で生きてきたのか。それともその逆の順序だったのかい」
いわれた通りの順序だったと答える少年に、ホームレスがいいました。
「だからお前は、今ここにいるのさ。これからは、逆の順序でやってみな」
この時から少年の、自分自身との戦いが始まりました。
どんな相手や物事に対しても、まず考え、次に感じ、しかる後に行動する失敗を重ねながらも、この順序を繰り返すことによって、少年はやがて、まともな道を歩む人間に変わっていったのです。
まず考え、次に感じ、その後に行動する。
考えるということは、自分と対話すること。
自分自身に語りかけ、次の行動を決めることの大切さでしょうか。
彼岸のおわりに、他界した両親を偲びながら独り瞑想したわずかな時間。
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