心が調うと病気が少なくなるのは何故?

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前向きであったり、素直な心になれば、病気になりにくくなり、たとえなっても比較的直りやすくなるものですということを医療現場の看護師さんや師長さんからも聞いたことがあります。
入院患者が退院に到るまでの日数に差が生じるのは、同じような病気や怪我でも気持ちが前向きにある人の場合は、逆に悲観的であったり、ネガティブな思考にある人より回復が早いと言います。
全く同感です。
というのは、一つには素直な心になれば物事の実相、すなわち真実がわかりますから、いらざることに心を悩ませたり、いたずらに心配したり不安感におそわれるというようなことが少なくなるからです。
そのことがどれほど病気をしたときに大切な心構えであるかということなのでしょう。
多くの人たちが何らかの病気にかかったり、故障を生じていたりして、そのために日々苦しんだり、不便な思いをしている場合が少なくないと思います。
ところが、それらの病気や故障の中には、いわゆる精神面からきているものが相当に多いということも事実であり、否定しきれません。
これは精神アンバランスが招く、さまざまな事象が、私たちの身体に与える影響という点でどれほど大きな問題であるかということです。
つまり、仕事上の問題や対人関係の不調からくるストレスというものがつみ重なって、胃腸などの内臓を痛めたり、また人生上の悩みからノイローゼになったり、あるいは頭痛に苦しんだり、身体の特定部位が痛むというように、心の面、精神面からくる身体症状や病気というものがかなり多いわけです。
そういうことを考えてみますと、自分が素直な心(バランスのとれた心)を養い高めてゆくことによって、それらの身体症状が無くなり、病気にかかるということを随分と少なくしてゆけるのではないかと思います。
(Aさん50歳、主婦)気分がすぐれない、何かをしようとすると不安感でいっぱいになる、動悸もする、寝汗が出て気持ち悪い、身体も重いし気力が湧かないといって心療内科にいったら、看護師さんが記入表を差し出して該当する項目に記入してくださいといった。
Aさんが診察室に招かれ、開口一番、先生の言葉が「うつ病ですね。」三分程の先生の話のあと、「薬を処方しておきますからしばらくは服用して様子をみてください」と言われて帰宅した。
自宅に帰って薬を飲んだらこれまでにない症状がはっきりと表れて具合の悪さに恐怖感を覚えたという。
三日ほど服用してみたが一向に具合の悪さが治まらず服用をやめたら治まったとのことでしたが、以来、医師の対応と薬の副作用に疑問を持ち、心療内科にはいかなかったという。
Aさんはカウンセリングを求めて私の所に来院しました。
Aさんの日常生活を聞いたり、物事にたいする思考癖を確認したり、起きてもいないことに関して不安感をもつ癖がどこからくるのか心の深層を会話から探った。
失敗したらどうしよう、うまくいくだろうか、まわりは私をどう思っているだろうか、私にできるだろうか、等々、不要なことを延々と悩み、その渦の中に自ら入り込み苦しくなっているのだった。
Aさんの幼少の頃の家庭環境に話題をもっていくと目にいっぱいの涙を溢れさせた。
「あなたは生まれ育った家庭環境のなかで、あなたは親や周りの人たちにとがめられないように、いつも顔色をうかがいながら生きてきたのではありませんか?」と問いかけると彼女は一気に嗚咽したのです。
50歳になった今でも、人とのコミュニケーションがとても苦手で苦痛を感じ、人前で失敗したくない、まわりは私のことをどう思っているのだろう、などと自意識過剰にもなっていた。
結局、Aさんは自分で不安感をつくりだし、行動することに怯えていたのです。
幼少のころの悲しみや苦しさを理解し、受け止めてやることで彼女の心がほぐれはじめ心療内科で話せなかった心の内を話しだした。
心療内科、精神科における現状の対応は、患者さんの心の叫びを聞こうとしないというところに問題があると患者さんも不満を言い、そのような事実を限りないほど通院者からきいてきました。
しかし、なかには良心的な対応をしている医院もあるだろうが、残念ながらそのような声はあまり聞こえてこない。
先のさんの一時間半のカウンセリングが終わる頃にはすっかり日が暮れていたが、笑顔で「お陰さまで心が楽になりました」とお礼述べ、次回のカウンセリングの約束をして帰宅の途に就いた。
心身一如という言葉があります。
身も心も別ではなく、同時に存在し、心と身体は常に連動し、関連しあって一人の人間なのだという教えでしょう。
したがって、身体が病めば心が沈むものではあるが、心の持ちようによって身体も本来の機能を取り戻せるものだということもいえるのではないだろうか。
このことは私自身が死線をさ迷った経験から再起したことで確信がもてることであります。
さて、話しを戻しましょう。
お互いが素直な心になったならば、たとえどのような問題がおころうと、また自分がどういう立場におかれようと、そのことによっていたずらに心を悩ませるというようなことはなくなるだろうと思います。
それえは、なぜそのように悩まなくなるかといいますと、すでにくり返しのべておりますように、素直な心になれば物事の実相もわかり、物の道理も良くわかります。
たとえば自分の立場のみを中心にして物事を考えるとか、自分の感情や利害にとらわれて事を判断するようなことがありません。
しかもその心が高まっていけば、融通無碍(拘り、執着のない自由な心)の働きをすることもできるわけです。
したがって、自分の感情が満たされないために悩むとか、自分の利益が損なわれるから悩むとか、物事がうまくいかないから悩むなどといった姿は、あまりおこってこなくなるでしょう。
そしてつねに心は安らかに安定するだろうと思います。
そこにあるのはいつも感謝のみです。
みん
だから、心の面、精神面からくる病気というものは、お互いが素直な心を高めてゆくことによって、しだいに少なくしてゆくことができるのではないでしょうか。
また、そうした精神面からの病気ではない病気であっても、お互いが素直な心になればやはり少なくしてゆけるともいえるのではないでしょうか。
たとえば、素直な心になれば不規則な生活、不摂生な姿を続けるようなことも、これは体に良くないからしないようにしよう、というように気をつけて日々を過ごすでしょう。
つまり、暴飲暴食をさけるとか、いろいろな病気の予防に気をつかうようになると思うのです。
そこから、病気にかかるというリスクもおのずとより少なくなってゆくでしょう。
そうして、万が一『病気にかかってしまった場合でも、素直な心になれば、自分の病状がある程度自分でつかめるようにもなるでしょう。
だから、医者の指示もよくわかって、その治療の効果を高めるよう協力していくということもスムーズにできるのではないかと思うのです。
反対に、もしもその患者に素直な心が働いていなかったならば、大切な場面で医者の指示にも従おうとしなかったり、自分自身で間違った判断をしたり、みずから病気を重くするようなこともしかねないでしょう。
そういうことを考えてみますと、心のバランスを調えるということは、病気になりにくくなり、たとえなっても比較的直りやすくなるということがいえるのではないかと思います。
バランスのとれた心の効用というのは測り知れない好結果を生みだすものです。
次回は27日「火の玉の謎」について投稿予定しております。
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