言霊がもたらす人生の禍福
幸福にする言葉、不幸にする言葉、は、幸福になる言葉、不幸になる言葉
私たちは日頃なにげなく言葉を使っていはいますが、それが便利だとか、不自由だとかいうことを考えずに自分の身体の一部のように自然に使っています。
動物の世界では人間のような言葉を発することはありませんが、それでも動物なりの声を出し、素振りや威嚇、吠えたり、泣いたりして感情表現や意思表示をしています。
私たちが言葉を発してだれかと会話をするとき、浮かんだその言葉を囗にする前に、じっくり吟味してから口にするという人は多くはないのではと思います。
それだけに、何気に口にした言葉によって仲たがいしたり、相手の心には忘れ難い恨みとなって残ったり、妬みを買ったり、というようなことがあるものです。
言葉には魂が宿ると昔からいわれてきました。
人間は言葉を発する前に、先ず、想いが生じます。
その想いが善悪、どのようなものであれ、口にした瞬間に相手の心に伝わることになり、相手はその言葉に反応することになります。
このことでも分かるように、言葉には人間の想いが宿っていますから相手に伝わるのであって、言葉は、単なる機械的な便利ツールではないということです。
それだけに使い方によってはその不思議な力でひとを活かし、幸福にもすれば、災禍をもたらし、不幸のどん底に突き落としもするのです。
最近は引き寄せの法則などという言葉もきかれますが、先ずは、言葉をぞんざいに扱っていては、幸福も、いい人生も引き寄せることはできません。
私は日々クライエントさんと会話をしていますが、悩んでいる人、身体が辛い人、病んでいる人、心が病んでいる人たちの場合、心が非常にデリケートな状態になっていることに気づかされます。
それだけに、心身が健康な時とは違い、通常ではそれほど重く受け止めないような言葉でも、繊細に、または過敏に反応する傾向にあります。
こういったことを見てきた経験から、言葉をぞんざいに扱ってはならないこと、相手の状況をよく把握して思いやりのある言葉で話すことを学んだのです。
ほんとうにその人にとって必要な言葉、愛のある言葉を伝えることによって、涙を流し、うなだれていた人の目が輝きだすのです。
はじめに言葉ありき
はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
言葉は神と共にあった。
万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。
言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった。
その光は闇の中で輝き、闇が光に打ち勝つことはなかった。
上記の言葉は『新約聖書』(ヨハネの福音書)から引用しました。
想念と言葉の力
人間の想い、つまり想念というものはそれぞれに人によって強弱と特質があります。
だれもが一様ではありません。
私たちが一つのことを成そうとするとき、どれだけ真剣に想い、取り組むかによってその結果が早くなったり、遅くなったり、小さな成果であったり、大きな成果であったりします。
この違いは諸々の条件が重なってそうなるのですが、一番大きく影響するものは、実現させようとする強い意志、その継続、つまり努力にあります。
これこそが人間のもつ想念の特徴です。
想念に強弱があり、与える影響、出る結果に違いがあるように、言葉にも発する者の想念の強弱があり、また言葉のなかに宿る内容、愛であるか、憎しみであるか、不用意な言葉で傷つけるのかという違いが発生します。
良くも悪くも、想念の強い人が発する言葉は多大な影響を及ぼすことを知っておかなければなりません。
人を呪わば穴二つ、という言葉は、邪悪な思いをもって言葉を発すれば、それがそのまま自分に返ってくることを戒めとして教えています。
それでは仮に、言葉にしなければ影響を及ぼさないのかとなると実はそうはいきません。
恨みの想念を心にもって夫婦生活をしていれば、必ずやその悪影響が夫婦のあいだに深刻な状況となって様々な現象を顕わすようになってきます。
他の人間関係においても同じことがいえます。
逆に、心が調和された状態での人間関係は、お互いの信頼を得ることになり、良好な関わりとなってお互いの進歩向上につながっていくことになります。
こうしてみると、特に想念の強い人の場合、邪悪な想いを持って言葉を発すれば他にも良くない影響を及ぼしますが、やがてはその邪悪な想念が巡り巡って自分に返ってくることになり禍をもたらすということ。
逆に、正しく調和された強い想念によって事を為す人の場合は、その願いが現実のものとなることが多くなるということ。
人間は「棒ほど願って針ほど叶う」という諺があります。
これは通常であれば願ったほどには実現しないものだという意味でしょう。
ですから、そんなに効率が悪いなら「願うのはやめよう」と考えるか
「大きく願おう」と考えるか、
棒ほど願って針ほど叶うとは限らないから、「願えば叶う(可能性はある)」と考えるか
「少しも叶わないかもしれない」と考えるか
「やってみなければわからない」と考えるか
「たとえ、叶わなくてもいいから、願っていたい」と考えるか
他にもいろんな考え方ができると思います。
また、ある程度の霊的な能力が開花している人の場合、針ほどの願って棒ほど叶う、ということもありますから、絶対に悪い想念をもってはならないものです。
要は、願ったことを実現して自分が幸せになるためには、どう考えたらいいか?を考えられたらいいのではないかと思うのです。
一つ言えるのは、「願って、努力しなければ、叶わない」ということです。
言葉にも同じことがいえます。
悪い言葉はひとが持っている光を澱(よど)ませ、悪いことを引き起こします。
愚痴や他人の悪口を始終口にしているひとは、たとえ、神頼みをしたとしても、希望がかなったり、思いが実現したりすることはありません。
逆にいい言葉をこころの底から信じて発すると、言葉に魂が入り、光となってその人を包み込みます。
心を調和し、自分も他人も活かすような言葉を口にする人は、やはり大きな成果を収め、社会にも貢献するような生き方をしています。
言葉を大切に使っていきたいものです。
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