意欲と貪欲
「意欲」を持つこと、「貪欲」になること
積極的に働こうとする姿勢を意欲とするならば、これはとても前向きで心のあり方としては良いことだと思います。
一方、貪欲という言葉は貪る欲ということですから良い心の状態とはいえません。
貪欲は人生を誤らせ、人間関係に亀裂を生じさせる元凶としてしばしば非難の標的にされることもあります。
しかし、この欲というものは人の心に悪しき作用を及ぼすばかりなのでしょうか。
「欲しい」「したい」という思いを捨て去り、何も求めることなく諦めて生きることが、本当の幸福、いい人生に繋がるでしょうか。
そうではないでしょう。
もっと知識が欲しいという思いが学びの源泉になり、もっと自分を高めたいという意志が立ちはだかる困難を乗り越えて、なお前に進んでいく原動力にもなります。
欲にはひとを高みへと引き上げる力も潜んでいるのです。
捨てることはありません。
私がよく相談者に「捨てなさい」という事を言いますが、これは上記のような意識としての欲を捨てなさいと言う意味ではありません。
「偏った欲望」、「拘り過ぎ」を捨てなさいといっているのです。
「大なる欲は清浄なり」という言葉があります。
大きな志をもった欲はこの世界を調和させ、清らかにし、人を豊かにするというのです。
自分の都合によるエゴと葉まったく異質の欲ということがいえるでしょう。
だから私は言います。
大欲を持ちなさいと。
大欲とは深い欲、貪る欲とは違います。
おおいなる欲、自分のためだけでなく、同時に他人のためでもある欲のことです。
富でも名声でも、知識でも技術でも、それを手に入れたい、集めたいという思いが、大欲に根ざしたものなら、どんどん手に入れればいい、集めればいい。
自分一人の為の名声であってはならず、自分一人の為の富であってはならず、富を得て、豪邸を建て贅沢三昧の暮らしをして、人に誇示して驕り高ぶるようならばただの貪欲でしかありません。
しかし、その富を何か世の中のためになること、人々が幸せになることに使えば、それは大欲になるのです。
言葉を換えていえば、大欲は目的を見据えたものだといえるでしょう。
ただ、富を築くことだけにあくせくするのではなく、「家族を幸せにするために、ひいては地域に少しは貢献できるように、富を築こう」とはっきりした目的を持って、富を得るために懸命の努力をする。
両者の違いは明らかです。
前者が自分の利益だけにとらわれているのに対して、後者は社会の利益に重なっているからです。
そうした大欲を持つことに、とまどいを感じる必要などありません。
知識や技術など目に見えないものにしても、それをどう広く生かすかを想定して身につけたり、集めたりするのは大欲です。
その知識を少しでも人々が癒されることに使おう、技術を活用して人々が負担に感じていることを少しでも軽減しよう、ということであれば、知識や技術は生き、結果的に自分自身も生かされるのです。
自分の貪欲を満たす為に働くのと、社会貢献という大きな志をもった働きとでは結果も、他に与える影響も格段の違いとなって自分に振り返ってきます。
我欲ではなく「現在のままでいい」という考え方もあります。
生きとし生けるものに対し、いつも柔らかで優しいまなざしを向けつづけた良寛禅師にこんな句があります。
「焚くほどは風がもてくる落葉かな 煮炊きをするのに必要な落葉くらいは、なにも集めずとも風が運んできてくれる」
食事の支度に煮焚きするぐらいのものは、風が運んできてくれる落ち葉でも用が足りる、といいうわけです。
この良寛禅師の心構えが、仏教でいう「知足」の境地です。
欲望をいたずらに持つことなく、足ることを知りなさい、という意味ですが、欲望を膨らませ、飽くことなく求めつづけても、満足することを知らなければ、安らぎの人生など望むべくもありません。
足るを知ることで、心安らかになり、また、ゆとりを持って生きる道が開けるのです。
足ることを知らないと、どれほどたくさんのものを手に入れても、「まだ欲しい」「もっとしたい」という思いに苛まれるばかりで、ますます欲に縛られることになります。
欲には際限がありません。
大欲を抱きつつ、知足に生きる。
ここに真の充足があります。
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