生命の原点・あの世とこの世

TFLB_016
生命という言葉は何の抵抗もなく、問題もなく、また特に意識もせずに誰もが知っていると同時に何気に使用している言葉だろうと思います。
特に宗教の世界や思想哲学という学問のなかでは日常的に使われているでしょう。
それでは「生命」、「生命体」というのはどういうものを言うのか、どういう状態を指していうのか説明を、ということになるとこれはまた非常に難しいところです。
「そもそも、何が生命か?」この問題について考えはじめると生物学者たちは、すっかり悩んでしまい、夜もおちおち寝ていられないのかもしれません。
生命とは、さまざまな定義があるようですが、基本的には「生きているもの」と「死んでいるもの」、あるいは物質と生物を区別する言葉として使われているのが一般的かと思います。
伝統的に、生き物が生きた状態であるという状態そのものを生命と呼んだり、あるいはまた生きた状態というものは、目に見えない何かが宿っている状態であるという捉え方をして、その宿っているものを「生命」「命」「魂」などと呼んでおり、現在でも広く日常的にそういう意味を含んだ用法として使われています。
それでは、
火は、生命体なのか?生命体ではないのか?
水は、生命体なのか?生命体ではないのか?
上記のように、目に見えない何かが宿っているものを生命体とするならば、火も水も、そのものには宿っているとはみないでしょう。
ただ、科学的には火も水も仕事を成し得る能力を備えているちう意味では一つのエネルギーと言えます。
生物学は生命に関する学問だというのに、その基本である生命定義ですら互いに合意することすらできない、というような状態です。
古代から多くの人々が、生命とは何なのか、ということについて様々に論じられてきました。
自然哲学には自然哲学の生命観があり、宗教には宗教的な生命観があります。
現在、一般的・日常的には、生きものが生きている状態を指して「生命を持っている」「生命を宿している」と呼び、文脈によっては非物質的な魂のようなものを指す場合もあります。
細胞のひとつひとつも「生きて」いて、それぞれ生命があるのでは?
という問いかけや疑問には、おそらく誰もが、細胞の一つ一つにも命があると答えるでしょう。
こういったことを踏まえながら生命ということを霊的な視点から言葉にしてみますと、
霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだということがいえます。
そうなると霊の無いところには生命は存在しないといえるし、物質そのものは形であり、殻に過ぎないという捉え方もできます。
とすれば、生命の本質は霊にあるのであって、形や殻にあるのではないということ。
即ち、肉体はこの世という3次元の物質世界で生きるための器だと理解することもできます。
肉体という器は生命の宿った物質ではありますが、やはり物質には寿命という限界がついてまわりますから、いつかは形が滅びるときが必ずやってきます。
れが肉体死です。
この世の物質、すなわち3次元に存在するものは、霊という4次元の働きによって投影されたカゲ(現象)だということがいえるのですが理解いただけるだろうか。
生命は物質それ自体には存在はないのであって、霊的なエネルギーの存在が物質を動かしめているということ。
いまこのブログを訪問していただいたあなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考することができるのは、あなたの本質が霊であるからこそです。
霊があなたの身体を動かしているからです。
脳ではありません。
脳は肉体のという機能のパーツだと捉えます。
脳を支配するものが霊です。
パソコンには素晴らしい機能を備えたソフトが内蔵されていますが、その素晴らしいパソコンは電気エネルギーという、人間に例えると食事というエネルギー源が必要です。
そしてどれほど素晴らしい高機能のパソコンでも、それを操作する人間がいなくてはその頭脳は用を成しえません。
人間の身体が素晴らしい脳を備えていても、それを正しく発揮する心ができていなければ、偏った価値観によって歪んだ生活意識をもったり、自らが精神を病んだりすることになります。
人間の場合、霊が離れたら最期、その身体は崩壊してやがては土に同化していくことになります。
宗教に入信する人たちのなかでも物質を本当の存在だとする考え方、そう捉えている人たち、また形を崇拝する人間は間違った偶像を拝していることになります。
なぜ間違っているかとなると、物質という存在のそこに実在(霊)が無いからです。
物質は一時的な存在であって、現象にしか過ぎません。
しかし、地上で生活をする私たちは形のあるものに拘り、囚われ、心の中に苦しみを増やしていきます。
形のあるものは永遠ではありません。
だが、霊という4次元のエネルギー活動はすべての存在物を形成する基本的素材であるが故に永続性があります。
例えば、人間によって表現されている生命力は、小鳥、動物、魚類、樹木、草花、果実、野菜等に表現されているものと同じ生命力であります。
いかなる形体にせよ、生命のあるところには必ず霊という4次元のエネルギーが働いています。
そのことに関する自覚の程度、意識の程度にはさまざまな段階があります。
霊の表現形態は無限だからです。
無限なるものに制限を加えるわけには参りません。
逆も然りで、この世的な価値観に支配されている人の場合は、物や形に拘るが故に自分に備わっている本当の自分の可能性を有限のものしていまいます。
生命の背後の力は全ての霊の極致であり源泉であり頂上であります。
動物、植物、鉱物と、いかなる形態を取ろうと、創造者たる天の表現であることに変わりありません。
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