今の自分の場で力をつくす

hataraku必死
必死という言葉のもつ意味は「かならず死ぬ、力の限り、必死になって逃げる」というような含みをもって使われています。
決して逃げることなく、死んだ気になったら何でもできる、だから力の限りを尽くす、こういう気持ちをもって、今自分がおかれた立場、場所、環境、仕事に取り組まれたら、それこそ「必ず」好結果がうまれてくること間違いなしです。
ひとつのことをやり遂げるということはそういうことだと思います。
ですから人の作ったものをみたときに感動を覚える作品というものは、多くの人たちがやはり同じような感覚を覚えるものではないでしょうか。
素晴らしい結果がうまれたときというのは、それだけ必死になっていたからであって、誰でも必死になると、何かがひらめきます。
ひらめきは特別な人にだけ与えられるというものではありません。
すばらしい芸術作品や有益な科学上の発見などは、ひらめきから生まれるといわれます。
能力や技術、経験を超えた何か。
それを「ひらめき」という言葉で表現しているわけですが、わたしは全宇宙に遍満する智慧だと表現したい。
ものづくりだけではなく、どのようなことでも、仕事でもそうですが、この智慧がひらめくためにはどうしても欠かせない条件があります。
それはひたすらに心を傾けて夢中になってやり抜くこと。
これを三昧ともいいます。
実はこの「閃き・ひらめき」ですが、私たちが意識するしないに関わらず、精神的なバランスがとれていて正しい努力をしている場合に、守護霊や指導霊という存在によってインスピレーションとして受けているといっていいでしょう。
わたしたちの肉体は完全死の瞬間から滅びていきますが、肉体と一体になって生を全うしてきた霊は滅びることがありません。
肉体を離れた霊は地上での役目が終わっただけで、次元の異なった世界では智慧として宇宙いっぱいに存在しています。
そして、その智慧が守護霊や指導霊を通じて、ひらめきとして生きている人間に受けとられ、芸術作品や発見が生まれることになります。
「中間子理論」を発表して昭和二十四(1949)年に、日本初のノーベル賞(物理学賞受賞者となった湯川秀樹博士は、『般若心経』を唱えている最中に、その理論構築のひらめきを得た、と述懐しています。
これは般若心経そのものがということよりも、読経して心の調和を図った結果として、日頃必死に成って研究していたことが博士を、遍満する智慧を受けとれる状態に導いたということでしょう。
及ばずながらも私にも似た経験があります。
仕事に関して解決しなければならない問題があるとき、私はいつもすぐに結論付けることはしません。
私の場合は日々の業務を淡々とこなし、問題についても冷静に、客観的に思考してみます。
そういうことを繰り返しているとやがて「これだっ!」と確信するような答えが閃いてくるのです。
自己都合や、私利私欲から判断して引っ張り出した答えは、必ずあとになって失態がうまれて困惑する問題が新たに発生することになります。
仏教には輪廻転生という考え方があります。
あるいは諸行無常という教えがあります。
生きとし生けるものはすべてが滅びることによって新たな生命が生まれ、循環していく大宇宙の真理を教えています。
動物、植物、鉱物のすべてが循環の法則のなかで存在しているわけです。
循環ということは輪廻そのものです。
良いことをすれば良い結果が生まれますから、良い考え、想い、良い言葉を使い、良い行いをしていきたいものです。
悪い言葉、汚い言葉、怒りの言葉、欺く言葉を発したらその言葉は他人に悪影響を与え、やがてはその悪影響がわが身に返ってきます。
必死に成って自分の場で三昧になっていますか?
余計な事を悶々として繰り返し繰り返し思い煩って不安感を心につくりだしていませんか?
そういうのは三昧とはいいません。
為すべきことを成さず、不要なことに想いを働かせていることは、必死になって生きていることにはならず、三昧になって生きていることにはならない。
三昧とは心に拘りがなく、一切の執着がなく、死ぬ気で取り組んでいる姿をいいます。
行場はどこにでもある
全てが自分を磨く場であり、チャンスだと思います。
「智慧を受けとれるのは選ばれた者にかぎられるのじゃないか」そうではありません。
ふつうのビジネスマンは職場がそれですし、医師なら診療室が行場。
芸術家は作品を制作する空間がそれにあたりますし、主婦は家庭が行場になります。
人それぞれの行場で一生懸命を貫くことが大切だと思います。
望むような仕事についていなくても、人間関係に厳しいものがあっても、思ったような評価を得られなくても、腰を据えて一心不乱にやるべきことをやっていれば、それは自分の行場であり、三昧だといえるでしょう。
智慧というインスピレーションがいついただけるのかはわかりません。
しかし、一所懸命を貫いていれば、必ず、心と智慧との回路が通じます。
たしかなことは、智慧をいただいたとき、飛躍の道が開かれるということです。
わだかまりになっていた人間関係が好転する、リストラでやむなく移った会社で業績を上げる、周囲の評価が一気に高まる……等々。
そうしたことが起きるのは、いただいた智慧によって自分のなかに秘められていた可能性が引きだされるからです。
遍満する智慧は、与える相手を選びませんし、だし惜しみをすることもありません。
さまざまな行場の一所懸命を見逃すこともない。
安心して、覚悟して、わが行場で行う。
人生を好転させたければ先ずは必死に、一生懸命を貫きましょう。
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