魂は試練のなかでこそ大きな光となる

2020年3月7日

苦しみを超えるために
人は皆、自分の人生を開いていきたいと思っていることでしょう。
このブログを訪問してくださっているあなたの願いがあるとするならどんなことだろうか。
人によってそれぞれの思い、願望があると思います。
病んでいる人にとっては何よりも健康になりたいと願うでしょうし、お金に困窮していればなんとかして今の暮らしを楽にしたいと願うでしょう。
私の治療院においでになる人たちは皆、体の痛みや凝り、シビレ、頭痛、片頭痛、めまい、病気の早期改善を願い、健康を取り戻すことを願いながらおいでになります。
加えて精神的に苦境にある人、人間関係につまずいて悩み苦悩する人、子どもの不登校、家族のことで悩む人、鬱状態に陥っている人、人それぞれに誰もが悩みを抱えて相談にみえます。
こういった問題は当事者にとってはとても辛いものであることは間違いありません。
苦しい思いをしている人に鞭を打つつもりはありません。
しかし、生きることのなかで特別解決しなければならない問題もなく、チャレンジするような目標もなく、また超えていかなければならない課題もない生活には、人間の心の深奥に秘められた神性が目覚める機会は少ないでしょう。
誰も好き好んで悲しみを求め、苦しみを求める者はいませんが、しかしこの悲しみも苦しみも、私たちが内在している神性を目覚めさせるためにはむしろ最大のチャンスであります。
言い換えるなら、苦況が進歩のチャンスということです。
私自身のこれまでの人生も然り、何一つとして偶然というものが無く、すべてが自分が為した通りの結果がついてまわるという、大自然の法則と変わることのない不変絶対の法則によって生かされてきたことに気づかされます。
人間は内面的なことを大切にし、その内面に目覚めた時、これまでに理解できなかったことが徐々に理解できるようになります。
私たちは何を恐れ、また何故に天の意識を信じようとしないのでしょうか。
人間は小宇宙ともいいますが、宇宙の一部なのにその宇宙を支配する絶対的存在になぜ心を向けようとしないのか。
あらゆる不安感、恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って絶対的な大宇宙の意識に連なる法則に沿って生きるとき、様々な問題が解決されていきます。
自然の姿のなかにある営みを我が心とすること。
自然な営みとは大宇宙の心です。
混乱のなかに自分を見失いそうになったとき、山野に身を置くと心が洗われます。
山野には営みが溢れており、流れがあり、囚われがなく、執着がなく、ありのままで滞りがありません。
人間の心もそうありたいものですね。
そうすればごく自然に宇宙の意識が私たちの心を通して偉大な力となって発揮されます。
Pleiades_s
地上の星
大自然に沿った意識を大切にしてくると、やがて心はこの世的な価値観が薄れ、精神的な充足感を大切にするようになってくるものです。
そして、不安感が薄れ、恐怖心もなく日々の生活ができ、悲しみ、苦難にも必ずや天の協力があることを実感できるようになってきます。
私たちは苦難にも悲しみにもくじけてはなりません。
何故なら、心の力はどのような物の力にも勝るからです。
心の力、尊さを知った者を何人なりとも傷つけて侵すことはできないでしょう。
ですが、不安感や恐怖心こそ人間が健康に暮らす為、心安らかに生活する人類最大の敵であることは忘れてはなりません。
いつも感じることですが、相談者の心には常に不安感や恐怖心があります。
恐怖心は人の心を蝕(むしば)みます。
恐怖心は理性をくじき、人間を弱くしてしまいます。
恐怖心は苦難を克服させるための力を打ちひしぎ、無力にします。
心を乱し、感情が不安定になり、理性を欠き、調和を破壊し、動揺と疑念を呼びおこします。
恐怖心は無知と肉体的安全への執着と、未知未来への不安などから発生しますが、つとめて恐れの念を打ち消すための心の調和を学ばなければなりません。
心が調和されてきますと私たちの魂は地上に光る星となってお互いを照らすでしょう。
心の力
それは宇宙大自然の意識とつながるものであり、絶対的な叡智であり、絶対的な愛でもあります。
私たち背後には宇宙大自然の絶対的意識があり、この意識は人間のみならず全ての存在の背後に絶対的影響力をもって存在せしめています。
何度も言ってきましたが、魂が鍛えられ、内在する無限の可能性に目覚めるのは、苦難の中においてこそです。
夜明け前に暗黒の闇夜があるように、心が輝くときも暗闇の体験がなくてはならないでしょう。
自分がいま心身共に苦況にあるとするならば、このような状況下で重要な事は、自分の為すべきことを忠実に、無駄を省きシンプルに、知識に翻弄されず、そして最善を尽くし、自分の心につながる宇宙意識と同調し、その意識に全幅の信頼を置くことです。
内なる覚醒を手にした者は、挫折も失敗も、試練も逆境も天の配材の一部であることを受け容れるでしょう。
陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、不二一体のもの、いわば硬貨の表と裏のような存在として働いています。
裏表一体であるということは、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのと同じように、人生の禍福も選りわけて手にすることができません。
人間の場合は、魂の進化向上のために、表と裏の体験、つまり成功と挫折、試練と順境の双方を体験するように仕組まれた法則の中で社会生活があります。
私たちにはいかなる時も学びが基盤です。
恐怖心、信念の欠如、懐疑の念は、せっかくの調和された自分の内なる霊性、神性を粗雑で荒い波動に降下させてしまいます。
私たちの守護・指導霊たちは、私たちの信念と平静の霊域の中において初めてコンタクトすることが可能となります。
反対に、恐れ、疑惑、不安、こうした邪念は正しき霊界の住者が地上人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。
太陽が燦々と輝き、やることなすことが順調で、お金にも不自由がないときなら天に感謝するのは容易かもしれません。
しかし真の意味で天に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、逆境にいるときであり、大切な気付きをいただいたその時こそではないだろうか。
私の知人には、ガンを患いながらも自分はガンと共生しながら、ガン友たちの求めに応じて自身の身を粉にしてヨガを指導している立派な女性がいます。
自分の拘りや執着によって精神を患い、体調まで悪くして社会に出られなくなる人もいれば、ガンを患いながらも自分の命を削ってその日を悔いのない生き方をする人もいます。
夜空を見上げれば月明かりが神々しく、満天の星も光り輝いています。
雨の日も、晴天の日も私たちの心を潤してくれるのは私たちの受け取り方にあります。
人間は上ばかりをみつめ、目指し、探すのですが、光り輝く星は空にばかりあるのではなく、私たちの足元、地上にもあります。
あなたが光り輝き、一人ひとりが光り輝いたなら地上もまた満天の星で満たされることになるでしょう。
きれいな花が咲くにしても、養分がそろっていても太陽と水がなくてはなりません。
人間にとってのその光り輝く条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、試練であり、逆境であり、暗闇の体験です。
だが何も心配することはありません。
この暗闇さえも一点の光によって消え去るからです。
一点の光とは、あなた自身の心の内にある光のことであり、その光はあなた自身が一切の執着、不安、恐怖心、驕りから離れたときに自ら発する魂の波動エネルギーそのものです。
何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののんきな暮らしの連続では、心に潜在する神性の開発は望むべくもありません。
だが、試練、逆境のなかにおいても決して諦めてもならないし、卑屈になってはいけない。
困難と努力の末にいったん霊的智慧に目が覚めると、その時からあなたはこの宇宙を統べる意識と一体となり、その美しさ、優しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるでしょう。
それこそが愛であり、慈悲であろうか。
このように目覚めた霊的な智慧と能力はもう二度と失うことはありません。
それを機に4次元世界との強力なつながりが生じ、必要に応じて4次元世界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、光を引き出せるようになります。
これは自分の魂が進化向上したその分だけ自由意志と権能が与えられます。
だが忘れてはならないことが一つだけあります。
それは責任です。
愛をもって成すか。
邪心をもって成すか。
因果は巡るという真理を胸におかなければならないということです。
霊という言葉の本質である意識エネルギーは物質に勝ります。
意識エネルギーこそ全てを造り出す源泉です。
なぜなら、意識エネルギーは生命そのものであり、生命は意識エネルギーそのものだからです。
光すなわち生命
光すなわち愛
光すなわち力
光すなわち勇気
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。